あれから31年、ジョンの命日
今年も12月8日がやってきた。1980年12月8日、ジョン・レノンは凶弾に倒れた。享年40歳。
自宅アパートのダコタ・ハウスの前、マーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた!(I'm shot!)」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた(Wikipediaより)。
この訃報は衝撃的だった。僕は大学3回生。多感な頃である。最初は何が起きたのか、理解出来なかった。テレビのアナウンサーが何を伝えているのか、理解出来なかった。ジョンが撃たれた。でも、ジョンは帰って来る。楽観的に思い込んでいた。
次のニュースが入ってくる。ジョンが亡くなった。ジョンを失った。若き日の僕にとっての精神的支柱の一人であったジョン。そのジョンの存在がこの世から突然に消えたのだ。その喪失感はかなりのものがあった。
実は今でも、あの時味わった強烈な喪失感を引きずっている。12月8日になると、あの日の激しい喪失感をはっきりと思い出す。今までの人生を振り返って、最大の喪失感だった。僕は、ジョン・レノンを失った激しい喪失感を一生忘れないだろう。
しかし、今でもジョンの歌は、ジョンのメッセージは、様々な形で維持されている。僕たちはいまでもジョンのアルバムを、ジョンのメッセージを体感することができる。ジョンより13年も長生きすることになり、今では、ジョンのメッセージがしっかりと理解出来るまでになった。年齢は、人生経験は、重ねてみるものである。
そして、僕は、Wikipediaにあるこの一文を読んでは、目頭を熱くし、はらはらと涙を流すのだ。「オール・マイ・ラヴィング」は、ポールが主体で書いた曲の中で、初めてジョンが誉めた曲であった。
『レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという』
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