フィニアスの初リーダー作である
若かりし頃、僕はこの人のピアノがちょっと苦手だった。弾き回すフレーズはどれもがハイテンション。パフォーマンス全てに緊張感が漂う。その緊張感がどこか普通のニュアンスと違う。ちょっと妖気漂う様な緊張感。触れば切れそうな、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた音のエッジ。聴いていて、そのテンションの高さゆえ、耳が疲れてくる。
彼のテクニックは素晴らしい。好調であれば、恐らくバド・パウエルに比肩する、もしくは部分的に凌駕するのでは無いか。しかし、この好調な時期は、バド・パウエルのそれより期間が短い。よって、彼の好調時を捉えたリーダー作が数少ないのも仕方が無い。その彼とは「Phineas Newborn Jr.(フィニアス・ニューボーン・ジュニア)」。ここではフィニアスと呼ぶ。
フィニアスは「ジャズシーンにおけるゴッホ」と形容されることがある。フィニアスとゴッホとは、生前認められないという焦燥感から精神に異常をきたしたということが悲しい類似点がある。その悲しい類似点が「妖気漂う緊張感」を醸し出し、異常なまでに研ぎ澄まされた緊張感を引き出したと言える。そんな背景を全く知らないまま、僕はフィニアスのピアノに出会った。
Phineas Newborn Jr.『Here Is Phineas』(写真左)。1956年5月の録音。ちなみにパーソネルは、 Phineas Newborn Jr. (p), Calvin Newborn (g), Oscar Pettiford (b), Kenny Clarke (ds)。フィニアスのソロとトリオ演奏とギター入りのカルテットの演奏で構成されるフィニアスの初リーダー作である。
聴けば判るが、この盤の「鑑賞ポイント」は、フィニアスのピアノの個性を愛でる、その一点に尽きる。トリオ&カルテットの演奏もあるが、バックの演奏は完全に「付け足し」である。極端に言えば「無くても良い」。それほどフィニアスのピアノは凄い。基本は「ビ・バップ」。バド・パウエルを彷彿とさせるが、この盤でのフィニアスはパウエルのピアノよりも整っていて、流麗である。いわゆる「無敵のバップ・ピアノ」。
この初リーダー作を聴く限り、フィニアスのピアノは「素晴らしい」の一言。妖気漂う緊張感と研ぎ澄まされた音のエッジはもうこの初リーダー作に聴くことは出来るが、「狂気」という禁断の領域には踏み込んでいない。天才バップ・ピアニストの姿が正確に記録されている。「メジャーになりきれなかった天才」の初々しいパフォーマンスに思わず耳を傾ける。フィニアスの個性が溢れている好盤です。
東日本大震災から7年6ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
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