コルトレーンの2面性を伝える盤
コルトレーンの聴き直しシリーズであるが、少し遡って、1963年7月のニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音と、元に戻って、1965年10月のスタジオ録音である。そのアルバムの名は『Selflessness Featuring My Favorite Things』(写真左)。
ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音は冒頭の2曲。「My Favorite Things」「I Want To Talk About You」これはもう有名な2曲のライブ録音。特に、ここでの「My Favorite Things」は、この曲の演奏について最高位に位置するとされる。
ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音のパーソネルは、John Coltrane (ss, ts), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Roy Haynes (ds)。ドラムがレギュラーのエルビン・ジョーンズでは無い。エルビンはこの頃、麻薬禍で投獄の身。代役として、ロイ・ヘインズが採用された。
このニューポート・ジャズ・フェスティバルの2曲は、伝統的なジャズの範疇にしっかり残った演奏。自由度は相当に高いが、演奏自体はモード・ジャズの範疇。マイルスの60年代伝説のクインテットと同レベルの、当時、最先端を行くジャズである。
マイルス・クインテットのテナーはウェイン・ショーター。ショーターのテナーは、今の耳で聴いても新しい感覚。音の間と音の伸びを最大限に活かした硬軟自在な、自由度の高い演奏が特徴。
しかし、ここでのコルトレーンのテナーは違う。このライブ演奏のコルトレーンのテナーはフリーキーではあるが、実のところ、高速テクニックの「シーツ・オブ・サウンド」。
高速な「シーツ・オブ・サウンド」であるが故に、自由度が若干、阻害される。インプロビゼーションの展開にちょっとした「硬直性」を感じる。ここにきて「シーツ・オブ・サウンド」は最高の高みに達して「煮詰まった」。
逆に、バラードの「I Want To Talk About You」は、素晴らしい名演。スローなバラード演奏なだけに、インプロビゼーションの「シーツ・オブ・サウンド」にも余裕が感じられる。シンプルなロイ・ヘインズのドラミングと相まって、素晴らしく余裕度の高いバラード演奏が展開される。
さて、ラストのスタジオ録音の「Selflessness」である。1965年10月の録音。コルトレーンがフリーに完全に走り出した頃の演奏である。パーソネルは、Donald Garrett (bcl, b), John Coltrane, Pharoah Sanders (ts), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds), Frank Butler (ds, per), Juno Lewis (vo, per)。コルトレーンの黄金のカルテットは完全に崩壊している。
ここでのコルトレーンのフリーキーな嘶きには、ちょっとした「マンネリ」を感じる。フリーキーなブロウに不思議な単調さを感じる。天才的なテクニックを誇るコルトレーンにして、この単調でフリーキーなブロウはなんと評価したら良いのか。名演とする向きもあるが、僕はそうは思わない。この無用やったら力の限り、馬の嘶きの様なフリーキーなブロウを吹き続けるコルトレーンは、今の耳には、正直言って「単調」である。
このアルバムは、コルトレーンの2面性を伝える。ニューポート・ジャズ・フェスティバルの2曲は、伝統的なジャズの範疇にしっかり残った演奏。最高の極みに達した「シーツ・オブ・サウンド」を聴くことができる。逆に、1965年のスタジオ録音は、フリージャズに身を転じたが、その単調な馬の嘶きの様なブロウに、コルトレーンの迷いを感じる。
このアルバムを聴く度に思う。実のところ、コルトレーンはフリージャズに身を転じる必要があったのだろうか、と・・・。
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