追悼・ジョニー・グリフィン
朝から室温は30度を超え、13時過ぎには、33度超えを記録した、我が千葉県北西部地方。暑い。猛暑、酷暑の類。もう何をする気も起こりません(笑)。
さて、去る7月25日、訃報が舞い込んだ。モダン・ジャズを代表するサックス奏者の一人、ジョニー・グリフィンが、フランス西部の自宅にて亡くなったそうです。1928年生まれだそうなので、ちょうど80歳。モダン・ジャズが確立された、1940年代以降、ビ・バップ期〜ハード・バップ期を現役で経験した、モダン・ジャズの大ベテランでした。
その訃報によると、その日に出演するコンサートの予定のわずか数時間前の死だったらしく、ベテランらしく、最期まで現役を貫いた、偉大なジャズ・ミュージシャンの一人でした。1960年代前半、ヨーロッパに移住し、グリフィンに関する情報も少なくなり、いつの頃だったか、デンマークの古城を住みかに悠々自適な生活を送っているらしい、なんて情報も伝わってきたりもしましたね〜(笑)。
グリフィンのサックスは、力強くて音が大きくハッキリして、こぶしが効いた節回し、そして、大らかな歌心、そして、早弾きさせたら、それはもう超絶技巧。パッセージを世界最速で吹く男としても名を馳せたこともあります。
グリフィンがニューヨークに出てきた当時(1956年頃)、NYのテナー・サックス界は、若手有望株として、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンが覇を争っていた訳だが、そこに、グリフィンが参入して、当時の評価としては、グリフィン一番、ロリンズ二番、コルトレーン三番の序列。
確かに、NYに出てきての最初のリーダー・アルバム『Introducing Johnny Griffin』(写真左)を聴くと、2枚目のリーダー・アルバムながら、既に、スタイル、ブロウィング共に完成されていて、その内容たるや、他を寄せ付けない完成度があります。
日本では何故か人気が無かったですね。フリーに走り、ジャズに苦悩と苦闘を求め、スピリチュアルな雰囲気で偶像化されたコルトレーン。そのコルトレーンとは、全く正反対のキャラクター設定(本能のおもむくまま、歌心優先のブロウ)を押し付けられたロリンズ。
日本では、このコルトレーン対ロリンズの図式で、テナー・サックスの世界が語られることが多かったんで、NYでは、この2人より評価の高かったグリフィンが、全く日本では無視された格好になった上に、先ほど書いたように、1960年代以降は、ヨーロッパに移住しちゃったんで、日本に、余計に情報が入ってこなくなって、まったくマイナーな扱いになったんでしょうね。
でも、僕は、ジョニー・グリフィンのテナー・ブロウが好きでした。確かに、コルトレーン、ロリンズより、ハード・バップなブロウは、グリフィンが圧倒的に抜きんでていて、ハード・バップなブロウを心から楽しみたい時は、絶対にグリフィンでした。とにかく、コルトレーン、ロリンズに比べて、安定感と歌心が違う。そして、グリフィンの「こぶし」の効いた癖のあるブロウが「たまらない」。この「こぶし」の効いた癖にはまると、グリフィンにドップリです(笑)。
惜しいテナー・マンを亡くしました。モダン・ジャズが確立された、1940年代以降、ビ・バップ期〜ハード・バップ期を現役で経験した、モダン・ジャズの大ベテランがまた一人、鬼籍に入ったことになり、実に寂しい限りです。なんか、学生時代から聴き親しんできたベテランが、一人一人と鬼籍に入っていくのは、結構、精神的にこたえる年頃になりました(微笑)。しみじみしてしまいます。ご冥福をお祈りいたします。
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