春はスピリチュアル・ジャズ
昨日、アルバート・アイラーの初リーダー作について語った。アルバート・アイラーのテナーはフリーでもなければ、アブストラクトでもない。しかし、明らかに「スピリチュアル」である。心揺さぶられる様な、心を鷲掴みにされる様な、スピリチュアルなテナーの嘶き。
アイラーのテナーはフリー、フリーと言われるが、今の耳でしっかり聴けば、しっかりと伝統的なジャズに根ざした演奏である。しかし、フレーズの取っ掛かりが、それまでの常識とは異なるところから始まるので、限りなく自由度の高さを感じるパフォーマンスになっている。つまりは当時のジャズ・アドリブの既成概念を取っ払ったユニークさを大いに湛えたブロウと言える。
Albert Ayler『Goin' Home』(写真)。1964年2月の録音。ちなみにパーソネルは、Albert Ayler (ts, ss), Call Cobbs (p), Henry Grimes (b -2,4/7), Sunny Murray (ds -2,4/7)。パーソネルを見渡してみると、この盤って、アルバート・アイラーのテナーに絞って愛でる、そんな盤ではないか、と予想する。ちょっとワクワクする。
冒頭のタイトル曲「Goin' Home」を聴く。邦題は「家路」。ドヴォルザークの交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』の第2楽章 Largoのイングリッシュホルンによる主部の主題。「遠き山に日は落ちて」などの愛唱歌に編曲されている。夕方5時になると、地方のあちこちで有線放送で鳴り響く「懐かしの」旋律。ちょっと俗っぽくて、旋律そのままに吹くと、聴いている方としてはちょっと気恥ずかしくなるような曲。
そんなポピュラーな大衆曲を、アイラーは「スピリチュアル」に吹き上げる。それまでの常識とは異なるところからテーマのブロウが始まる。そんなユニークな主題の流れから、これまたユニークな旋律によるアドリブ展開。この当時のジャズ・アドリブの既成概念を取っ払った、ユニークな展開が明らかに「フリー」である。心の趣くまま、気の向くままのブロウではない。伝統に根ざした、それまでのアドリブの既成概念を取っ払ったブロウ。
2曲目以降の選曲を見て、昔の評論を思い出す。この盤、アイラーとしては異色作と言われていて、黒人霊歌ばかりをストレートに演奏している。そう黒人霊歌ばかりを演奏しているところが僕にとって「ツボ」なのだ。米国ルーツ・ミュージックをベースにしたジャズ。これが良い。そして、それを「スピリチュアルな」テナーで吹き上げる。じっくり聴いて、ほんのり感動の好盤である。
震災から6年。決して忘れない。まだ6年。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっとずっと復興に協力し続ける。
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