ジャズとしての楽しみ方がある
過去、ジャズは娯楽音楽なのか、芸術音楽なのか、なんてことを思ったりすることがあった。ジャズは大衆音楽として、娯楽音楽として、聴き易く、踊り易くあるべきだと思う反面、いやいや、ジャズ理論、ジャズ演奏のスタイルの下、クラシックと並んで芸術音楽としてあるべきだと思ったり・・・。
例えば、こんなアルバムを聴くと、時々、フッと思ったりするのだ。Elvin Jones『Live At the Village Vanguard』(写真左)。1968年3月20日、NYのライブスポット、ビレッジバンガードでの録音。ちなみにパーソネルは、Elvin Jones (ds); George Coleman (ts); "Hannibal" Peterson (tp); Wilbur Little (b)。
なんて渋いメンバー構成なんだろう。ジャズ史上、最もポリリズムックなドラマー、エルビン・ジョーンズをリーダーに、新主流派を代表する、伝統的でフリーキーなテナーマン、ジョージ・コールマン。限りなくフリーキーでエモーショナルなトランペッター、ハンニバル・ピーターソン。そして、伝統的な面と前衛的な面が共存する硬派なベーシスト、ウイルバー・リトル。すげーメンバーじゃ。
このライブ盤の音は、絵に描いた様な、硬派で限りなくフリーな伝統的メインストリーム・ジャズ。エルビン・ジョーンズのドラムとウイルバー・リトルのベース、この二人のリズム&ビートが、限りなく柔軟度が高い、伝統的な展開良し、前衛的でアブストラクトな展開も良し、素晴らしく柔軟なリズム&ビートをバックに得て、フロントのコールマンとピーターソンが吹きまくる。
限りなくフリーな伝統的メインストリーム・ジャズなので、キャッチャーでも無ければ、聴き易くも無い。しかし、インプロビゼーションの展開に入った部分、即興演奏の展開がなされる部分。ドラムとベースのリズム&ビートに乗って、フロントが縦横無尽にアドリブ・フレーズを絡ませていく。この音が非常にアーティスティックな響きで、適度なテンションの中、非常に美しい展開に思わず息をのむ瞬間が何度かやってくる。
この限りなくフリーな伝統的メインストリーム・ジャズな展開をアーティスティックと肯定的に評価し、その展開を愛でるのか、この限りなくフリーな伝統的メインストリーム・ジャズをポップで無く、キャッチャーでは無い、大衆に背を向けた特殊なジャンルの音楽として非的的な評価をするかで、ジャズの聴き方はガラッと変わる。
確かに、現代のジャズは大衆音楽では無いし、娯楽音楽の傾向もやや希薄な面が強い。しかし、ジャズを限りなくポップに方向けると「イージーリスニング」のレッテルを貼られるし、ジャズはどう頑張っても、そのコード展開やビートの展開を前提とすると、絶対にロックの様な、シンプルでキャッチャーなリフを繰り出して大衆に受ける、なんてことは不可能だ。
ジャズはジャズとしての楽しみ方があるということ。ジャズをロックやポップスと比較して、その不利な面を論じるのは、ちょっとナンセンスな話ではないか、と思う今日この頃である。ジャズはジャズで良いところがある。それで良い様な気がする。
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