惜しい!『Sonny Meets Hawk!』
RCA時代のロリンズは、一部の評論で言われるほど悪くは無い。というか、二度目の雲隠れから復帰したばかりで、テクニックも歌心もグレードアップしている。悪かろう筈が無い。しかし、諸手を挙げての「五つ星」という感じでは無い。やや難ありの「四つ星」の線なのだ。これがなかなか悩ましい。
ここに『Sonny Meets Hawk!』(写真左)というアルバムがある。当時の新旧テナー・タイタンの共演盤。パーソネルは、Coleman Hawkins, Sonny Rollins (ts), Paul Bley (p), Bob Cranshaw (b), Roy McCurdy (ds)。録音日は2つに別れる。1963年7月15日と18日。
ロリンズとホーキンスの年齢差は25歳。ホーキンスが、テナー・タイタンとして君臨していた頃、ロリンズはまだ10代。家が近所だったそうで、10代のロリンズは、ホーキンスの家の門に座り込んで帰りを待ち、帰宅したホーキンスを一目見るだけで満足したものだ、と後に語っています。う〜ん、良い話ですね〜。ほのぼのします。
つまり、この『Sonny Meets Hawk!』は、30代になって、やっとホーキンスとの共演の機会が巡ってきた、いわゆるロリンズにとって「大感激」のセッションだったんですね。ちなみに録音当時、ロリンズ34歳、ホーキンス59歳でした。
さて、収録された曲はどれもが「大スタンダード曲」ばかり。そんな手垢のついた「大スタンダード曲」を、新旧のテナー・タイタンは実にモダンに吹き上げていきます。ロリンズもホーキンスも、どちらも豪快で声量タップリ。余裕あるブロウを繰り広げます。ホーキンス十八番のビブラートも心地良く、ロリンズのストレートなアドリブも疾走感抜群。
しかし、余裕あるブロウでありながら、なぜか寛いだ大らかな雰囲気は希薄。どちらかと言えば、シリアスな雰囲気がセッション全体を支配しており、全編に渡って、ピンと張ったテンションが漂っている。
バックのピアノ、ベース、ドラムのリズムセクションも、1963年当時の先端を行くモーダルな雰囲気をベースにしていて、とても一昔前の寛いだハードバップ・セッションという雰囲気にはならない。
まず、ロリンズ自身がシリアス。遊び心やユーモアは一切無し。ホーキンスと共演できて嬉しいなあ、というよりは、ホーキンスに真剣勝負を挑むような、テンション高いブログは、ちょっと肩が凝る感じがする。
当時の先端を行くモーダルな雰囲気をベースにしたリズム・セクションにクイックに反応していて、ロリンズ独特の大らかさやユーモアが感じられない。豪快さとハイ・テクニックだけが前面に出て、ちょっと聴いていて疲れる感じ。
逆に、当時の先端を行くモーダルな雰囲気をベースにしたリズム・セクションをバックにするだけで、「マイナス」を背負う感じのホーキンスが、結構、豪快に吹き上げているのが印象的。決して、当時の新テナー・タイタンのロリンズにひけを全く取らない、さすがはホーキンス、というブロウを繰り広げているのは立派。
しかし、先端の響きを宿したリズム・セクションに対峙してブロウを繰り広げるということで、ここでのホーキンスの演奏はやはり「シリアス」。真剣勝負という高テンションの雰囲気バリバリである。
このアルバム、せっかくの新旧テナー・タイタンの共演でありながら、このロリンズとホーキンスのシリアスでテンションの高い演奏が、このアルバムを肩肘張ったような、ちょっと聴いていると疲れる感じといったら良いのか、聴いていて、ちょっと面白味に欠ける、やや難ありの「四つ星」に線になっているのが実に惜しい。
恐らく、当時の先端を行くモーダルな雰囲気をベースにしたリズム・セクションをバックに調達したのが原因だろう。もう少し、年齢のいったハードバップ全盛時代バリバリのリズム・セクションであったならば、もっと寛いだもっと大らさが魅力の内容になったかもしれない。プロデュースの問題である。実に惜しいアルバムである。
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