ボブ・ディランを聴き直す。
1970年代、高校生だった僕は、ボブ・ディランが理解できなかった。しわがれ声でフレーズを崩して唄うスタイル、当時の最新の楽器とは異なる、トラディショナルな響きが中心のサウンド。アコースティック・ギターを活用したフォーキーな展開。いずれも、高校生の僕にはディランの「意義」、そしてディランの「価値」が理解出来なかった。
大学時代には、ディランは、1970年代の終わりから80年代にかけてキリスト教に傾倒、そのアルバムにリアルタイムに遭遇し、宗教に連携したロックなんて、ということで意識的に敬遠した。で、それ以降、21世紀に至るまで、ボブ・ディランを聴き直すことは無かった。
しかし、2012年、自ら生命の危機に遭遇して以来、1970年代ロックをマニアックに聴き楽しんで来たが、ロックを聴いてきた以上、その源のひとつと目されるディランを避けているのはいかがなのもか、と思い出した。
そんなところに、2013年11月、『Bob Dylan : Complete Columbia Albums Collection』(写真)が発売された。ディランのスタジオアルバム35作、ライヴ盤6作の41タイトルが、一気に収録された優れものボックスセットである。このボックスセットのリリースを機会に、ディランをちゃんと聴き直すことにした。
特に今年はその聴き直しの総決算の年。昨年1年で、このボックスセットを中心にちょくちょく聴き直しをしてきて、コレクションの課題であった「The Bootleg Series」もほぼコンプリートできて、いよいよ今年はディランの聴き直しに決着をつける年となったのである(笑)。
昨年の聴き直しで、ディランの先取性と革新性については十分に追体験出来た。ある音楽評論家が「昨日今日聞いた奴にディランの良さがわかってたまるか!」と言ったとか。確かに、ディランのアルバムの何枚かをつまみ食いして、その真髄を理解出来るものでは無いのは理解出来る。
しかし、長年、1960年代から80年代のロックを聴き親しんできた方々であれば、時代背景を振り返り、確認しつつ、ディランのアルバムの全てを聴き直していけば、十分にディランは理解できる。
初めて聴く方々は、ガイドブック等で解説にて、それぞれのアルバムの位置づけ、内容を予習しつつ聴き進めていけば、ディランの大凡を感じることが出来るのでは無いだろうか。
今年のディランの「聴き直し総決算」のコメントについては、Twitterをベースに、不定期に都度、その印象をアップしていこうと思います。Twitterでは、名称「松和のマスター」でつぶやいています。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さればヒットすると思います。
さあ、いよいよ、長年の懸案であった「ディランの聴き直し」、いよいよ総決算の年です。今年を境に、やっと及ばずながら、ディランについて、なんとか語れるようになるかな。今まではディランについては後ろめたさのような感覚が付きまとってきたので、ようやく晴れ晴れとした気持ちになれそうです(笑)。
震災から4年10ヶ月。決して忘れない。まだ4年10ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さい。
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