硬派なフォーク・ロック路線へ
この9月から10月にかけて、書庫のCD棚の棚卸しとCDのデータベースの再構築を実施しました。2年半前の大震災の時、書庫のCD棚は完全崩壊したのですが、ジャズCDだけは再構築しました。しかし、70年代ロックとJポップのCDについては、とりあえず、CD棚に仮置きしたままでした。
さすがにあれから2年半。70年代ロックとJポップのCDについて、所有しているもの、所有していないものの判別がつきにくくなってきたこと、所有しているCDがどこにあるのか良く判らなくなってきたこと、この2点がかなり負担になってきたので、思い切って、書庫のCD棚の棚卸しとCDのデータベースの再構築を同時に実施することにしました。
そんな作業の中で、70年代ロックとJポップのCDについて、その全貌を再認識できたことは幸いでした。こんなアルバム持っていたんや、とか、そうそうこれは、生きているうちに聴き直さなきゃ、とか、聴き直したいCDがぞくぞくと再発見されました。
そんな中で、チューリップのアルバムの聴き直しを再開しました。そして、この『無限軌道』(写真左)というアルバムに、改めて感じ入りました。1975年3月のリリースのこのアルバム、僕は、この盤からチューリップのオリジナル・アルバムをリアルタイムで体験することになります。高校1年の3学期のことです。駅前のレコード屋に予約をいれて、発売日当日にゲットしました。
このアルバムは、ビートルズ・フレーバーがメインの音作りをベースとしたアイドル・バンド路線から自ら決別し、チューリップのオリジナリティーとサウンドを求めて、今から試行錯誤の旅に出る決意表明みたいなアルバムです。
1曲目の『心を開いて』がその決意表明にあたるのではないでしょうか。オリジナリティーの追求という点では、2曲目の『私は小鳥』と4曲目の『たえちゃん』。しかし、『私は小鳥』は、ポップな曲調を追求するあまり、当時の歌謡曲そのものになってしまいました。その当時、人気歌手だった『あべしずえ』が歌った曲です(あんまりヒットしなかったような思い出があるが)。
『たえちゃん』は、あまりにオリジナリティーに気を使うあまり、曲としては、まとまりが無く、冗長になっていますが、個々の音づくりには、評価できるものがあります。僕にとっては、1975年3月に初めて聴いて以来、この曲は常に隅におけない曲です。
8曲目は、18年後、リバイバルヒットとなった『サボテンの花』。このアルバムでの『サボテンの花』がオリジナル。アレンジがきめ細やかで地味なんですが、僕はこのアルバムのバージョンが一番好きです。可愛らしい曲といえば、10曲目の『ある昼下がり』。姫野さんがアコースティックギターをバックに、可愛く愛らしく歌う佳作だと僕は思っています。
試行錯誤の旅を今後もずっと続けて、二度とビートルズ・フレーバーがメインの音作りをベースとしたアイドル・バンド路線には戻ってこないぞ、という決意を感じるのが最後の『人生ゲーム』。歌詞の中に、サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』の日本語訳と良く似た部分があるのはご愛敬。当時、チューリップは、結構悩んでいたんだな、と密かに感じてしまう。
この『無限軌道』は、チューリップが硬派なフォーク・ロック路線を走り始めた、記念すべきターニング・ポイントとなったアルバムです。内容的には、前作の『ぼくがつくった愛のうた』とは似ても似つかぬ硬派な内容に、当時のファンや評論家は面食らったようですが、僕は、この『無限軌道』の内容はウエルカム。改めて、チューリップのファンになり直しました。
大震災から2年7ヶ月。決して忘れない。まだ2年7ヶ月。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さい。
« 音楽喫茶『松和』の昼下がり・9 | トップページ | ジャズ演奏家の持つ歌心 『A Day iin The Liife』 »
« 音楽喫茶『松和』の昼下がり・9 | トップページ | ジャズ演奏家の持つ歌心 『A Day iin The Liife』 »
コメント