初めての日野皓正...
最近、日本女子を中心に日本ジャズ界が活気づいている。我も我もという感じで頭角を現す日本女子。そのリーダー作は、意外と言っては失礼だが、内容のあるものが多々輩出されている。聴き応えのある演奏は、それはもう、その将来が楽しみで仕方が無い。
で、日本ジャズの草分けは、というノリで、日本ジャズ界の歴史を遡ってみた。僕にとって初めての日本ジャズは「ナベサダさん」。そして「秋吉敏子さん」。そして、フュージョン界では「渡辺香津美さん」。そして、トランペットの「日野皓正さん」。この4人は、1978年にジャズを聴き始めて、真っ先に覚えた日本人ジャズ・ミュージシャン。
その日野皓正さんを初めて経験したアルバムは何だったか、と思い出そうと考えていたら、はた、と思い当たった。1975年4月8日録音のライブ盤『Wheel Stone(車石)』(写真左)である。日野皓正の米国移住前のサヨナラ公演のライブ音源である。ちなみにパーソネルは、日野皓正(tp), 宮田英夫(as), 板橋文夫(p), 杉本喜代志(g), 岡田勉(b), 日野元彦(ds), 今村祐司(per)。当時、日本ジャズの実力者ミュージシャンがズラリである。
このライブ盤は、当時、FMでエアチェックさせて貰った。当時、僕はジャズ者駆け出し初心者。 ジャズがなんであるかも良く判らない頃。日本ミュージシャンの代表格の一人として日野皓正の名前を覚えたての頃。FMの番組雑誌でその名を見つけて、エアチェックさせて貰った。
当時、FMエアチェック全盛時代で、FM番組の方も大らかな時代で、新譜のアルバムを全部オンエアしたり、それがちょっとまずければ、同系列の番組で、それぞれLPのA面、B面を別々にオンエアして、合わせると一枚のアルバムが完成する、なんていう「粋な」番組構成も多々あった。それだけ当時、FMは、僕たち貧乏人ジャズ者初心者の力強い味方であった(笑)。
ちなみに僕はこのライブ盤『Wheel Stone(車石)』は、FMの番組で全編オンエアで、カセットにダイレクトにエアチェックさせて貰った。当時、オンタイムでのエアチェックは当然、リアルタイムで聴きながらのエアチェックになるんだが、もうリアルタイムでFM放送で聴いているそばから、このライブ盤は凄い演奏だとビックリした。
なんせ、1曲目(と言っても全2曲しかないが・・・)の「Mocco(モッコ)」の日本の祭りのようなリズムセクションが叩き出すビートだけで仰け反った。そして、その日本的なビートをバックに、日野皓正、愛称ヒノテルが吹きまくる。アルトの宮田も吹きまくる。そして、個人的にはこの人のソロ・パフォーマンスが今では一番のお気に入りだが、板橋文夫のピアノ。ギターの杉本も「間」を活かしたエレギソロは実に個性的だった。これが日本のジャズの今なんだ、と激しく感動したのを、昨日のことの様に思い出す。1978年のことである。
今の耳で聴いても、このライブ盤『Wheel Stone(車石)』は秀逸。ビートを活かした、限りなくフリーではあるが、最低限のレベルで制御されたインプロビゼーション。マイルスの手法であるが、それを自分なりに解釈し、日本的な音楽的雰囲気をシッカリと活かした、類い希な「日本独自の」コンテンポラリーなジャズがここにある。これは今でもなかなか無いよ〜。これだけのオリジナリティー溢れる日本ジャズは、今でもなかなかお目にかかれない。
このアルバムでの「日野皓正」が、僕にとって初めての「日野皓正」だった。この秀逸な内容の「日野皓正」が僕にとって初めての「日野皓正」で良かった。このライブ以降、日野皓正は米国に渡って、遂にはフュージョン・ジャズに手を染めるのだが、この純ジャズな「日野皓正」を事前に体験していたので、フュージョンな「日野皓正」を聴いても、「日野皓正」を間違って解釈することは無かったのである。
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