太田裕美『十二月の旅人』です
太田裕美のマニアである私、松和のマスターであるが、それでは今を去ること30年以上前、大学時代より今まで、一番、聴いたアルバムはどれだろうと振り返ってみると、恐らく、このアルバムだろうと思われる。
太田裕美『十二月の旅人』(写真左)。1980年12月のリリース。このアルバムはリアルタイムでゲットした。大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」が入っていたのと、浜田金吾と網倉一也、二人のソングライターの曲が中心の構成になっていたことが決め手。アルバム・ジャケットもシンプルなんだが、この太田裕美の写真の雰囲気が良かった。
この頃は、松本・筒美両巨匠とのコラボを解消し、新しい路線にチャレンジしていた頃。そのチャレンジはなかなか内容のあるものばかりで、アイドル・シンガー太田裕美では無く、アーティスト太田裕美としてのチャレンジなんだ、ということがひしひしと感じられて、太田裕美のマニアである我々としては、しっかりと見守らなくては、と思っていた矢先のアルバムである。
でも、当時は、シングルチャートではトップ50位内の壁を破れず、レコード会社も明らかに力を抜いた対応に、太田裕美は大丈夫なのか、と不安になっていたのも確かである。しかし、このアルバムを聴いて安心した。今でいう「シティ・ポップ系」の秀曲がズラリと並ぶ。しかも、アルバムとしての統一感が素晴らしく、太田裕美のボーカルも安定感抜群。
今から振り返れば、この『十二月の旅人』は、太田裕美のアルバムの中でも、屈指の出来で、マニアの間でも評価の高いアルバムなのだ。LP時代のA面は網倉一也の曲が、B面は浜田金吾の曲がメイン。そのど真ん中に、あの大滝詠一の名曲「さらばシベリア鉄道」(写真右)が配置される、素晴らしい布陣。
網倉一也の曲については、シティ・ポップ系の曲想が新鮮で、1980年春のシングル「南風」で久々のヒットをもたらしたことでも、太田裕美との相性は良い。浜田金吾の曲については、1979年4月の「青空の翳り」が凄く印象に残る。良い歌でした。1979年の『Feelin’ Summer』『Little Concert』でもほぼ半数の曲を作曲した当時のキーマンである。
日本のシティ・ポップの佳作の一枚に数えても良い内容が素晴らしい。冬の旅人をイメージしたジャケットや、温かみのある手書きの歌詞カードも含めて、トータルコンセプトを強く感じる。とにかく、歌謡曲のジャンルを超え、当時流行のニューミュージックの範疇を超えた、シティ・ポップ系の楽曲が爽やかだ。
冒頭の「Sail For Our Life」の米国西海岸AOR系のイントロなど、完璧にシティ・ポップな香りがする。続く「25年目の冬に」は歌謡曲風でちょっと「およっ」と思うが、3曲目の「海に降る雪」のシットリしたフォーキーな「太田裕美ど真ん中」ソングで持ち直して、以降、良い感じにシティ・ポップ化。
その最高地点が「さらばシベリア鉄道」。さすがにこの曲は良い。歌謡曲でも無く、ニューミュージックでも無い。明らかにジャパニーズ・ポップである。太田裕美マニアの間では、何かと評判の悪い、このアルバムでの「さらシベ」の存在だが、僕は良いと思います。歌詞の内容は確かに統一感を損ねているかもしれませんが、曲は思いっきりシティ・ポップです。
さて、この曲「さらばシベリア鉄道」を最高地点として、LP時代のB面はシティ・ポップの連発。さすが浜田金吾。歌いこなす太田裕美も素晴らしい。アーティストとしての太田裕美の存在感抜群。ラストの「HAPPY BIRTHDAY TO ME」で心地良い余韻を残して、このアルバムは完結する。
震災から4年。決して忘れない。まだ4年。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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