癒しとして「聴かせる」ジャズ 『Jazz 'N Samba』
昨日、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバ・アルバムをご紹介した。そうしたら、ふと、ミルト・ジャクソンの『Jazz 'N Samba』(写真左)を思い出して、今日は、この『Jazz 'N Samba』がヘビー・ローテーション。都合3回繰り返し聴いてしまいました。
時は1964年。ジャズ界と言えば、ジョン・コルトレーンを中心とする、あくまでジャズを純粋な芸術とし、あくまで求道的な芸術として、人間の心の叫び、人間として本能的な純粋な響きとして、フリー・ジャズが台頭、そのフリーキーな響きは、一般のジャズファンを遠ざけつつあった。
逆に、スイング時代の様に、ジャズを聴き易い、大衆音楽として親しみやすい音楽として、ジャズ・ロックやファンキー・ジャズが人気を博しつつあった。そして、ボサノバ・ブームの到来。ボサノバの米国上陸とともに、異種格闘技の得意なジャズは、そのボサノバのエッセンスをいち早く吸収して、ボサノバ・ジャズとしてブームを巻き起こす。
それでも、英国からはビートルズが米国に上陸、大衆音楽としてのジャズは、アメリカン・ポップスやロックンロールの攻勢に、徐々に「大衆音楽」の座を追われつつあった。
そんな1964年に録音された『Jazz 'N Samba』。ジャズ・マニアという特別な人達に聴かれるだけで無く、一般大衆にも受け入れて貰える、癒しとしての、娯楽としてのジャズへの転身を図ろうとする意図が見え隠れする佳作である。
LP時代のA面は「職人芸溢れる、成熟したハード・バップ」、B面は「流行のボサノバ・ジャズ」。どちらの面も、ビ・バップやハード・バップ全盛期の様に、「熱くジャズを聴かせる」のでは無く、「超絶技巧なテクニックを見せつける」のでは無く、「先進的なジャズの奏法・解釈」を聴かせるのでは無く、ジャズを、純粋に、楽しく、気持ち良く、大衆音楽として、「癒し」として、聴いて欲しい、聴いて貰いたい、という想いが溢れている。
ジャズを、ジャズ・マニアという特別な人達に聴かれるだけで無く、一般大衆にも受け入れて貰える、癒しとしての、娯楽としてのジャズを模索する、この『Jazz 'N Samba』の様なアルバムが、ジャズの求道者であるジョン・コルトレーンを「メイン・スター」として擁する「インパルス・レーベル」からのリリースという事実が、その後のジャズを暗示しているようで面白い。
Jimmy Heath (ts), Milt Jackson (vib), Tommy Flanagan (p), Richard Davis (b), Connie Kay (ds)と、ジャズの職人達が繰り広げる、癒しとして「聴かせる」ジャズ。純粋に、楽しく、気持ち良く、大衆音楽として「聴かせる」ジャズ。「ハード・バップ」面も「ボサノバ・ジャズ」面も、良質の「純ジャズ」を聴かせてくれます。
聴いていて微笑ましいのは、B面の「ボサノバ・ジャズ」面。ボサノバ系のミュージシャンを追加して、なんとか本場ボサノバの雰囲気を出そうとしているんですが、バックのジャズ職人達が、ボサノバを、しっかりと「ジャズ化」してしまい、ボサノバをモチーフとした、しっかりとした「純ジャズ」の演奏になってしまっています(笑)。やっぱり、ジャズメンが演奏するのは「ジャズ」ですよね。
ジャズの入門書やアルバム紹介に、なかなか顔を出さないアルバムですが、実に渋くて、良い内容のアルバムです。CDとしては、ちょっと手に入れにくいアルバムですが、ダウロードサイトからは比較的入手し易すそうですので、一聴をお勧めします。癒しとして「聴かせる」ジャズが満載です。
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