ジョン・コルトレーンの遺作です
ジョン・コルトレーン(John Coltrane)のアルバムの聴き直しも終焉に近づいた。今日は、コルトレーンの遺作『Expression』(写真左)。1967年7月にコルトレーンは亡くなり、9月に同アルバムがリリースされた。
1967年2月15日と1967年3月7日の2つのセッションから成る。タイトル曲の「Expression」は具体的な日程は判らないが、1967年の春、コルトレーン最後のスタジオ録音とされる。
僕はこのコルトレーンの遺作をジャズ者初心者、ジャズを聴き初めて3年目に聴いた。最初の2曲「Ogunde」と「To Be」においては、コルトレーンは比較的温和で大人しい。しかも「to be」ではコルトレーンはフルートを吹いている。フリーな演奏ではあるが、どこか叙情的な感じがして、ジャズ者初心者でも何とか聴ける。
ちなみにパーソネルは、Pharoah Sanders (fl, piccolo), John Coltrane (fl, ts), Alice Coltrane (p), Jimmy Garrison (b), Rashied Ali (ds)。コルトレーン最後のクインテットである。ファラオ・サンダースがフルートのみに徹しているところが、このアルバムを、他のアルバムと一線を画した静謐さを宿していると感じる所以だろう。
しかし、3曲目「Offering」の後半から、いつもの(?)のコルトレーンになる。馬の嘶きの様な、アブストラクトなブロウ。もはや音楽とは呼べない、感情のおもむくままに吹き続けるフリーなブロウ。さすがに、ジャズ者初心者3年生には辛かったなあ。続く4曲目の「Expression」も相当に激しくフリーキーなブロウで、落ち着いて聴くことは出来なかった。
さて、ジャズ者になって36年。今の耳で、この『Expression』を聴いても、ジャズ者初心者の頃の印象は変わらない。さすがに、歳をとって、フリーキーなコルトレーンについても怯むこと無く、しっかりと聴く耳を持つことが出来たのだが、この遺作のコルトレーンも、晩年の馬の嘶きを繰り広げるコルトレーンと変わらない。
しかし、この馬の嘶きの様なブロウは、高速シーツ・オブ・サウンドでフリーなブロウを吹きまくる、テクニック的には凄まじく高度なもので、さすがはコルトレーンと感心することしきりである。コードを細かく分解した「幾何学模様」の様なシーツ・オブ・サウンドが、高速でしかもアブストラクトに展開するのだ。メロディアスとは全く無縁のフレーズになっても仕方が無い。
1967年2月15日と1967年3月7日の録音時には、恐らくコルトレーンは、自分がその5ヶ月後、鬼籍に入るなんてことは、これっぽっちも思っていなかったんだろうと思う。何かを変えよう、何かを残そう、というセンチメンタルな雰囲気は微塵も無い。
しかし、このコルトレーンの遺作『Expression』を聴く度に思うのは、このまま、コルトレーンの命が続いたとして、コルトレーンは何処に行こうとしていたのだろう。コルトレーンの音楽はどういうふうに変貌していったのだろうか。少なくとも、この遺作『Expression』を聴いても、その答えは見つからない。
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