好調な70年代JM 『Child's Dance』
The Jazz Messengers(ザ・ジャズ・メッセンジャーズ)は、1954年から翌年にかけて、後に単独リーダーとなったアート・ブレイキーがホレス・シルヴァーと結成。1956年のシルヴァー脱退後、リーダーのブレイキーが1990年に亡くなった時点で活動終了とするまで、35年以上に渡って存在したジャズ・コンボである。
もともとこのジャズ・メッセンジャーズは、1950年代後半、ベニー・ゴルソンを音楽監督として迎えた時期に「モーニン」「ブルース・マーチ」などのヒットを放った老舗ジャズ・コンボ。1960年代半ばまで、コンスタントに充実したアルバムをリリース。しかし、ジャズがロックやポップスに押されて人気に翳りが見え始めたのに応じるかのように、1960年代後半から徐々に調子を落としていった。
しかし、今の耳で聴き直してみると、ジャズ・メッセンジャーズは何時の時代も、その時代時代の若手精鋭をメンバーにして、充実したハードバップを展開しているのだ。これにはいつも感心する。リーダーのブレイキーの見識と矜持、そして指導力の賜だろう。そして、そのリーダーの指導と方針に応えるメンバーも素晴らしい。そう、ジャズ・メッセンジャーズは何時の時代も、優れたハードバップ集団だったのだ。
Art Blakey & the Jazz Messengers『Child's Dance』。1972年の作品。ジャズ・メッセンジャーズらしく、当時の若手精鋭が参加していて、溌剌したハードバップが展開されている。ちなみにパーソネルは、Art Blakey (ds), Woody Shaw (tp), Buddy Terry (ss), Ramon Morris (ts, fl), Manny Boyd (fl), George Cables (p, el-p), John Hicks (el-p), Mickey Bass, Stanley Clarke (b), Ray Mantilla, Emanuel Rahim (congas), Nathaniel Bettis, Richie "Pablo" Landrum, Sonny Morgan (perc)。
ウッディ・ショウの伸びの良い、溌剌としたトランペットが良い。スタンリー・クラークのウォーキング・ベースが強烈だ。キーボードの2人とサックス+フルート部隊の3人は「必死のパッチ」(笑)。若々しくて良いでは無いか。ブレイキー御大はいつも通り、フロント隊、キーボード、ベースとバンド全体を鼓舞し続ける。この時期の御大は「バックに回ってしっかりと支える」ように鼓舞する。これが良いバランス。
ジャズ盤紹介本やジャズ雑誌からは全く顧みられない1970年代のArt Blakey & the Jazz Messengersであるが、聴いてみると、どれも味のある、溌剌とした「ハードバップ」をやっている。ハードバップではあるが音が若々しい。それは、ジャズ・メッセンジャーズが若手ジャズマンの登竜門的コンボの位置づけで、何時の時代も若手有望株がメンバーになって、必死に鍛錬を積んでいるからである。
東日本大震災から8年9ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
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