春はフリー・ジャズが似合う
ここ千葉県北西部地方でも桜がほぼ満開状態になった。今年もやっと春らしい日になってきた。今年はなかなか暖かくならなくて、先週まで、通勤の朝なんて寒いまま。冬のダウンコートが手放せなかった。昨日、やっとのことで春先のハーフコートに替えたくらいだ。
この春の桜の季節、この桜が散り出す頃。陽光麗らかな春の暖かい季節の中、ふっと悲しくなるような、ふっと侘しくなるような、そこはかとない「寂寞感」に襲われることがある。散る桜を見ながら、ふっと涙してしまう様な、胸が締め付けられる様な「寂寞感」。そんな寂寞感の中に潜む「狂気」。この季節はそんな「春の狂気」を感じる瞬間が時々ある。
そんな桜が散り出す季節、ジャズ盤の鑑賞について、フリー・ジャズが解禁になる。これって僕だけかもしれないんだが、春になるとフリー・ジャズが聴きたくなる。冬は陽射しが弱くて寒くて、そんな時、フリー・ジャズを聴いたら「鬱々」してしまうので、基本的には聴かない。夏は暑苦しくていけない。秋は寂寞感が増幅されてそれどころではなくなるので控え気味。
春はフリー・ジャズが似合う。この季節の持つ「春の狂気」がフリー・ジャズを聴きたい感覚を刺激するのかもしれない。ということで、今日は『My Name Is Albert Ayler』(写真左)を選択する。1963年1月の録音。ちなみにパーソネルは、Albert Ayler (ts,ss), Niels Brosted (p), Niels-Henning Orsted Pedersen (b), Ronnie Gardiner (ds)。
この盤はフリー・ジャズの盤として紹介されることが殆どだが、今の耳で聴くと意外と伝統的なジャズの中でインプロビゼーションが展開されていることに気付く。リズム&ビートについてもしっかりとジャズの基本を踏まえたもの。アブストラクト度合いも軽度なもので、フリーな度合いも穏やかなもの。今の耳では、この演奏は正統な「純ジャズ」として聴くことが出来る。
しかしながら、この盤の収録曲、スタンダードの「Bye Bye Blackbird」「Billie's Bounce」を聴けば、テナーのアドリブ・フレーズの展開の仕方がユニークなのが良く判る。それまでに無いところを基音にして、モーダルな展開をするユニークさ。そのユニークさを以てしても、この演奏は明らかに自由度の高い「純ジャズ」。
フリーでもなければ、アブストラクトでもない。しかし、明らかに「スピリチュアル」である。心揺さぶられる様な、心を鷲掴みにされる様な、スピリチュアルなテナーの嘶き。それは「Summertime」「On Green Dolphin Street」を聴けば良く判る。それまでに無い、気持ちのこもったスピリチュアルなブロウ。決してアブストラクトには傾かない。伝統的な枠をはみ出しそうで、はみ出さない、絶妙なブロウ。
アイラーのテナーのテクニックは正統派。だからこそ、ユニークなアドリブ・フレーズの展開が可能になる。この季節の持つ「春の狂気」にピッタリなスピリチュアルなアイラーのテナー。心揺さぶられ、そこはかとない寂寞感に襲われる。しかし、この春の暖かさの中、ネガティブになることは無い。春の狂気を感じつつ、スピリチュアルなブローにジャズの持つ「妖気」感じる。これが楽しい。
震災から6年。決して忘れない。まだ6年。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっとずっと復興に協力し続ける。
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