音楽喫茶『松和』の昼下がり・18
ジャズを聴き始めてはや36年が経過した。当然、ジャズのアルバムの中でも、30年以上、愛聴しているアルバムが数十枚ある。僕の中でのエバーグリーンなアルバム達である。そんな中でも異色なアルバムが何枚かある。
ジャズ者になったのが1978年。大学1回生のことである。友人に紹介されて、これは面白い、といきなりのめり込んだ。ジャズ雑誌とジャズ盤紹介本を暗記するくらい読み返しながら、手探り状態の中、ジャズ盤のコレクションを始めた。
大学近くの「秘密の喫茶店」に出会ったのが1979年の初夏の頃。この喫茶店には本当にお世話になった。面白いジャズ盤の存在、クールなジャズ盤の存在を教えてくれた。ここで教わったジャズ盤は全てが長年の愛聴盤になっている。ママさんの選盤センスが素晴らしかった。
例えば、こんなジャズ盤もある。西 直樹『My Little Suede Shoes』(写真)。1980年のリリース。西は1958年11月生まれなので、当時22歳の若き精鋭。そんな若き精鋭が素晴らしく成熟されたピアノ・トリオの演奏を繰り広げている。
当時、大型新人として大いにシーンを賑わした西の初リーダー作である。ちなみにパーソネルは、西 直樹 (p), 猪俣 猛 (ds), 山口 和与 (b)。1980年2月イイノ・ホールでのライブ録音。
当時の日本ジャズ界の中で、突出したトリオ盤。当時の日本人ピアニストらしからぬ、スインギーでファンキーなピアノを聴かせてくれる。最初、一聴した時は日本人だとは思わなかった。テクニックも確か。破綻すること、よれることが全く無い、端正でドライブ感の溢れるピアノは、当時、日本人離れをしていた。
フレーズの雰囲気は、一回りコンパクトにしたオスカー・ピーターソン。スインギーな節回しは、確かにピーターソンばり。そして、当時の日本人には珍しく、明らかにファンキーなピアノを弾く。しかし、そのファンクネスは、日本人独特の「乾いたファンクネス」。でも「乾いたファンクネス」でもその濃度は濃い。
聴いていて相当に心地良い。これは、バックのベース、ドラムのサポートが的確でハイセンスだから。西のピアノを阻害すること無く、西のファンキーなピアノが映えるよう、バックのベース、ドラムも、当時の日本人ジャズメンらしからぬ、ファンキー感溢れるリズム&ビートを供給している。これがまた良いのだ。
当時、これが日本人が弾くジャズ・ピアノなのか、とビックリした。その内容の良さも併せて評価されて、1980年度のスイングジャーナルの最優秀録音賞を受賞している。加えて、ジャケットのイラストも秀逸。
このアルバムがかかると、決まって「これは誰だ」という顔をするジャズ者の方々が多い。粋なジャケットを見て驚き、西の名前を確認して驚く。我がバーチャル音楽喫茶『松和』の話題作りの「優れもの盤」である。
震災から3年7ヶ月。決して忘れない。まだ3年7ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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