ジミヘン体験は必須のアイテム
マイルスは、エレクトリック・ジャズを展開する際に、ギタリストには「ジミ・ヘンドリックスの様に弾け」と言った。そのニュアンスは、実際にジミヘンを聴かないと判らない。エレクトリック・マイルスを理解するには、ジミヘン体験は必須のアイテムである。
ということで、久し振りにジミヘンを聴き直して見た。特に今日聴き込んだのは『Jimi Hendrix Live at Woodstock』(写真左)。有名なウッドストックでのコンサートを記録したライブ盤。CD2枚組のてんこ盛り。全編で1時間30分強のボリュームである。ジミヘンのエレギを感じるには十分なボリュームである。
マイルスが見染めただけはある、凄まじいエレギ・パフォーマンスである。自由闊達な、硬軟自在、伸縮自在なエレギのフレーズ。そして、ファズをはじめとするアタッチメントを介して、アンプから出てくる暴力的でノイジーな音。
そして、当時のロック界において、他に追従を許さない、その突出したテクニック。黒人のジミヘンの相対して、白人のクラプトンという対比があるが、このジミヘンのパフォーマンスについては、クラプトンの比では無い。
しかし、バックのベースとドラムについては、単純なロックビート、つまりは単純な8ビートを叩き続けるだけで、リズム&ビートはかなり稚拙。この単純な8ビートに乗ったジミヘンのエレギを聴き続けると、基本的に「飽きる」。リズム&ビートが余りに単純で稚拙なので、ジミヘンの天才的フレーズのバリエーションが限定される。恐らくそれが、ここでライブ演奏が単調になる「元凶」だろう。
逆に、ブルージーで柔軟でジャジーなリズム&ビートに乗った時のジミヘンって、それはそれは凄いパフォーマンスを展開したに違いない。想像するだけでワクワクする。そして、そのエレギとマイルスのトランペットがシンクロしたら。それはそれは、凄いパフォーマンスになっていただろう。
実際に、マイルスとの共演のセットアップが進んでいたという。しかし、マイルスとの共演が実現する前に、ジミヘンはオーバードーズが原因で、あの世に旅立った。マイルスはそれ以来、マイルスの頭の中にだけある、ジミヘンとの共演のイメージを実現する為に、ギタリストの調達に腐心することとなる。
マイルスが後に語っている。「ジミは独学の、偉大な、天性のミュージシャンだった。……ピアノかトランペットで演奏してやると、誰よりもすばやく理解してしまうんだ。あんな奴はいない。彼は音楽を聴くための天性の耳を持っていた。」(マイルス・デイビス自叙伝〈2〉宝島社文庫 マイルス デイビス (著), クインシー トループ (著),中山 康樹 (翻訳) から抜粋)。
聴いてみたかったなあ、体験してみたかったなあ、マイルスとジミヘンのコラボ。
しかし、エレクトリック・マイルスを理解するには、ジミヘン体験は必須のアイテムである。このジミヘン体験を通じて、僕たちは、エレクトリック・マイルスのギタリストを吟味する。それが、エレクトリック・マイルスのギタリストに対する正しい姿勢である。
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