「OLIVE」と対のアルバムです。
昨日、我がバーチャル音楽喫茶『松和』で、秋たけなわの季節に流れる季節限定の「耳休みアルバム」として、松任谷由実の『OLIVE』について語った。この『OLIVE』の内容は「私小説ポップス」。
それまでのJポップの歌詞の世界は、あの人を好きになった、あの人に振られたとか、惚れた腫れた失恋した、の話がほとんど。それもあまり現実感の無い「惚れた腫れた」の、直接的、主観的な話がほとんど。
しかし、このユーミンの『OLIVE』は、それまでのJポップの歌詞の世界とは一線を画した。アルバムに詰まっている歌の世界は、実に「リアル」で「客観的」。それまでのJポップの歌詞の世界の真逆で、この歌詞の世界には「唸りに唸った」。
実はこの『OLIVE』と対になる「私小説ポップス」のアルバムがもう一枚ある。そのアルバムとは、松任谷由実『悲しいほどお天気』(写真左)。『OLIVE』は1979年7月20日のリリース。そして、この『悲しいほどお天気』は1979年12月1日のリリース。前作『OLIVE』のリリースから5ヶ月の、驚異的なハイペースなリリース。
この頃のユーミンは創造力が最高潮だったらしく、約半年間隔でのハイペースなアルバム・リリース。恐らく、次から次への歌詞が曲が浮かんできて、しかもそれぞれの曲が水準以上の出来だったのだろう。1978年3月リリースの『紅雀』から1983年12月リリースの『VOYAGE』まで、約半年間隔のアルバム・リリースになるが、確かに収録された曲は「捨て曲無し」である。
さて、『OLIVE』と対になる「私小説ポップス」のアルバムの『悲しいほどお天気』は、『OLIVE』の歌詞の世界、音世界を引き継いで、「リアル」で「客観的」な、私小説風の歌詞の世界が全編に渡って繰り広げられている。アルバムのサブタイトルも「The Gallery in My Heart」。明らかに「私小説ポップス」である。
冒頭の「ジャコビニ彗星の日」は、1972年10月のジャコビニ流星群をテーマにした作品。天文ファンとして、個人的にも懐かしいテーマだ。当時、僕は中学2年生。流星群をテーマにした曲なので、タイトルはちょっとおかしい。しかし、歌詞に書かれている内容はほぼ正しい。確かにシベリアまで見に行って空振りを食らった観測隊もあった。私的なエピソードも織り交ぜて、実にリアルな内容である。
4曲目の名曲「DESTINY」は、ありそうでなさそうで、やっぱり現実にありそうな男女の世界を表現していて実に秀逸。ここまで極端では無いにしろ、ふられた方って、運気が下がっている分、こういう間の悪さって、あるよな。僕にも経験がある。そういう意味で、この「DESTINY」の歌詞はリアル。人気曲である分、恐らく、他の皆さんもこういう経験があるんだろうな。
6曲目のタイトル曲「悲しいほどお天気」も私小説的な歌詞の内容に思わず唸る。玉川上水沿いの道が舞台となって、ユーミンの美大時代の思い出が展開される。この曲は全くもって「私小説」風で「客観的」。目の前にその風景が浮かぶようだ。写実主義のような曲。
そして、僕はこの曲が一番好きで、実はユーミンの曲の中でも一番好きな曲なのだが、その曲とは、3曲目の「緑の町に舞い降りて」。サブタイトルが「Ode of Morioka」。サブタイトルの通り、ユーミンが盛岡での小旅行の印象を綴った曲で、アレンジから歌詞から曲から、何から何まで素晴らしい名曲。特にイントロの松任谷正隆のピアノのフレーズが痺れるほど好きである。この曲も「リアル」で「客観的」。歌われる情景がリアルに浮かぶ。
この『悲しいほどお天気』は、『OLIVE』と対になる「私小説ポップス」のアルバムとして、『OLIVE』を聴いた後、必ずといって良い程、ターンテーブルに載るアルバムでした。今でも、『OLIVE』を聴いたら『悲しいほどお天気』、『悲しいほどお天気』を聴いたら『OLIVE』を聴く、といった、全く対になって、CDプレーヤーのトレイに載る「私小説ポップスなアルバム」です。
震災から3年7ヶ月。決して忘れない。まだ3年7ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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