フォービート・ジャズなキューン
我が千葉県北西部地方、この1週間を振り返ると、少しずつ涼しくなって来ている。それでも、まだまだエアコンは欠かせない。もう8月も20日を過ぎたんですがねえ。今年の夏は残暑も厳しい。
しかしながら、蒸し暑い屋外から帰り着いて、エアコンの力を借りて量を取り戻しつつ、このエアコンの聴いた涼しい部屋で聴くピアノ・トリオは格別なものがある。それも、耽美的なタッチの端正な、純ジャズ畑のピアノ・トリオが良い。
ということで選んだピアノ・トリオ盤がこれ。Steve Kuhn『Ocean in The Sky』(写真左)。1989年の作品。ちなみにパーソネルは、Steve Kuhn (p)、Miroslav Vitous (b)、Aldo Romano (ds) 。
リーダーのスティーブ・キューンの弾くピアノと言えば、真っ先に1970年代のECMの作品での緊張感溢れる耽美的な音世界が思い浮かぶが、ここでは、既にかなりオーソドックスでフォービートな純ジャズの演奏に変化している。もともと、このオーソドックスでフォービートな純ジャズなピアノの方が、彼の本質なんだろう。
若かりし頃は革新的な尖ったピアノを弾いたが、この頃は端正で明快な正統派ピアニスト。そんなキューンのピアノをとってみると、実に内容ある聴き応え十分の好盤に仕上がっている。1曲目の「The Island」を聴けばそれが良く判る。
シンプルにテーマを弾きつつ、アドリブを展開するキューンのピアノは、1970年代の彼のピアノの印象に違わぬ、独特の美意識が溢れんばかりではある。が、アドリブ・フレーズは端正でタッチが明快、奇をてらったところは全く無いどころか、かなりオーソドックスな展開に、1970年代のキューンを良く知るものにとっては戸惑いすら覚える。
意外とこのアルバム、曲者ベーシスト、ミロスラフ・ビトウスの存在が鍵。ビトウスの存在がこのアルバムの内容を引き締めている。一筋縄ではいかない、革新的響きのする鋭角なベースは実に聴き応え十分。正統派ピアニストに変化したキューンをバンバン刺激する。
刺激されたキューンは、恐らく彼の本質である「オーソドックスでフォービートな純ジャズのピアノ」で応じる。ビトウスのベース・ラインはオーソドックスではあるが響きは革新的。その革新的な響きに応じて、キューンもオーソドックスな展開の中に革新的な響きのピアノを織り交ぜる。
このピアノ・トリオ盤『Ocean in The Sky』は、オーソドックスでフォービートな純ジャズの展開の中に、1989年当時の新しい響き、新しい展開を織り交ぜたコンテンポラリーなジャズ・トリオ盤である。ネオ・ハードバップとして、新しい展開、新しい響きを織り交ぜていて、今の耳で聴いても古さを感じさせない。
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本当に残暑がきびしいですね。マスターもくれぐれもご自愛くださいまし。^^
ところで(^^ゞ昔よく聞いたジャズフアンの「名言(迷言?)」に
「ジャズに名演あって名曲なし」と言う言葉がありましたね。
アドリブがすべて、ということを極言したのだと思いますが私には疑問でした。笑
この話しを仲間のクラシックフアンに言うと、「クラシックの場合は、名曲なくして名演なし、だね。」ということでした。笑
クラシックの場合は「無名の曲をたとえ作者が力演しても、人は無反応だ」ということだそうですが、ジャズの場合あまりにも極端なアドリブ至上主義?が次第にジャズを大衆から遠ざけたという気もしています。^_^;
かつてサントリーホールで聞いたオーケストラの大迫力の生音をきいて
感激して、(所詮この音を自宅で再現するのは到底ムリだなあ・・)と思ったり、逆に同じくサントリーホールでのジャズコンボの演奏を聞いて(風呂場で聴くようなものだなあ・・)としらけたことでありました。(~o~)
最近では完全に割り切って「ニアフィールド」のパソコンオーディオで満足していますです。^^
投稿: おっちゃん | 2015年8月22日 (土曜日) 05時40分