コルトレーンの「組曲」の最高作
コルトレーンの聴き直しを進めていて、最近、『A Love Supreme(至上の愛)』(写真左)を繰り返し聴いている。コルトレーン・ミュージックの神髄、コルトレーンの最高傑作との評価されるアルバムであるが、これがまあ、ジャズ初心者の頃、さっぱり理解できなくて、しばらくの間(それもかなり長い間)、全く聴かなかった時期がある。
コルトレーンの「聴きどころ」は3つあると思っている。1つは「卓越したアレンジ&作曲能力」、2つ目は「独特なバラード解釈」、3つ目は「高速ブロウ=シーツ・オブ・サウンド」。この3つの個性・特徴がコルトレーンの魅力。
で、この『A Love Supreme(至上の愛)』は、コルトレーンの「卓越したアレンジ&作曲能力」を愛でる最高の作品だということで合点がいったのは、恥ずかしながら「ここ5〜6年前」のこと。このアルバム全体を覆う「宗教性」がどうしても肌に合わなかったのが原因。
さて、このコルトレーンの『A Love Supreme』は、全体が一つの曲で、「承認」「決意」「追求」「讃歌」という四つの楽章からなる組曲の構成をとっています。組曲ということは、各章に共通する、アルバム全体を貫く「理念」があります。
コルトレーンはこのアルバムを『神への小さな捧げもの』と呼びました。この組曲形式のアルバムのテーマは「神」であり、宗教的な組曲ともいうべき作品です。「宗教的な告白と祈りの音楽」と言えるでしょう。
ジャズのアルバムに「理念」を持ち込み、そのテーマが「神」である、という部分はいろいろと意見が分かれるところだとは思いますが、少なくとも、この『A Love Supreme』は、コルトレーンの卓越した「コンポーザー&アレンジャー」能力の最高到達地点だと思います。
1964年12月9日の録音。時代的にも、ベトナム戦争への介入、ケネディ大統領の暗殺、黒人の解放を求める公民権運動の高まり等、米国は激動の時代を迎えつつありました。そんな時代背景を踏まえながら、コルトレーンが出した音楽的回答のひとつだと思います。
「至高のカルテット」と呼ばれた、テナーのコルトレーン、ピアノのマッコイ、ベースのギャリソン、ドラムのエルヴィン。ピアノのマッコイは重厚かつ分厚いバッキングでガッチリとコルトレーンを支え、ギャリソンは緊張感溢れる、ゴリゴリとした太いベースでビートを供給する。ドラムのエルヴィンは、コルトレーンに挑むように、自由奔放にポリリズムを叩きまくる。
当時のジャズの最先端の演奏と言えるでしょう。ハードバップの演奏フォーマットを限りなくフリーに近づけ、コードからモードまでの演奏形式を柔軟に使い分け、ジャズの演奏フォーマットの表現の幅を最大限に拡げた、素晴らしい演奏と言えるでしょう。
ただ、LP時代から感じていることなんですが、どうしても演奏時間が短いと感じるんですよね。「神への捧げ物」である壮大な組曲であるが故、LP一枚分の長さだと、何か物足りなさが残るんですよね。所謂、コンセプト・アルバムの類なので、プログレッシブ・ロックのアルバムの様に、LP2枚組のボリュームでブワーッと大々的にやって欲しかったなあ。
さすがに、コルトレーンの「組曲」の最高作だけあって、味わい深いアルバムであることには間違い無く、最近、ちょくちょく引き出してきては聴いています。この『A Love Supreme』は、とりわけ、コルトレーンの「卓越したアレンジ&作曲能力」を様々な角度から愛でることのできる傑作と言えるでしょう。
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