リズム&ビート優先のフリーな演奏
昔はそうは思わなかったのだが、最近は「なるほどな」と納得する。やはり、オーネット・コールマンは、確かに「フリー・ジャズ」の祖であった。
特に、今、聴き直している、1958年のデビュー盤から、1965年の大名盤『At the "Golden Circle" Vol. 1 & 2』まで、今の耳で聴き直すと、確かにオーネットは、当時、フリー・ジャズの旗手だったことは間違い無い。
Ornette Coleman『Ornette!』(写真左)というアルバムがある。1961年1月の録音。ちなみにパーソネルは、Ornette Coleman (as), Don Cherry (tp), Scott LaFaro (b), Ed Blackwell (ds)。盟友ドン・チェリーのトランペットが心強い。そして、リズム・セクションは、早逝した伝説のベーシストであるスコット・ラファロ、そして、フリー・ドラミングの若手であるエド・ブラックウエルと凄い布陣である。
どんなオーネット独特のフリー・ジャズになるのか、と思って、聴き始めると「あれれ」と思う。リズム&ビート優先のフリー・ジャズ。テナーとペットは短いフレーズを次々と繰り出しながら、リズム&ビートの自由な展開に追従する。これは面白い。完全にリズム&ビート優先の「限りなく自由度の高い」展開である。
アルバム全編を聴き終えて思うのは、やはり、この「オーネットのフリー・ジャズ」は最大限の決め事があって、その決め事を守る分には、後は何をやっても構わない。そんなオーネット独特のフリー・ジャズな展開を、このアルバムでは、リズム・セクション中心に展開している。
今の耳で聴くと、これはフリー・ジャズでは無いなあ、と感じる。限りなくフリーに近い、新主流派のモーダルな演奏に近い。しかし、フロントを張るオーネットとチェリーの繰り出すフレーズはモードでは無い。必要最低限の決め事を守りながら、思うがままに吹きたい様に吹く。最後のほうは、ちょっとマンネリになったのか、少し単調になるのはご愛嬌。
さすがにこの限りなくフリーに近い展開に、メインストリーム・ジャズ出身のラファロはちょっと硬い。逆に、型にはまっていないブラックウエルは精力的に自由に叩きまくっている。逆に、ラファロの硬さが伝統的なジャズのリズム&ビートの雰囲気をほんのりと漂わせていて、これはこれで、このアルバムでは良い方向に作用していると思う。
確かに、このリズム&ビート優先の「限りなく自由度の高い」展開を聴いていると、当時のジャズ界の若手、例えば、ハービー・ハンコックとか、ロン・カーターとか、トニー・ウィリアムスとか、ウェイン・ショーターとか、当時、マイルス楽団のメンバーたちが、こぞってフリー・ジャズ指向に傾いたのも判るなあ、と思う。
振り返ると、1962年当時、この『Ornette!』の音世界は、かなり相当に「斬新に」聴こえたのではないだろうか。新しいジャズの響きがビンビンに伝わってきて、当時の若手ミュージシャンが、こぞってオーネットのスタイルに傾いたのも無理も無いことだと思う。とにかく格好良いのだ。クールと言って良い音世界である。
実験的なアプローチを捉えたアルバムなので、演奏全体において、切れ味やシャープさに欠けるのは仕方の無いこと。このアルバムでは、リズム&ビート優先の「限りなく自由度の高い」展開こそが「買い」であり、積極的に評価されるべき部分である。こんなリズム&ビート優先の「限りなく自由度の高い」展開が試みられていたことに、ジャズの先進性と懐の深さを感じる。
震災から3年4ヶ月。決して忘れない。まだ3年4ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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