懐かしのセシル・テイラー
今から30年以上前。ジャズの聴き始めの頃は、とにかく、ジャズ雑誌・ジャズ盤紹介本の情報が全て。周りにジャズの好きな仲間はいないので、人づてにジャズのアルバムについて訊くことも出来ない。レコード屋さんも、仲の良いレコード屋さんは1〜2枚は試聴させてくれるが、あれもこれも試聴するという訳にはいかない。
当然、当たり外れが出てくる訳で、ジャズ者初心者の頃、一番、当たり外れというか、外れ盤(と当時は感じていた)に当たる確率が高いジャンルが「フリー・ジャズ」。ジャズ者初心者の頃は、フリー・ジャズの内容が良く理解出来ない為、難易度が高いので当たり前なことではある。しかし、そんなことは、当時のジャズ雑誌やジャズ盤紹介本には書かれていないし、周りからも教えて貰うこともない。
そんなジャズ者初心者にとって難易度の高い「フリー・ジャズ」。ジャズ者初心者の頃は、手を出さなきゃいいんだが、ジャズ雑誌やジャズ盤紹介本に「これは必聴」「これは基本」と書かれたら、やっぱり聴きたくなる。そして、小遣い叩いて買っては、聴いて「これは判らん」とガックリする。
そんな中、これはちょっと違う、これは面白い、と思ったアルバムが、Cecil Taylor(セシル・テイラー)の『ソロ』(写真左)。1973年、来日時のソロの録音。1929年3月、米国ニューヨーク生まれ。1960年代のフリージャズの発展の中で、中核をなすピアニストの一人で、そのパーカッシヴかつエネルギッシュなプレイは、フリー・ジャズそのものと言って良い。
1曲目の「Choral of Voice (Elesion)」から、完全にセシル・テイラーの個性が爆発する。フリーに演奏しているんだが、やはりそこは「音楽」として、フレーズの構成アプローチが感じられるところが、セシル・テイラーのピアノ・ソロの素晴らしいところ、というか、聴き易いところ。僕は、このセシル・テイラーのフリーなピアノソロは聴き易いと感じた。そして、実にアーティスティックだと感じた。そう、例えて言うなら、バルトークかシェーンベルクのよう。意外と前衛クラシック的な雰囲気を宿しているのだ。
恐らく、クラシックの世界でバルトークを経験して、それが「音楽」として十分に理解できる感性があれば、フリー・ジャズは問題無く聴くことが出来るし、フリー・ジャズの演奏の良し悪しが判るようになると思われる。フリー・ジャズの演奏は現代でも玉石混淆としており、巷にリリースされている盤の全てが、優れたフリー・ジャズの演奏となっている訳では無いのだ。
そういう意味で、このセシル・テイラーの『ソロ』は、フリー・ジャズを鑑賞する上で、ひとつの試金石となるアルバムの一枚として評価している。ジャズ者初心者の方々に、フリー・ジャズってどんなものですか、と問われたら、このセシル・テイラーの『ソロ』をかけることにしている。
このアルバムがあまり違和感を抱くこと無く聴くことが出来たら、十分にフリー・ジャズを鑑賞する力があると思います。確かに、フリー・ジャズですから、協調和音中心のキャッチャーなフレーズに溢れた演奏の様に聴き易いという訳にはいきませんが、ジャズのスタイルの拡がり、ジャズの奏法のバリエーションを理解するには、フリー・ジャズは避けて通れません。まずは、このセシル・テイラー『ソロ』辺りを出発点として、徐々にフリー・ジャズを攻略していって頂ければ、と思います。
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