チェンバロを使ったジャズって
チェンバロという楽器がある。チェンバロはドイツ語。ピアノの様な鍵盤を用いて、弦を爪で引っ掻くように音を出す楽器である。英語ではハープシコード(harpsichord)と呼ばれる。
弦を爪で引っ掻くように音を出すので、ハンマーで弦を打って音を出すピアノとは大きく異なり、全く別種のタッチを必要とする。音の強弱等も付けにくく、ピアノに比べて繊細で神経質なフレーズが特色とされる。宗教音楽系で良く耳にし、クラシックではバロック音楽で良く使われる。
それではジャズではどうなのか。ピアノに比べて繊細で神経質なフレーズが特色とされるからには、ジャズでは使われないのでは、と思いきや、あるんですね、これが。しかも、このアルバムは、1960年代後半からポップなジャズとして台頭したジャズ・ロックの一種「ソウル・ジャズ」の範疇に属するもの。チェンバロを使ったソウル・ジャズ。かなりの「アンマッチ感」がある。
そのアルバムとは、Junior Mance『Harlem Lullaby』(写真)。1966年の録音。ジュニア・マンス (p,harp), ジーン・テイラー (b), ボビー・トンプソン (dm), レイ・ルーカス (dm) 他。タイトルからもお判りの通り、ゴスペル・フィーリング溢れる、ファンキー&ソウルフルなアルバム。
ここで、リーダーのジュニア・マンスは、チェンバロとピアノを半々の割合で弾いている。もともと、ジュニア・マンスのピアノは、端正でファンクネスがそこはかとなく漂う正統派なバップ・ピアノ。端正さが際立つ個性だけに、ポップな雰囲気を全面に押し出したソウル・ジャズではどうか、という感が漂う。
そこチェンバロの登場となったのだろうか。そもそも、ジャズの演奏にチェンバロは無理がある。確かに、チェンバロの音色はファンクネスに通じる乾いた黒さがある。しかし、如何せん、ピアノに比べて繊細で神経質なフレーズがジャズに似合わず、音の強弱が付けにくいところもかなり辛い。このアルバムのチェンバロで演奏された曲については、全て「違和感」が漂う。曲が良いだけに惜しい。
面白いのは、ピアノで弾いた曲。端正さが際立ち、ファンクネスが控えめにタッチやフレーズに漂う奥ゆかしい個性。しかし、ソウル・ジャズ風のアレンジで弾きこなすピアノは、ファンキー&ソウルフルそのもの。端正なタッチの中に色濃く漂うファンクネス。ユッタリとしたタッチは、ほのかに粘りを漂わせ、実にソウルフル。あれれ、これ、ピアノでの演奏の方がソウルフルで良いやん(笑)。
チェンバロは音の細さと繊細さが、ちとしんどいですね。しかし、興味深いのは、1970年代に入って、シンセサイザーが採用されるようになって、そのシンセサイザーが奏でる「チェンバロ風」の音は、ソウル・ジャズにピッタリなんですよね。シンセの「チェンバロ風」の音は、音が太くて骨太で、バックの演奏の「音の束」に負けずに、自らのファンキーでソウルフルなフレーズを全面に主張するだけの図太さがある。
この『Harlem Lullaby』は、1960年代後半に流行った「未知へのチャレンジ」という雰囲気が裏目に出た、時代がちょっと早かった企画盤だと評価しています。企画盤としてのコンセプトは良かったんですが、チェンバロの採用がどうもいけない。
チェンバロが、後のシンセサイザーに置き換わっていたら、秀逸なピアノの演奏と相まって、異色の企画盤になっていたのではないかと思います。素性は確かな企画盤です。ジャズ者上級者向け。意外と楽しめます。
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