キースの困ったちゃんなアルバム 『Spirits』
存命するジャズ・ピアノのレジェンドの一人、キース・ジャレット(Keith Jarrett)は、ちょっとややこしい人で、ジャズ・ピアニストでありながら、クラシック・ピアニストとしての技術を持つ、いわゆる「二刀流」なピアニストで、ジャズのみならず、クラシックのアルバムもリリースしていて、聴く側の我々としてはちょっと戸惑ったりする。
キースのクラシックのアルバムを聴いたことはあるが、取り立てて凄いという内容でも無い。クラシック・ピアニストとしては平均レベルのピアニストで、クラシック・ピアノの歴史に名を留めるレベルでは無いなあ、と感じた。やはり、キースは、ジャズ・ピアニストとしての能力の方が圧倒的に高いと思っている。
しかし、キース自身としては、クラシック音楽への憧憬は強いものがあって、バッハなどのクラシックの作曲家に対する敬愛を表明して止みません。逆に、現在のクラシック音楽界に対しては、なぜか否定的で、1985年の初め、キースはクラシック音楽の世界にすっかり失望したそうです。
彼の失望は、歴代のクラシックの作曲家達にあったのではなく、クラシックの演奏に携わる人々にあったとのこと。キースは、音楽家達のあるべき姿とは相矛盾する、旧態依然とした様々な態度やしきたりがクラシック音楽界に存在することに失望した。まあ、そういうことは、どの世界にも存在することなのだが、キースはそれが許せなかった。
結果的には大失敗だったと言って良い、キースのクラシックのピアノ、オルガン、チェンバロ奏者としての活動。そんなクラシック音楽界への失望の中、キースは精神衰弱状態に陥り、一時、茫然自失状態だったそうです。
そんな中、彼の弁を借りると、「僕はスタジオに行って、フルートを手に取り、演奏し始めた。そうしてフルートを吹いているうちに、ぼくの血液の循環が変わったようであり、ぼくの体の中の何もかもが変わったようであり、より豊かになったようだった」。
そんなシンプルなアプローチで、シンプルな音楽に没頭した状態が一か月ほど続き、そして、キースが自宅のスタジオで録音した音源が、この『Spirits』(写真左)です。録音時期は1985年の5月から7月。キースが全ての楽器を担当する多重録音の音源です。
音世界の雰囲気は、アフリカン・ネイティブなアーシーでフォーキーでスピリチュアルなフレーズ。土着性の強い、アフリカの民俗音楽を聴く様なリズム&ビート。奏でられる楽器は、Pakistani Flute, Tablas, Shakers, Recorders: sopranino, soprano, alto, tenor, bass, great bass, Vermont "Folk" Flute, Voice, Soprano Saxophone, Piano, Guitar, Miniature Glockenspiel, Small Tanbourine, Double Cowbell, Saz、そしてvoiceと17種類の楽器。
これが、この『Spirits』以降、キースの目指す「音楽の基本」かと思いきや、以降のキースの活動を聴くと、そうではないところがキースの面倒くさいところ。しかし、彼の弁を借りると「自分の全作品は『Spirits』以前と『Spirits』以降に分けて考えられることになると感じた」。つまり、キースの心の中で、この『Spirits』というアルバムを境に、音楽の創作という観点で、取り組み方というか、アプローチが変わったということらしい。
そういう背景から、この『Spirits』は、キース者には必須のアルバムではありますが、通常のジャズ者の方々にとってはどうでしょうか。アフリカン・ネイティブな雰囲気が色濃いジャズが好きな方々にも、これはちょっとなあ、とも思います。このアルバムは、ジャズ・ピアノのレジェンドの一人、キース・ジャレットが創作したアルバムだと判っているからこそ、最後まで聴き続けることのできるアルバムだと感じるからです。
このアルバムがキース・ジャレットの作品であるということを伏せて聴いたら、単に平均点レベルのアフリカン・ネイティブな雰囲気が漂う不思議なアルバムとしか評価できません。キースの作品だから、キースが彼の音楽活動の節目に当たるアルバムだと言った作品だから、このアルバムは注目される訳で、この作品単体としては、キースの数ある「困ったちゃんなアルバム」の中の一枚の域を出ないものだと思います。
確かに、アフリカン・ネイティブなアーシーでフォーキーでスピリチュアルなフレーズ。土着性の強い、アフリカの民俗音楽を聴く様なリズム&ビート。それまでのキースの音世界には無かったものです。そこに価値を見出すのも、確かにアリかなとも思います。
かといって、その後のアルバムには、このアフリカン・ネイティブな音世界は出現しませんので、この『Spirits』の音世界は、キースの音楽活動の成果の中でも「突然変異」的なものなのでしょうね。キースは、時々、こんな「困ったちゃんなアルバム」をリリースするので、そのアルバムに出会う度に思いっきり戸惑います。まあ、もう慣れましたけどね(笑)。
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