セシル・テイラーの発掘音源
僕の中で一定周期があるのか、振り返ると3ヶ月に1回程度のスパンで「フリー・ジャズを聴きたい週間」が巡ってくる。フリー・ジャズも立派なジャズ演奏の一形態なので、ジャズ者であるならば、しっかり聴かねばなるまい、と思っている。「あんなのジャズじゃねーよ、ジャズは4ビートさ」という硬派なジャズ者の方々もいるし、「あんなの音楽じゃねえ」とバッサリ切り捨てるジャズ者初心者の方々もいる。
でもなあ、フリー・ジャズとは言っても、一定の決まり事を踏まえたもので(一定の決まり事が無いと音楽として成立しない)、無手勝流に、演奏者それぞれが好き好きに楽器を鳴らせば良い、という訳では無い。フリー・ジャズって、①音階(キー)から、②コードあるいはコード進行から、③ハーモニーから、④リズムから、の束縛から逃れたインプロのことで、この「束縛」から逃れておれば、調性音楽でも「フリー・ジャズ」として成立する。
Cecil Taylor『The Complete, Legendary, Live Return Concert』(写真左)。1973年11月4日、NYの「Town Hall」でのライヴ録音。ちなみにパーソネルは、ちなみにパーソネルは、Cecil Taylor (p), Jimmy Lyons (as), Sirone (b), Andrew Cyrille (ds)。2022年のリリース。当時コロンビア大学の学生が、録音のために借りた機材を使用したプライベート録音が音源とのこと。
収録曲は3曲しか無い。①「Autumn/Parade」 (quartet) – 88:00 ②「Spring of Two Blue-J's Part 1」 (solo) – 16:15, ③「Spring of Two Blue-J's Part 2」 (quartet) – 21:58。
しかし、1曲目の「Autumn/Parade」などは、演奏トータルで88分の長尺。カルテットの演奏だが、①音階(キー)から、②コードあるいはコード進行から、③ハーモニーから、④リズムから、の束縛から逃れたインプロを、約1時間半の間、マンネリの陥ること無く継続するのだ。この演奏を可能とする演奏者の体力とエネルギー、そして、演奏についてのイマージネーションについては驚くべきものがある。
収録されたフリー・ジャズな演奏、3曲とも「爽快」である。①音階(キー)から、②コードあるいはコード進行から、③ハーモニーから、④リズムから、の束縛から逃れた「調性」と「無調性」が入り乱れた演奏だが、ビートについてはポリリズムによる従来リズムからの解放が感じ取れるし、混沌とした無調なフレーズの連続だが、切れ味と疾走感が抜群で、停滞感やマンネリ感は皆無。カオスな演奏がどこか規律を持ったか如く、即興性溢れる、ひとつの音楽として収束している、そんな見事なフリー・ジャズなパフォーマンスを聴かせてくれる。
セシル・テイラーのフリー・ジャズって、以前からお気に入りで、例の「フリー・ジャズを聴きたい週間」でちょくちょく聴くのだが、この今回のライヴ盤は昨年のリリースで、久し振りのセシル・テイラーの新盤にちょっと興奮したのを覚えている。
フリー・ジャズって、確かに難解なので、ジャズ者初心者の方にはまずお勧めしない。でも、ジャズを聴き続けて行く中で、避けては通れないジャズ演奏の一形態ではある、と僕は思っている。なぜなら、フリー・ジャズは、モード・ジャズと並んで、ジャズの「即興演奏」を的確に表現するジャズ演奏の一形態だと思うからである。即興演奏の無いところにジャズは無い。
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