タイナーの作編曲の才能の開花 『Sama Layuca』
ジャズ者駆け出しの頃、遠く大学時代の頃である。もともと、性格的に天の邪鬼である。当時、ジャズの紹介本でコルトレーンが凄いとか、チャーリー・パーカーが凄いとか言われると、なんだかんだと言って、自分で難癖つけては避けて通っていた。
マッコイ・タイナーもそうであった。まず、コルトレーン一派というだけで駄目だった。ガ〜ン、ゴーン、ガラガラドロドロ、パララパララといった、ハンマー打法のようなピアノタッチとモードを全面に押し出した、ハッキリしない、ウネウネとしたフレーズがどうしても好きになれなかった。
まあ、世間が凄い凄いというので、天の邪鬼的に反抗していたに過ぎない。加えて、ジャズ者初心者、マッコイが何をやっているのか、理解出来なかったというのも正直なところ(笑)。あれから、約30年以上が経って、そんな青い天の邪鬼的なところも無くなって、最近、マッコイ・タイナーを聴き直している。
マッコイ・タイナーの全盛期は1970年代だと思っている。天の邪鬼的な性格を発揮しながらも、ジャズ初心者の頃、マッコイ・タイナーについては、ジャズ喫茶の協力もあってかなりの枚数を聴いて、密かに感動したアルバムも幾枚かある。そのジャズ者初心者の頃、感動した一枚が『Sama Layuca』(写真左)。
1974年3月の録音。ちなみにパーソネルは、John Stubblefield (ob, fl), Gary Bartz (as), Azar Lawrence (ts, ss), Bobby Hutcherson (vib, mar), McCoy Tyner (p), Buster Williams (b), Billy Hart (ds), Guilherme Franco, Mtume (per)。
いやいや、当時、若手精鋭のメンバーがズラリ。アルト・サックスのゲイリー・バーツ、ベースのバスター・ウイリアムス、そして、ドラムのビリー・ハーツ、パーカッションのムトゥーメ。ヴァイヴのハッチャーソンは若手精鋭ではないな、ベテラン職人の類やな。
9人編成のジャズ・コンボ。マッコイ・タイナーの作編曲の才が冴え、9人編成の音とは思えない、ビッグバンド・ジャズ的な分厚い音が凄い迫力である。そして、1974年の録音という時代背景から、クロスオーバーチックな展開とフリージャズ的な展開が「ない交ぜ」になって、1974年当時、最先端のコンテンポラリーなジャズの音を聴かせてくれている。
アルバム全体を通してアフリカを強くイメージする曲想と演奏が展開されているところが、今でも新鮮に響く。どの曲がどう、ということでは無い。アルバム全編を通じて、従来のジャズの枠を越えて、エキゾチックな雰囲気が強く漂う。アルバム全体を覆う音とリズムとビートを通じて、アフリカを実に強く感じる。そして、アフリカン・アメリカンのルーツミュージックを、このアルバムを通じて強く感じることができる。そこが素晴らしい。そこが聴き応えである。
そして、当時のジャズを総括したような、ハードバップ的な響きから、モード的な響き、そして、フリージャズ的な響き、そして、エスニカンな、ワールド・ミュージック的な響きが新しい。当時のジャズの最先端のひとつを示した、圧倒的なドライブ感が実に格好良い。
マッコイの作編曲の才能が全面的に開花した秀作といえます。コルトレーンの下で育んだアフリカンな響き、アフリカンなビートを、マッコイの作編曲の才能を通じて、コルトレーンよりも判り易く、聴き易くして、旧来のスイング中心のジャズの枠を遙かに超えた、音楽のジャンルに捕らわれない、実にクロスオーバー的な秀作と言えるでしょう。とにかく、マッコイの作編曲の才能には脱帽です。
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