チャールス・ロイドを振り返る
チャールス・ロイドはある日突然現れた。とある先進的なピアノ・トリオに恵まれたことが切っ掛けである。1967年、このアルバムでいきなり脚光を浴びた。Charles Lloyd『Forest Flower』(写真)。録音は1966年9月、NYとカリフォルニアのMonterey Jazz Festivalでのライブ録音。
ちなみにパーソネルは、Charles Lloyd (ts, fl), Keith Jarrett (p), Cecil McBee (b), Jack DeJohnette (ds)。とある先進的なピアノ・トリオとは、ピアノのキース・ジャレット、ベースのセシル・マクビー、ドラムのジャック・デジョネット。このライブ盤を聴いたら、その先進的な音が良く判る。
荒削りだけれど、その響きは確かに新しい。たまにマンネリに陥ったり、アドリブが破綻したりするが、このトリオの音は凄い。米国ルーツ・ミュージックの様々な響きを織り交ぜた、ナチュラルな響き、モーダルな流れ、ファンクネスとは対極にある「フォーキー」な響きを宿したピアノ。
その新しい響きを宿したピアノに絡み、支えるベース。そのベース・ラインは決してジャジーでは無い。ジャジーなラインに全く拘らない、モーダルなベース・ライン。それまでの純ジャズには無かった音である。そして、ポリリズム溢れるドラム。ポリリズミックなドラミングが、ピアノとベースに絡み、鼓舞する。
実は僕にとって、この頃のチャールス・ロイドのアルバムって、彼のテナーは二の次、この先進的なピアノ・トリオがお目当てだったのだ。ジャズ者初心者の頃、チャールス・ロイドのテナーについては、あまり好意的に感じなかったが、このキース、マクビー、デジョネットのトリオの音は聴いていて心地良かった。
肝心のチャールス・ロイドのテナーって、どうよ、ということだが、僕にとっては「判り易いコルトレーン」もしくは「こじんまりしたコルトレーン」、言い換えれば「期待を裏切らない、予想を外さないコルトレーン」。どうにもコルトレーンのコピーのイメージがつきまとう。アブストラクトにも振る舞うんだが、徹底的に、ということは無く「安全運転のコルトレーン」。
聴き易いんだけどなあ、判り易いし予想し易いだけどなあ。でもどこか乗りきれないというか、のめり込めないというか、軽いというか、何かが足らない。但し、フラワー・ムーブメントに乗った、胡散臭い一発屋という風には最近は思わなくなった。しかし、この頃のロイドはなんか中途半端なのだ。その中途半端さを払拭し、個性的な説得力を獲得するのは21世紀になってからになる。
当時、アーティスティックではあるが、難解になっていったジャズに対する反動だったのだろう。1967年当時、この判り易いロイドのテナーは、ジャズ者にとっては「福音」だったのだろう。当時、絶大なる人気を獲得したのはよく判る。時代にマッチしたテナー・カルテットだった。確かに今の耳にも聴き易い。好盤と言えば好盤ではある。
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