日本男子もここまで弾く・7
本田竹曠は、1970年代から1990年代にかけて活躍した日本人ピアニストである。僕が、この本田竹曠というピアニストに出会ったのは、フュージョンの時代、ネイティブ・サンという、日本のフュージョン・グループを通じてである。彼はネイティブ・サンのキーボード奏者だった。
そんなバリバリ・フュージョンのキーボード奏者が、実は思いっきり純ジャズなピアニストだったとうことを知った時、本当に驚いた。フュージョン・ジャズのキーボードと純ジャズのキーボードの弾き方は全く異なるので、純ジャズのキーボード奏者はフュージョンのキーボード奏者になり得ないと思っていた。
しかし、純ジャズの本田竹曠はスタイルが一貫していない。1960年代の終わり、デビュー盤であった『本田竹曠の魅力(Minton Blues)』では、こってこてのファンキーでブルージーなピアノだった。ゴスペルチックな和音の重ね方、フレーズの展開など、日本人が弾いているが故、あっさりとしたファンクネスが、実に品の良い響きだった。
しかし、この後、フリーに寄ったピアノに変貌し、あれれれっと思ったら、1970年代中盤には、マッコイ・タイナーの様な、スピリチュアルで叩きつける様な明確なタッチで、ガンガン、シーツ・オブ・サウンドで弾きまくる、硬派なメインストリームなスタイルに変貌していた。
そのマッコイ・タイナーの様な、ピアノを叩くような力強いタッチ、美しいハーモニー、かっこいいアドリブ・フレーズを記録したアルバムが、本田竹曠『Salaam Salaam』(写真左)。1974年6月15日の録音。イースト・ウインド・シリーズの中でも一番古い録音。ちなみにパーソネルは、Takehiro Honda (p), Juni Booth (b), Eric Gravatt (ds)。ベースとドラムは今となっては無名のジャズメンである。
「サラーム サラーム」というのは、スワヒリ語で「平和、平和」という意味。思わず、コルトレーンを想起する。そんなアルバムの中、冒頭の「 Minors Only」から、和製マッコイ・タイナー炸裂。これだけ圧倒的な演奏力で、モードジャズを展開した日本人ジャズメンはそうそうはいない。
収録曲は3曲。いずれの曲も思いっきりマッコイが入っていて、演奏内容も端正で破綻無く、疾走感溢れる展開に思わず感じ入ってしまいます。マッコイのスタイルをフォローしているんですが、マッコイのコピーに終始していないところに、本田竹曠の矜持を感じます。
良いアルバムです。録音もよく、1970年代の日本人ジャズ・ピアニストの好演を記録したアルバムとして、お勧めの一枚です。
震災から4年2ヶ月。決して忘れない。まだ4年2ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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