聴き手を悩ませるアルバム
ジャズのアルバムを聴く楽しみの一つに、演奏を聴きながら、誰のプレイなのか、その癖、その音色を聴きながら類推する、いわゆる「ブラインド・テスト」的な聴き方がある。
ジャス・ミュージシャンというのは、それぞれ、個性のかたまりなので、音を聴くだけで、大体誰が演奏しているかが、なんとなく判る。これは誰それ、これは誰それ、と思いながら、パーソネルを確認し、当たったら、何となく一人でご満悦なのだ(笑)。
しかし、時には、誰のプレイなのか、さっぱり判らなくて、オロオロしてしまうアルバムがある。その一枚が『コルトレーン・タイム』(写真左)。コルトレーンの名が冠されているので、コルトレーンのリーダー作と思ったら、これが大間違い。
フリージャズ・ピアノの先駆者セシル・テイラー(写真右)のリーダー作として制作されたもので、当初のタイトルは『ハード・ドライヴィング』。それが途中から現在のタイトルに変更され、あたかもコルトレーンのリーダー作のように扱われるようになったもの。
パーソネルは、ジョン・コルトレーン(ts), セシル・テイラー(p), ケニー・ドーハム(tp), チャック・イスラエル(b), ルイス・ヘイズ(ds)。アルバムを聴き進めると、コルトレーンのテナーはすぐ判る。ドーハムのトランペットも暫くすると判る。
セシル・テイラーは、フリージャズ・ピアノのスタイルの先駆者。清濁相見え、混沌としたフリー・ジャズの世界の中で、音楽性を前面に押し出したフリー・ピアノを成立させた孤高の存在。でも、このアルバムが録音されたのは、1958年。ハードバップ全盛期の中、フリー・ピアノの怪人・セシル・テイラーは、びっくりするほどオーソドックスなハードバップをやっている。
よって、ピアノが誰なのかが判らない。ソロの部分を聴くと、セロニアス・モンクか?と思うが、モンク独特のタイム感覚とは違う、意外と普通のタイム感覚で「モンク風」に弾いているので、モンクでは無い、ということは判る。
フロントのバッキングに回ると、これは一聴するとすぐモンクでは無いのが判る。バッキングのコンピングが明らかに「普通」というか、あまりに普通すぎて「素人か」とも思ってしまうほど。でも、和音の重ね方は独特のものがあって、しばらく聴いていると「ただ者」で無いことが判るから困る。
誰だ〜これは〜、と、この『コルトレーン・タイム』を初めて聴いた時は、激しく戸惑った。パーソネルを確認してみて、ちょっと納得、セシル・テイラーだったんですね。いや〜、フリー・ピアノの怪人セシル・テイラーも、この頃は、ハードバップ全盛の中で、ちょっと「トンガって」いたんですね〜。
今の耳で聴くと、このセシル・テイラーの「モンクもどき」のピアノをバックに、上手く隙間を見つけながら、ソロをドライビングしていくコルトレーンには、改めて感心した。さすがコルトレーンである。コルトレーンはハード・バップ、モード、フリーを駆け抜けたジャズ・ジャイアントであっただけに、彼の未来を予感するような演奏である。
逆に、このセシル・テイラーの「モンクもどき」のピアノをバックに、全く乗り切れないのが、トランペットのケニー・ドーハム。らしくないフレーズを奏でながら苦戦しています。そうやね、ドーハムにフリーは似合わない(笑)。
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