ブルーノートのボサノバ・ジャズ 『Bossa Nova Bacchanal』
ボサノバ・ジャズの最初のビッグな流行は1962年から始まった。1962年11月21日に、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、セルジオ・メンデス等が出演。一方、スタン・ゲッツは、チャーリー・バードと共に録音した『ジャズ・サンバ』をビルボード誌のポップ・チャート1位に送り込んだ。
以降、ボサノバとジャズの融合は続く。1960年代中頃まで、著名なジャズ・ミュージシャンはこぞって、ボサノバ・ジャズに手を染めた。流行に滅多に流されない、逆に流行を最先端で創り出す立場にあった、かの帝王マイルス・デイヴィスですら、ボサノバ・ジャズのアルバムをギル・エバンスとの合作でリリースしたりしている。
とまあ、この1960年代のボサノバ・ジャズのブームの勢いは凄まじく、ボサノバの本質を理解し、ジャズの本質や個性とアーティスティックに融合させた立派な内容のもののあれば、流行に乗って売れれば良い、って感じのコマーシャルな面だけを追求した内容の乏しいものまで、玉石混淆としていた。
そんな流行の中、かのジャズの老舗レーベル、ブルーノートもボサノバ・ジャズに手を染めるのであるが、さすがはブルーノート、流行に流されること無く、コマーシャルに走ることも無く、内容的にも立派な、アーティスティックなボサノバ・ジャズをリリースしている。この時代のブルーノートのボサノバ・ジャズに駄作は無い。
例えば、この4119番の、Charlie Rouse『Bossa Nova Bacchanal(ボサノバ・バッカナル)』(写真左)などが良い例だ。1962年11月の録音というから、ボサノバ・ジャズの最初の大ブームの真っ只中の盤。ブルーノートのボサノバ・ジャズって、しっかりとジャズしていて、決して俗っぽく無い。
チャーリー・ラウズは、かの個性派ピアニストの最右翼、セロニアス・モンクの長年のパートナーで、セロニアス・モンクのピアノに最も合ったテナーサックス奏者である。端正で歌心溢れるテナーで、かっちりと筋の通ったブロウが特徴であり、ジャズ・テナーにありがちなウェットでセンチメンタルな雰囲気は皆無、実に誠実で素直なテナーが特色。
そのラウズが、その誠実で素直なテナーで、当時、大流行していた「ボサノバ」をテーマに吹き込んだ、コンセプト・アルバムがこのアルバムである。ラウズのボサノバ・ジャズって実に誠実で、当時、コマーシャルに走ったアルバムにありがちな「ラフでいい加減で適当な」感じの手合いでは無い。
ラウズ自身の個性をしっかり活かしながらのボサノバ・ジャズなので、なんだか、それぞれのボサノバの曲自体が、ラウズの手にかかると「ちょっと格調高い」雰囲気が添加されて、実にアーティスティック。演奏全体の雰囲気も端正かつ誠実で、その清々しさが実に好ましい。僕は、このラウズの『ボサノバ・バッカナル』を聴くと、その端正かつ誠実な雰囲気に、「よっしゃ!」と気合いが入る感じがします。
選曲も実に誠実で、売れ筋の有名曲は、4曲目の「Samba De Orfeu」の1曲のみ。ライナーノーツによると、ラストのラウズの自作曲「One for Five」を除けば、他の曲は、ボサノバとして著名な、ボサノバの本質を理解するのに最適な、ボサノバとしての優秀曲をラウズ自らが選曲したそうです。
このアルバム、以前、東芝EMIより、紙ジャケ+ルディ・バン・ゲルダーのリマスターで再発されました。これが絶品の音。やはり、ブルーノートの諸作を聴くには、ルディ・バン・ゲルダーのリマスター盤が最適です。是非とも、ルディ・バン・ゲルダーのリマスター盤を入手してお楽しみ下さい。
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