日本のクロスオーバー・ジャズ
日本のジャズ・ロックって、どうなっていたんだろう、という疑問がふと湧いた。欧米のジャズ界では、1960年代後半から1970年代前半、ファンキー・ジャズからジャズ・ロックへの移行、そして、ロック・ビートとの融合として、クロスオーバー・ジャズの時代。当時、日本のジャズ・シーンでは、どういう展開になっていたんだろう。
ここに、渡辺香津美の『Endless Way(エンドレス・ウェイ)』(写真)というアルバムがある。1975年7月、渡辺香津美が21歳の時に録音したサード・アルバムである。ちなみにパーソネルは、渡辺香津美(g)、井野信義(b)、倉田在秀(ds)、向井滋春(tb)、土岐英史(ss)。純日本のメンバー編成である。
全4曲とも渡辺香津美のオリジナル。その音はと言えば、当時、渡辺貞夫が推進していたアフリカン・ネイティブな響きを踏襲したワールド・ミュージック的なフュージョンと、ディストーションのかかったギターでのロック・テイストなクロスオーバー・ジャズが混在した音世界。明らかに、日本ジャズのリーダー渡辺貞夫と、当時のラリー・コリエルのイレブンス・ハウスやジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラを意識した音作り。
実に興味深い。当時の日本のクロスオーバー・ジャズは、グローバルな観点で聴くと、英国と同様、ロックとジャズの境目が曖昧。というか、1975年時点での日本のクロスオーバー・ジャズは、英国のラリー・コリエルやジョン・マクラフリンを意識し、十分に対抗しうる、高度な演奏スキルと作曲能力を身につけていた。
3曲目のタイトル曲「Endless Way」などは、ジャズというよりはロックである。バックのリズム・セクションのリズム&ビートがジャジーなので、辛うじてジャズ的な雰囲気を宿してはいるが、渡辺香津美のギターは、尖ったロックそのものである。ジェフ・ペックと対抗し得る、ハイテクニックなギター・インスト。ジャジーな雰囲気が色濃い分、ジェフ・ベックよりもアカデミック。若き日の渡辺香津美の凄さが良く判る。
冒頭の「オン・ザ・ホライゾン」の前奏のリリカルなアコギは、すぐ後にトレンドとなるフュージョン・ジャズの響きを宿しており、当時の日本クロスオーバー・ジャズ・シーンの先取性を感じる事が出来る。
しかし、1975年当時、日本のジャズ・シーンでは、電気楽器に対しては「つれなく」、電気楽器は異端として扱われていた。加えて、日本ではまだまだ電気楽器については高価であり、電気楽器自体も楽器として成熟してはいなかった。日本のジャズ・シーンでのエレクトリック・ジャズの受けは良くなく、日本でもインスト中心のロック・バンドは数えるほどしかなかった。
そんな厳しい環境の中で、日本のクロスオーバー・ジャズは、ラリー・コリエルやジョン・マクラフリンなどに代表される、アート性を追求する英国のクロスオーバー・ジャズに十分に対抗しうる、高度な演奏スキルと作曲能力を身につけていた。なんだか、日本人として、ちょっと誇らしい話である。
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