2019年12月 8日 (日曜日)

ジョン・レノンの39回目の命日

今年の12月8日を迎えた。ジョン・レノンの39回目の命日である。あの日はまだ僕は大学生。大学の生協のラジオとテレビで訃報に接した。なぜか、ジョンは撃たれても死なない、と思い込んでいたので、本当に亡くなったと知った時には、大ショックだったし、世の中の不条理というものを生まれて初めて思い知った瞬間でもあった。

しかし、もう39年も前のことになるのか。思わず感慨深いものがある。しかし、マスコミについても、ネットの反応についても、最近は「ジョンの命日」は、あまり話題にならなくなったように感じる。全く見知らぬ人物に、全く理由も無く、いきなり撃たれ、命を奪われるのである。どう考えても不条理であり、あってはならないことだ。

しかし、今、米国ではこの「不条理」が無くなるどころか、不定期に発生しては世界にその悲しい出来事が流れている。暗殺、無差別な銃撃、テロなど、後を絶たない。もはや「ジョンの命日」など、珍しいイベントでは無くなったのかもしれない。そういうことを考えながら、ジョンのアルバムを聴きつつ、静かに「ジョンの命日」を過ごしている。

John Lennon『Imagine』(写真左)。1971年のリリース。ジョンの名盤中の名盤とされる。僕は若い頃、このタイトル曲「Imagine」の歌詞が「ありえない、とても空想的」に聞こえて、この盤については暫く敬遠していた時期がある。しかし、先ほど述べた「不条理」を撲滅するには、これしかないのでは、と達観したのが50歳台に入ってからである。
 
 
Imagne  
 
 
今ではこのアルバム、ジョンのアルバムの中でも、一番のお気に入りになっているのだから、自分のことながら「ええ加減な奴」やなあ、なんて思ったりしている。この盤、バック・バンドもシンプルな個性で、アルバム全編に渡ってシンプルなロックになっていて、ジョンのボーカルがメッセージが明確に伝わる内容になっている。特に、リンゴのドラミングが素晴らしい。
 

Imagine there's no Heaven It's easy if you try
No Hell below us Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries It isn't hard to do
Nothing to kill or die for And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer But I'm not the only one
I hope someday you'll join us 
And the world will be as one

John Lennon 「Imagine」より抜粋


今年も、謹んでジョンの冥福を祈りたい。
 
 
 
 
東日本大震災から8年8ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
 
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2018年12月 9日 (日曜日)

38回目のジョンの命日である

忘れもしない。1980年12月8日 (月) 22:50 (EST)、1980年(昭和55年)12月9日(火) 12:50 (JST)、ジョン・レノンは凶弾に倒れた。パトカーの後部に乗せられて、ルーズベルト病院へ搬送。そして、失血性ショックにより死去。享年40歳。あれから今年で38年が経ったことになる。ジョンが生きていれば78歳。どんな翁になっていたんだろう。見てみたかったなあ。

当時、僕は22歳。大学三回生。大学の生協のラジオで「ジョンが撃たれた」との報を聞く。まさか4発の銃弾を浴びているとは思わず、恐らくジョンは大丈夫、と思っていた。そして、15時前だったと記憶しているが、同じ大学生協のテレビでNHKの緊急ニュースにて、ジョンが逝去したことを知った。暫く、テレビの前で立ち尽くした。今から38年前の今日の昼下がりの出来事である。

当時、相当な精神的ショックを受けたことを覚えている。「なぜジョンが撃たれなければならなかったのか」。今でもその想いは変わらない。1980年11月に『ダブル・ファンタジー』をリリースした直後の出来事だった。「It'll be just like starting over」と唄い、その約1ヶ月後、ジョンはこの世を去った。今、振り返っても、この事実がとても無念である。

ジョンに関わるアルバムのリリースと言えば、今年は『Imagine : The Ultimate Collection』(写真左)がある。140曲にも及ぶリミックス、リマスター、ライヴ、アウトテイク等を収録した4CD+2ブルーレイ入りと充実した内容で、『Imagine』の全てがわかるボックス・セットになっている。オリジナルMixと2018年Mixが比較して聴けるのだが、意外とこの「2018年Mix」が良い感じで、僕はかなり気に入っている。

 
John_lennon_imegne
 

12月8日、今年もジョンの命日がやって来た。そして、約3週間後にはクリスマスがやって来る。この季節、僕の頭の中のジョンの曲の流れは「(Just Like) Starting Over」〜「Imagne」〜「Happy Xmas (War Is Over)」。ジョンが亡くなってから、38年経つが、あの頃と世界はあんまり変わっていない。漠然とこの事実が無念である。

 

So this is Xmas And what have you done
Another year over And a new one just begun
And so this is Xmas I hope you have fun
The near and the dear one The old and the young

A very Merry Xmas And a happy New Year
Let's hope it's a good one Without any fear

And so this is Xmas (war is over)
For weak and for strong (if you want it)
For rich and the poor ones (war is over)
The world is so wrong (now)
And so happy Xmas (war is over)
For black and for white (if you want it)
For yellow and red ones (war is over)
Let's stop all the fight (now)

・・・・・・・・・

War is over, if you want it War is over now
Happy Xmas

 
 
東日本大震災から7年8ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。 

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2017年12月 8日 (金曜日)

37回目のジョンの命日である

ジョンの命日である。1980年12月8日 22時50分、自宅アパートのダコタ・ハウス前で、マーク・チャップマンの凶弾に倒れた。享年40歳。レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという。僕は当時、大学3回生。そうか、あれから37年の月日が流れたことになるのか。

今年は「37年」という中途半端な経過年なので、ジョンの命日はほとんど話題になっていない。ちょっと淋しい気がする。それでも、今年も命日を偲んで、ジョンのソロ盤をかけて、ジョンの在りし日を偲んでいる。今年の選盤は、John Lennon『Walls And Bridges』(写真左)。邦題『心の壁、愛の橋 』。1974年9月のリリース。全米1位・全英6位・日本14位を記録。

この盤については、深夜ラジオから流れて来た、当時のシングル盤「Whatever Gets You Thru The Night(真夜中を突っ走れ)」が切っ掛け。僕はこの曲が大好きで、FMからエアチェックして、映画研究部の部室で、必ず一人の時、この曲を大音量で聴いていた。そこへ、先代部長Nさんがヒョッコリと顔を出して「ジョン聴いてんのか」。
 

Walls_and_bridges_1

 
僕は圧倒的にジョンが好きで、先代部長のNさんもそうだった。二人で密かに意気投合し、翌日、僕はこのシングル曲が収録されている『Walls And Bridges』をNさんから借り受けた。当時、ダビングさせて貰ったカセットは、僕にとって、宝物のひとつであった。振り返れば、ほんと必ず二人の時に(時々Muさんが加わる)、Nさんとジョンのアルバムを聴いたなあ。しかし、そのNさんも、もうこの世にいない。

「#9 Dream(夢の夢)」も名曲だと思う。1975年のリリース。全英23位、全米9位を記録。音の丸みと浮遊感が素敵で、それでいて、演奏のメインはしっかりと骨太にアレンジされている。暖かい空気に包まれたような感じの中で、ジョンの印象的なフレーズがクッキリと浮かび上がる。そんなアレンジが秀逸。何度繰り返し聴いても飽きの来ない優れもの。

僕達は、決してジョンを忘れる事は無い。今年のジョンの命日は『Walls And Bridges』で鎮魂。ジョンが亡くなって、37年が過ぎた。僕もあれから37歳、年を取った。しかし、世界の状況は「あの頃」とあまり変わってはいない。ジョンの命日になると、日々の忙しさに追われて忘れていた、ある「疑問」がフッと頭に浮かぶ。「本当に人類は進歩しているのだろうか」。

 
 

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2016年12月 8日 (木曜日)

ジョンの命日がやってきた。

また今年もやってきた。ジョン・レノンの命日。 ニューヨーク、1980年12月8日 22時50分、ジョン・レノンは撃たれた。日本時間にすると、12月9日の12時50分。確かにそうだった。火曜日だった。僕が「ジョンが撃たれた」というテレビのニュースを見たのは、14時だったかと思う。

テレビでは「ジョンが撃たれた」だけで、生死の状態についてのコメントは無かった。僕達は「ジョンが撃たれたって、ほんま、米国って危ない国やなあ」なんて呑気な会話を交わしていて、とにかく「ジョンが死ぬわけが無い」という理由無き確信を持っていた。そして、15時のラジオのニュースでジョンが死んだことを知る。

あの時のショックは決して忘れることは出来ない。あれだけ不条理な死を僕は他に知らない。4年前、自分自身が2度に渡って生死の境を彷徨った経験があるので、死ぬということは、如何に本人にとって辛く悲しい出来事なのか、十分に理解出来る。当時、レノンは40歳。如何に無念であったか。

もともと僕はビートルズの4人の中では、圧倒的に「ジョン・レノン」が好きである。彼の生き様が好きだったし、彼のソロになってからのアルバムも好きだった。当時も今も「ジョンの様に生きたい」と思っているし、ジョンのソロアルバムの全てが好きだ。オリジナル盤もコンピ盤も企画ボックス盤も全てが好きだ。

さて、僕が初めてジョンのソロ盤に出会ったのは『John Lennon / Plastic Ono Band』(写真左)。邦題『ジョンの魂』、略して「ジョンたま」である。1970年12月のリリース。当時、僕は小学6年生。もちろん「ジョンたま」はまだ知らない。そう、僕がこの「ジョンたま」に出会ったのは、高校1年生から2年生になる春休みの事である。
 

John_favorite_albums

 
映研の先代部長Nさんが部室に持ち込んだ。「お前もジョン好きやろ」と聴かせてくれた。NさんとMuさんと3人で聴いた『ジョンたま』。ギター・ドラム・ベースのシンプルな楽器構成(曲によってピアノ・オルガンが入る)。シンプルではあるがビートとメリハリが効いたロックな雰囲気。

歌う内容は「愛だ恋だの惚れた腫れたを歌うより、他にもっと歌わなければならないことがあるだろう」と言わんばかりの硬派な内容。私小説と呼んで良い、最も私的な内容。そして、魂の入ったボーカル。圧倒された。『ジョンたま』を聴き終えた後、言葉が出なかった、動くことが出来なかった。

これぞロック、である。さすがジョン、やっぱジョン。以降、ジョンのソロ盤は外したことが無い。全て所有している。そして、どれもが愛聴盤。ジョンの飾りをそぎ落とした、ソリッドでシンプルなロックは、僕にとって、ロックとは何か、の問いに答えてくれる「ひとつの指針」である。

そうそう、ジョンのベスト盤として、1975年10月のリリース以来、長年愛聴しているのが『Shaved Fish』(写真右)。邦題『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』。まあ、当時、いろいろあって、そのいろいろあった中で、自らを慰め鼓舞してくれた、思い入れの強いコンピ盤である。

米国で発売されていた自身のシングル、もしくはシングル・カット曲を収録しており、僕の好きな曲ばっかりで占められ、しかも、聴き易い順番に並べられている。コンピ盤というより、もう一つのオリジナル盤として評価できる様な、コンピ盤とは思えない「統一感」。アーティスティックなジャケットもお気に入りで、今でも愛聴しているコンピ盤である。

僕達は、決してジョンを忘れる事は無い。今年のジョンの命日は『ジョンたま』と『かつお節』で鎮魂。そして、『かつお節』のラス前「Happy Xmas (War is Over)」で、今年の終わりを感じ、今年を厳かに振り返るのだ。

 
 

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2016年6月20日 (月曜日)

ポールのベスト盤の「ベスト」

先週の金曜日から帰省していて、ブログの更新が滞りました。先ほど、千葉県北西部地方に舞い戻ってきましたので、ブログも再開です。

さて、帰省の往復の電車のまとまった時間の中は、いつもCD複数枚組のアルバムを一気に聴き通す時間に充てていて、今回は、ポール・マッカートニーのベスト・アルバム『Pure McCartney』(写真左)、邦題『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』を一気聴きです。

ポール・マッカートニーがソロ45周年の集大成となるベスト・アルバムになる。今回聴いたのは、CD4枚組のDelux Edition。この「デラックス・エディション」は全67曲、全米・全英トップ10シングル18作(いずれも、9曲が全米No.1獲得)が収録されている、とのこと。

ポールいわく「僕と僕のチームが選曲するにあたって考えたのは、ただただ楽しんで聴けるものにしよう、ということだけだった。例えば、長旅の車中、自宅でくつろぎたい晩、または友人とのパーティーなんかでね」というのが今回のベスト・アルバムのコンセプトとのこと。

続けて「だから僕たちは知恵を絞って、僕の長く曲がりくねったキャリアのさまざまな時期から、多種多様な選曲リストを出し合った。キャリアという言葉はちょっと相応しくないかな。なぜなら僕としては、“仕事"をしてきたというよりも、音楽の冒険を続けてきたという感じだから」。うむむ、ここまでくると、ポールの話は「胡散臭い」(笑)。

とにかく、確かにこのベスト盤の選曲はなかなか良く出来ている。聴いていて楽しい選曲というのはとても良く判る。ただ、ポールのキャリアの中で困るのは、聴いていて楽しい曲というのが、1980年以降、急速に少なくなっていったってこと。やっぱり、ポールの楽しい曲が沢山あった時期は1970年代ということになる。
 

Poul_mccartney

 
これは全くの私見なので聴き流して欲しいのだが、ポールがポールのメロディーメーカーとしての才能を最大限に発揮して、今回のベスト盤の特色である「楽しんで聴ける曲」が出来たのは、ジョンの存在があったからではないかと睨んでいる。

生前、ジョンが全くポールの相手をしていない時のポールの曲は確かに冴えない。皮肉タップリの曲でジョンがポールをいじりはじめると、いきなり「楽しんで聴ける曲」が出てきた。そして、ジョンとの仲が修復されたら、あの「ウィングス時代」の大ヒット曲のオンパレード。

しかし、ジョンが死んで、ポールの曲はポールの曲らしからぬ「シリアスな曲」が増えた。「シリアスな曲」とは「聴き応えのある曲」である。シリアスな曲はジョン、楽しんで聴ける曲はポール、そういう役割分担が「レノン=マッカートニー」ではなかったか。ジョンに触発されポールはその才能を発揮する。ポールにとってジョンは無くてはならない存在だったのだろう。

この今回のオール・タイム・ベストを聴いて、そんな「私見」をふと思い出してしましました。やはりジョンの「いない時代」のポールの曲には「聴いていて楽しい曲」が少ない。いわゆる「楽しんで聴ける曲」が少なくなった。そういう意味では、1970年代のポールの楽曲は「聴いていて楽しい曲」ばかりだ。

曲が年代順ではなくランダムに収録されているのもグッド。僕にとっては年代順だと、先の「私見」が頭にちらついて、どうもいけない。ランダムに収録されているからこそ、アルバム全体の「聴いていて楽しい曲」の密度が平準化されている。このベスト盤はそういう意味で、ポールのベスト盤として「ベスト」だろう。

 
 

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2015年12月12日 (土曜日)

ジョンの命日に思いを馳せる

気がつけば、今日は12月12日。もう既に今年も後20日を切った。今年は温かい冬の始まりで、昨日などは東京では最高気温が20度を超えたとのこと。史上3番目に大きいエルニーニョが発生しているとかで、今年は久し振りに暖冬になる確率が高い。

12月は僕にとって特別な月である。自分の人生において「決して迎合しない、自分の人生はできる限り自分でコントロールする、決して長いものには巻かれない」と強く思い、それが自分の信念として定着した衝撃的な事件が起きた月である。

「1980年12月8日、22時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した。2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「撃たれた! (I'm shot!) 」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。(Wikipediaより引用)」。

そう、ジョン・レノンが殺害されたのが「12月8日」。今年で35年になる。存命であれば、来年の2016年は75歳となる年。もうそんなに年月が経ってしまったのか。1980年当時、僕は22歳。大学3回生で、ジョンが狙撃された事件は大学生協の電化製品売り場のラジオ放送で知った。そして、ジョンの逝去をテレビの緊急ニュースで知った。

当時、ジョンのプライベートに関してはあまり感心しなかったが、彼の思想、音楽性については、大いに影響を受けていた。その精神的支柱的ミュージシャンが、全く関係の無い赤の他人に撃たれて、あっと言う間に生命を奪われた。しかし、まだ40歳の若さである。相当強い虚しさに襲われた。当時、相当にショッキングな事件だった。

さて、そのショッキングな事件を境に、自分の人生の信念を固めたわけだが、人生の節目節目において、ジョンの曲は常に僕を励まし、癒し続けてくれている。そんな彼の曲の中で、一番好きな曲が「Mind Games」。同名のタイトルアルバム、ジョンの4枚目のオリジナルアルバムである『Mind Games』(写真左)の冒頭の1曲目である。

この曲は僕の「人生の応援歌」である。「Imagene」も良いが、僕にとっては、この「Mind Games」が絶対的存在である。アルバムは1973年のリリース。「ヌートピア宣言」という邦題の為、社会性の強いメッセージ・ソング集のような誤解を受けがちなアルバムですが、そんなことはありません。ジョンのアルバムの中で一番優しいアルバムだと思います。
 

Mind_games

 

We're playing those mind games together
Pushing the barriers planting seeds
Playing the mind guerilla
Chanting the Mantra peace on earth

We all been playing those mind games forever
Some kinda druid dudes lifting the veil
Doin' the mind guerilla
Some call it magic the search for the grail

Love is the answer and you know that for sure
Love is a flower you got to let it, you got to let it grow

So keep on playing those mind games together
Faith in the future, out of the now
You just can't beat on those mind guerrillas
Absolute elsewhere in the stones of your mind

 

僕たちはみんな精神の試行錯誤を繰り返している
固い壁を突破したり、そこに新たな種を植えたりしながら
意識革命をしているんだよ
地球に平和を!というマントラを唱えながら

僕たちは、これからも思考実験をくり返すだろう、
みんな永遠にね
ドルイド教の司祭のような男もベールを剥げば、
自分の精神と格闘している
魔術とか、聖杯探しなんて意味がないとか言われながら

愛こそが「答え」だって、君にはよくわかってる
愛は、君が育てて、君が咲かせる「花」なんだって

だから、一緒に思考することを続けていこう
これから生み出される未来を信じて
自分自身の精神を革命しようとする人々を、
攻撃するなんてできないよ
意志の力は、何よりも強いんだから

 

自分については、50歳を過ぎて54歳で生死の境を彷徨い、ジョンとは違って幸運にも生き存えている。今ではジョンの生き様や音楽的成果を丸ごと受け入れることが出来る様になった。振り返ってみて、彼が、歴史上、偉大なミュージシャンの一人だったことは疑う余地は無く、その生き様はとても「人として誠実」だったと感じている。

 
 

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2015年1月22日 (木曜日)

ポールの2007年のライブ音源

昨年の12月になるが、ポール・マッカートニーのライヴ・アルバム『BBC Electric Proms 2007: Paul McCartney (Live)』(写真左)がDL発売された。

このポールのライブ音源は、2007年10月にロンドンのラウンドハウスで行われたBBC主催のフェス<Electric Proms 2007>のライヴ音源。2007年というと、ポールは『追憶の彼方に〜メモリー・オールモスト・フル』(Memory Almost Full)』をリリースした年。今から7年ほど前の音源になる。

7年ほど前と言えば、ポールは65歳。65歳で、しかも『Memory Almost Full』をリリースした年ということを思いながら聴くのだが、このライブ音源でのポールの声は荒い。ちょっとガラガラという感じ。声の伸びもちょっとしんどいし、ふらつきもある。僕は、このライブ音源は、ほんの最近のものなのか、と思い違いをしたくらいだ。

バックの演奏も粗い。今までのポールの単独ライブ盤のバックの演奏を振り返ると、相当に粗い。音質もまずまずではあるが、優秀というレベルでは無い。それではあんまり良くないのか、と問われれば、う〜ん、まずまずではあるが、素晴らしいというレベルでは無い、という感じだろうか。

ライブ盤としての編集も粗くて、曲間はブツ切れになる。それでも、今まではブートで出回ってはいたものの、正式な音源としては今回が初めてのリリースで、ポールのファンにとっては嬉しいダウンロード配信ではある。
 

Paul_bbc_electric_proms

 
1 Magical Mystery Tour
2 Flaming Pie
3 Got to Get You into My Life
4 Dance Tonight
5 Only Mama Knows
6 Blackbird
7 Calico Skies
8 Eleanor Rigby
9 Band on the Run
10 Back in the USSR
11 Live and Let Die
12 Baby Face
13 Hey Jude
14 Let It Be
15 Lady Madonna
16 I Saw Her Standing There
17 Get Back

 
収録曲は、上記の通りになる。ビートルズ時代の曲がちょっと目立つ。ラストの5曲は思いっきり有名なビートルズ曲で占められ、皆で歌おうぜ、というのも解らないではないが、ちょっと俗っぽく過ぎるのでは無いか、と思う。ポールって、ビートルズ解散以降、ソロになってからも良い曲が多々あるのだから、もう少し、選曲に気を遣っても良いのではないかなあ、と思ってしまう。

ネットでは概ね評判・評価は上々なのが、ちょっと意外。ポールのファンの方々には、このDLライブ音源は一度は聴いておきたいものではあるが、一般の方々には、2000年代のポールのライブ音源なら、他のCDでリリースされたライブ音源の方が良いと思う。

 
 

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2014年12月 8日 (月曜日)

今年もジョン・レノンの命日に想う

1980年12月8日。ジョン・レノンの命日である。実際にジョンの死亡が確認されたのは、ニューヨークで、1980年12月8日23時07分。日本と14時間の時差があるから、正確には、日本では1980年12月9日の13時07分となる。

当時、僕は大学3回生。日本時間の12月9日、大学生協の電気屋で「ジョンが撃たれた」という報に接し、何が起きたのか、上手く理解出来なかった。まあ、ジョンが死ぬはずが無いよ、と軽く思い直して、午後からの授業に出た。そして、授業が終わって、カセットテープを買って帰ろうと、大学生協の電気屋に戻った。そして、FM放送の緊急ニュースにて「ジョンが死んだ」ということを知った。

世の中には思いもよらぬ不条理な出来事が起こるのだ、ということを痛感した。34年経った今でも、あの時の強烈な「喪失感」は忘れられない。56年間の我が人生の中で、今でも生涯最大の「喪失感」である。今でも、大事な何かを失ってしまった感覚は、胸の中に強く残っている。

さすがに50歳を過ぎて、生前はいろいろとあったが、そのジョンの生き様や音楽的成果を丸ごと受け入れている。振り返ってみて、彼が、歴史上、偉大なミュージシャンの一人だったことは疑う余地は無く、その生き様はとても「人として誠実」だったと感じている。

ビートルズの4人のうち、二人が鬼籍に入り、二人は俗世に生きている。

ジョンは生粋のロックンローラーだったと思う。自分の音楽が世の中に受けようが受けまいが、最終的には気にしていなかったのではないか。自分の感性のまま、自分の思いを入れ込んで、曲を作り歌を唄う。自分の気に入った曲が名曲であり、世の中に受け入れられた曲は必ずしも名曲では無かった。

ポールはどうやって自分の曲が世の中に受け入れられるのかを常に考えた。その為には、自分の感性をねじ曲げ、自分の思いを入れ替えてまで、世の中に受け入れられる曲を追求した。つまりは、演奏して唄える「職業作曲家」であった。ジョンのやらないことやり、成功することで心の平穏を得ている様な活動の数々。
 

John_lennon_glasses

 
ジョージは「普通に優れた音楽家」だった。悪い意味では無い。時に良い曲を書き、時に良い詩を書き、時に良い内容のアルバムを残した。ポールの様に、世の中に受け入れられる曲を追求した時代もあるし、ジョンの様に、自分の感性のまま、自分の思いを入れ込んで、曲を作り歌を唄う時代もあった。ジョージのあこがれの存在は、ジョンであり、ポールであった。

リンゴはエンタテイナーである。いかに皆を楽しませるかに気を配る。ドラマーとして超一流の腕を持ちながら、ドラマーとしての道を選ばなかった。リンゴのドラムの優秀性を誰よりも理解していたのはジョンであった。ジョン以上にリンゴのドラムを理解しているミュージシャンはいない。ジョンの亡きこの世にて、リンゴはドラマーとしての道を歩もうとはしない。皆を楽しませる為だけにドラムを叩く。

ジョンはあの世でジョージと共に、この俗世の状況をどう見ているんだろう。今でも、リアルタイムで体験したジョンの命日を思い出す。あの時のやるせない気持ちは今も忘れない。決して忘れることは無い。今までもこれからも。そして、あと2週間もすれば、クリスマスがやってくる。

So this is Christmas
And what have you done
Another year over
a new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young

A Very Merry Christmas
And a Happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

「Happy Xmas (War Is Over)」
Christmas song by John Lennon, Yoko Ono.

 
 

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2013年12月15日 (日曜日)

ポールの「あるべきデビュー」盤

ビートルズの呪縛から逃れるために、もう一つは、天才ジョン・レノンという呪縛から逃れるため。ポールは過剰なまでに、この2つの呪縛を強く意識し過ぎて、自らの才能を封じ込めてしまった1970年代前半のポール。『Wild Life』までの音楽的成果は「ちょっとこれはなあ」という課題だらけのものだった。

しかし、ポールはこのままで終わらなかった。なんだか、開き直りの精神が芽生えたのか、ゴツゴツしたロックの精神を捨て、ポップで楽しいあっけらかんとした、メロディ・メーカーとしての道を歩み始めてから、ポールの世界は一変した。

前のアルバムの『Wild Life』で完全にこけたポールは、さすが、マズイと思ったのか、かなり、気合いを入れてアルバムを作り始めた。とにかく、『Wild Life』が、受けなかったので、なりふりかまわず、Paul McCartney & Wingsの個性を追求し始めた。

その最初の成果が「Live and Let Die(007死ぬのは奴らだ)」のテーマだろうし、シングル・ヒットした「Hi,Hi,Hi」だったろう。この2曲は、今までの『ビートルズの幻影とジョンの幻影を過剰なまでに感じている』ポールではなく、純粋に『希有なメロディー・メーカー』のポールのみが、そこにいる感じなのだ。とにかく、この2曲は今までの雑念が見え隠れしないのだ。
 

Red_rose_speedway

 
そして、満を持して世に出したアルバムが、この『Red Rose Speedway』(写真左)。しょっぱなから、なかなか練られた曲調で幕を開ける。2曲目の「My Love」は、甘すぎるバラードであまり感心しないが、3曲目以降は、今までのポールのソロの世界と全く異なった、「メロディー・メーカーのポール」の面目躍如とも言える佳曲が次々と続く。

特に、最後のメドレーは、それぞれが独立していても遜色ない佳曲が畳みかけるように耳に飛び込んでくる。このメドレーこそが、ビートルズの幻影とジョンの幻影を振り切って、本来のポールの個性が輝き始めた証ではないだろうか。確かに、このアルバムでポールは、ポール独自の個性と特性を正確に掴み、表現できるようになったといえる。

ただ、このアルバム、先に挙げた「Live and Let Die(007死ぬのは奴らだ)」や「Hi,Hi,Hi」という、出来の良かったシングル・ヒット曲は含まれておらず、少々地味なバラードタイプの曲が多く選曲されている為、ややメリハリに欠け、名盤と呼ばれるだけの風格に欠ける。これが実に惜しい。

しかしながら、次作を期待できるだけの「Something(何か)」が十分すぎるほど輝いている。そういう意味で、ポールはこのアルバムで、ようやくポールの個性に相応しい「あるべきデビュー」を飾ったと言える。 

 
 

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2013年12月14日 (土曜日)

ポールのライブ盤の最高傑作

今年の11月、ポール・マッカートニーが来日した。「PAUL McCARTNEY OUT THERE JAPAN TOUR」と銘打たれた今回の来日公演は、ポールがソロになって4回目の来日公演であった。

6月18日に71歳の誕生日を迎えたポールではあるが、各地でなかなか精力的なライブ公演を展開したようで、まだまだ意気盛ん、とりあえず、暫くは一安心なポールであったようだ。テレビやネットの動画を通じて、日本公演の一端に触れた印象では、さすがに声の調子は若い時のようにはいかないようだが、随所に渡るプロフェッショナルな演奏はさすがである。

ポールは今までにライブ盤を何種類か出している。どれもが大変出来の良いもので、収録したその時代、その時代のポールが楽しめる。廃盤になって手に入らない盤もあるみたいだが、これらは常に入手出来る様にしておいて欲しいものだ。

さて、ポールのライブ盤で、今までで一番印象に残っている盤と言えば、やはり、Paul McCartney & Wings『Wings Over America』(写真左)だろう。このライブ盤は、1976年12月にリリースされた、リリース当時、LP3枚組の途方も無いボリュームのライブ盤であった。

このライブ盤は、タイトルからも判る通り、1976年5月より『Wings Over America』と題された、大規模なアメリカ・ツアーを行った際のライブ演奏を収録したもの。このツアーは大成功を収めた歴史的なツアーで、26都市で31公演を行い、ツアー全体では約60万人を動員した。

このライブ盤は、このアメリカ公演のライブ音源の中から、ベスト・テイクをチョイス〜編集したもので、ビートルズ・ナンバー5曲を含めた全28曲が、LP3枚組のヴォリュームで収録された。レギュラーCDでは2枚組になったので、どうもしっくりこない(笑)。

日本でのみ限定発売された「紙ジャケCD」ではLP時代の3枚組が再現され、僕は、この紙ジャケCDをPCにリッピングして聴いていた。やはり、このライブ盤を聴くには、LP時代の3枚組構成の曲順、曲割りを踏襲したいのだ。
 

Wings_over_america

 
が、今年の5月に、このライブ盤がリマスター&リイシューされた。2枚組構成なのは残念だが、リマスターされた音は良好で、一般の方々にとっては買いだろう。このライブ盤を聴いたことが無い方々は、今回のこのリマスター&リイシュー盤を聴いて欲しい。

同時に、限定のボックス盤(写真右)も登場し、こちらは、LP時代の3枚組が再現されており、ボートラとして、サンフランシスコのCow Palaceでレコーディングされた8曲を収録。同梱のDVD『Wings Over The World』が実に良い、というか、面白い。当時のポールの勢いやノリが良く判る。

さらに、リンダが撮影した写真によるフォト・ジャーナルや小冊子など、マニア垂涎の「おまけグッズ」がてんこ盛り。加えて、ハイレゾ音源(24bit/96kHz)の無料ダウンロード券がついており、ちょっと高価ではあるが、マニアの方はとっては、このボックス盤は買いである。

このボックス盤を手に入れて、ハイレゾ音源をダウンロードして以来、この『Wings Over America』は、ハイレゾ音源でのPCオーディオ環境でのアルバム鑑賞に変わった。これがまあ、24bit/96kHzの素晴らしい音なのだ。

ポールのベースの音がクッキリ、そのラインまで良く聴きとることが出来て、1970年代のライブ音源でありながら、楽器毎の分離が良く、音の拡がりが良く出て、その会場でのライブ感を感じることが出来る。これはCDの環境では体感できにくかったことだ。ハイレゾ音源、恐るべしである(笑)。

この『Wings Over America』でのポールの声の若々しいこと。このライブ盤でのポールのボーカルは絶好調で、張りがあって、コクがあって、とにかく若い。これがポールのボーカルの凄さであり、素晴らしいところである。

ちなみに、この『Wings Over America』は、1976年リリース当時から、この2013年にリマスター&リイシュー盤が出るまで、邦題は『ウイングス U.S.A. ライヴ !!』であったが(僕達はこちらの方が親近感があるが)、今回、邦題も『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』に変更、統一された。

 
 

大震災から2年9ヶ月。決して忘れない。まだ2年9ヶ月。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。 

Never_giveup_4

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