超然と悠然と心の赴くままに 『Cutting Edge』
1967年7月17日、ジョン・コルトレーンが逝去。1969年秋、ソニー・ロリンズは3度目の活動停止。それから、1972年、マイルストーン・レコードに移籍し、『ネクスト・アルバム』で復活するまで、3年間の雲隠れである。
しかし、4度目の復活から、ソニー・ロリンズは、ジャズ界の他のサックス奏者の存在など意に介すこと無く、超然と悠然と、心の趣くままにテナーを吹くようになった。そして、変に拘ること無く、良いと思えば、電気楽器などを積極的にバンドに導入した。
この変わり様は何なんだったんだろう。1960年代は、常にジョン・コルトレーンを意識し、ジョン・コルトレーンを見ながらサックスを吹いていたロリンズが、以前から、ジョン・コルトレーンなどいなかったかのように、フリー・ジャズなどなかったかのように、超然と悠然と心の趣くままに、テナーを吹くようになった。
そんなロリンズを強く感じられるアルバムが、Sonny Rollins『Cutting Edge』(写真左)。1974年7月、Montreux Jazz Festivalで録音されたライブ盤で、ちなみにパーソネルは、Sonny Rollins (ts), Stanley Cowell (p), Yoshiaki Masuo (g), Bob Cranshaw (el-b), David Lee (ds), Mtume (cong), Rufus Harley (bagpipes・track 5)。
アルバム・タイトルの「The Cutting Edge」とは和訳すると「最前線・先頭」。確かにこのアルバムのロリンズのブロウは、当時、ジャズ界最先端のブロウである。泰然自若なテナーとはこのこと。もはや、ロリンズはトレンドや流行に左右されない。
冒頭のタイトル曲「The Cutting Edge」から、ロリンズは超然と悠然と心の赴くままにテナーを吹き上げていく。ギターは若かりし頃の増尾好秋。これがトレンディーなエレギを聴かせて効果抜群。ボブ・クランショウのエレベがこれまたトレンディーな響きで良い。
時は1974年。ジャズ界は「クロスオーバー・ジャズ」の全盛期。ジャズとロックの融合とか、ジャズとクラシックの融合とかが、もてはやされた時代である。増尾好秋のエレギ、ボブ・クランショウのエレベの採用は、一見すると時流に乗ったもの。
ロリンズも抜け目ないなあ、と思いながら聴くと、このエレギとエレベは決してクロスオーバー・ジャズではない。あくまでも、メインストリーム・ジャズのエレギとエレベ。さすがロリンズ。時代に迎合していない。メインストリーム・ジャズというか、ロリンズ・ジャズである。メインストリームなロリンズ・ジャズである。
2曲目の「To A Wild Rose(野ばらに寄せて)」のバラードプレイが素晴らしい。まったくロリンズらしいテナーのブロウに思わず惚れ惚れして、思わず聴き入ってしまう。バラードと言えば、4曲目のバカラックの「A House Is Not A Home」も美しいバラード・プレイだ。ロリンズが超然と悠然と心の赴くままに吹くバラードは絶品。この2曲のバラード・プレイを聴くだけでも、このアルバムを手にする価値がある。
そして、度肝を抜かれるのがラストの5曲目の「Swing Low, Sweet Chariot」。冒頭になんだかへんてこりんな、うねるような音が出てくる。ありゃりゃりゃ、これってバグパイプでは無いのか。はい、これはバグパイプです。ジャズにバグパイプってなあ。
違和感抜群の演奏です。そんな違和感抜群の中、ロリンズは超然と悠然とノリノリのテナーを聴かせてくれる(写真右)。う〜ん、ロリンズって凄い。このバグパイプとユニゾン&ハーモニーを奏でることが出来るなんて、なんて懐の深いテナー奏者であることか(笑)。
ラストのバグパイプとのコラボがちょっと「残念」な感じですが、それ以外の4曲だけでも、このアルバムは、ロリンズの超然と悠然と心の赴くままに吹き上げるテナーを感じることが出来る、僕にとっては「買い」のアルバムです。
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