ピアノ・トリオの代表的名盤・47 『Standards Live』
そろそろ僕は、このピアノ・トリオとしっかり対峙し、しっかりとした結論を出さなければならない、と思っている。そうしないと、しっかりとした結論を出さない間に、あの世に行ってしまいそうな気がする。
初めて聴いたのが1983年。社会人2年生の時。とても忙しい中、この人のピアノ・トリオはしっかりと着目し、しっかり聴き込んだ。そのピアノ・トリオとは「キース・ジャレットのスタンダーズ・トリオ」である。メンバー構成は、Keith Jarrett (p), Jack DeJohnette (ds), Gary Peacock (b)。
それまでのメインストリーム・ジャズの歴史の中には、全く無い「トリオの音」。ほとんどファンクネスを感じる事無く、クラシック・ピアノの様な、カッチリとしたクリスタルな流麗なピアノのフレーズ。その流麗なピアノを損なうこと無く、これまたカッチリとした破綻の無いモーダルなリズム&ビート。
恐らく、キースは、自らが伝説となった時、自らのスタイルがピアノ・トリオのスタンダードなスタイルとなることを強く望んだのだろう。唯一無二、誰かのフォローを想起させるような音は全て排除し、キースの出す音が「キースのスタイル」であり「ピアノ・トリオのスタンダードなスタイル」。
そのキースならではの、キースしか弾かない「キースのピアノ・トリオのスタイル」を強く感じさせてくれるライブ盤がある。そのライブ盤とは、Keith Jarrett『Standards Live』(写真左)。1985年7月の録音。スタンダーズ・トリオの初のライブ音源である。
冒頭の「Stella by Starlight」と3曲目の「Falling in Love with Love」を聴けば、そのキースならではの、キースしか弾かない「キースのピアノ・トリオのスタイル」が良く理解出来る。クラシック・ピアノの様な、カッチリとしたクリスタルな流麗なピアノのフレーズ。リリシズムの塊である。
この超スタンダードな2曲を聴けば、キースはナルシストだと感じる。自らのピアノ・トリオ演奏に聴き入り、感じ入り、恍惚とするキースの様子が見え隠れする。キースは自らのピアノが美しいと感じ、自らのフレーズが美しいと思い、自らの唸り声ですらセクシーだと感じる。キースには、自らのピアノ・トリオだけが最高であり、美しい存在なのだ。
キースが考案し、キースの美意識を強く反映し、美意識を形にしたものが、このスタンダーズ・トリオの音なのだ。しかも、スタンダード曲を演奏するピアノ・トリオとして、リーダーの位置づけを自認している。それが証拠に、聴いたことも無い「スタンダード曲」を発掘し、キースのスタンダーズ・トリオだけが演奏する。
ジャズの歴史の中で、このキースのスタンダーズ・トリオだけが突出した「孤高の存在」である。前にも後にもフォローしたり、フォローされたりすることは無い。というか、フォローしたり、フォローされたりすることを絶対に否定する。誰が何と言っても「絶対に否定する」。キースのとっては、このキースの美意識の塊のスタンダーズ・トリオは「孤高の存在」でなければならないのだ。
このKeith Jarrett『Standards Live』は、先ずはスタンダーズ・トリオの代表作の一枚。先ずは、このライブ盤を聴きながら、キースの考える、キースの美意識の塊であるスタンダーズ・トリオを体感し、実感するのだ。
★震災から4年6ヶ月。決して忘れない。まだ4年6ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さい。
« 雨の日には爽快な純ジャズを | トップページ | 目から鱗な英国フュージョン »
コメント