サマー・オブ・ラブなライブ盤
夏になって、暑い日が続いて、それでいて、夕方、日が暮れた後、ふっと涼しい風が頬を撫でる瞬間、なぜか「サマー・オブ・ラブ」という言葉を思い出す。
「サマー・オブ・ラブ」とは、1967年夏にアメリカ合衆国を中心に巻き起こった、文化的、政治的な主張を伴う社会現象。ヒッピーが主導したカウンターカルチャーは世代を超えて広く認知された(wikipediaより)。いわゆる「ラブ&ピース」。
そんな「サマー・オブ・ラブ」の時代、流行りに流行ったジャズ・バンドがある。Charles Lloyd(チャールズ・ロイド)カルテット。コルトレーン・ジャズを大衆向けに判り易くポップにした、それでいて、コルトレーン・ジャズの精神性の一部分を借用して、その判り易さと精神性が「サマー・オブ・ラブ」を推進したヒッピー中心に受けに受けた。
そんなチャールズ・ロイド・カルテットの代表作の一枚が『Love-in』(写真左)。1967年、「サマー・オブ・ラブ」の中心地、サンフランシスコはフィルモアでのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Charles Lloyd (ts,fl), Keith Jarrett (p), Ron McClure (b), Jack DeJohnette (ds)。
この『Love-in』は、コルトレーン・ジャズの精神性の一部分を借用が後退し、コルトレーン・ジャズを大衆向けに判り易くポップにした部分を前面に押し出し、メインストリーム・ジャズの音世界を逸脱すること無く、限りなくポップにアレンジメントした、一般万民、大衆向けの演奏になっています。
ポップで判り易いメインストリーム・ジャズで、ややもすれば「イージーリスニング」的な、コーニーな演奏に成り下がりそうなんだが、どうしてどうして、さすが、バックのリズム・セクション、キースのピアノ、デジョネットのドラム、マクビーのベースが、判り易い割にかなり高度な演奏が実にスリリングで、聴衆を魅了している様子が聴き取れます。
ポップで判り易いが、判り易い割にかなり高度な演奏とはいかなるものか。4曲目の、当時最新のビートルズの名曲のカバー「Here There and Everywhere」と、6曲目の「Sunday Morning」を聴けば、それが良く判ります。本当に判り易いメインストリーム・ジャズ。リーダーのロイドのテナーやフルートも判り易さを前面に押し出し、難しさの微塵も無い。聴衆のレベルにキッチリと迎合した演奏は、実にプロフェッショナルというか、良い意味で商売人ですなあ。
しかし、あの気難し屋のキースが、「Here There and Everywhere」では神妙で生真面目な伴奏を聴かせてくれるし、「Sunday Morning」では、フォーキーでアーシーでファンキーな、実にノリノリでご機嫌なピアノ・ソロを聴かせてくれます。「サマー・オブ・ラブ」的なキース・ジャレットは、この時代の録音にだけ聴くことができる、キースの本質の一部を垣間見ることができる、貴重なものです。
アルバム・ジャケットのデザインもケバケバしくて、いかにも「サマー・オブ・ラブ」してますw。しかし、凄いデザインやなあ。昔、今から35年ほど前、ジャズ者初心者の頃、このアルバム・ジャケットには「どん引き」したのを覚えています。でも、中身は、本当に判り易いメインストリーム・ジャズ。ジャズの深みに欠けるところはありますが、こんなジャズも時には良いです。良いアルバムだと思います。
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