ライブ・イン・ロシア
ロックの世界は、ワールド・ワイドというが、確かにその通りだよな、と納得できる事実が幾つかある。その一つが、冷戦時代の共産圏でのライブ・パフォーマンス。
今から約30年〜50年前、世界は、資本主義国家(米国)と共産主義国家(ソ連)の二極対立時代で、「冷戦」と名付けられ、核保有と大陸間弾道ミサイルの保有、宇宙開発などの面で、お互いにしのぎを削り、覇権を争った時代があった。
が、しかし、ロックの世界は、そんな「冷戦」なんてなんのその、1970年代から、機会を捉えては、旧ソ連の首都モスクワやサンクトペテルブルグなどでのライブ・パフォーマンスを実現し、意外と自由気ままに振る舞っていた。ちょっと、Googleで検索してみても、
1990年 エイジア『ライヴ・モスクワ 09‐X1‐90』
1979年 エルトン・ジョン『モスクワライブ1979』
1987年 ビリー・ジョエル『コンツェルト・Live in U.S.S.R. 』
1988年末にソ連でのみ発売されたLP
ポール・マッカートニー『Choba B CCCP (Back in the USSR) 』
などなど。
古くは、1960年代に、ビートルズが『Back In The U.S.S.R.』をシングルで発表してヒットしているし、なにかと、ロックの世界では、時々、顔を出す共産圏の国々。今では、ロシアについては、共産主義圏から自由主義圏への移行を進めつつある。
遠く学生時代、エルトン・ジョンの『モスクワライブ1979』の話を聞いた時は、なんだかドキドキした。1987年のビリー・ジョエルのモスクワ・ライブを聴いた時は、モスクワ市民の盛り上がり方に驚いた。
鉄のカーテンで、その真の姿が見えない共産圏の国々。特に、ロシアと中国は、その姿が見えないことに不安を覚えたり、恐怖を覚えたりした。そんな時、旧ソ連でのロック・ライブを聴く度に胸をなで下ろしたものだ。なぜって、その熱狂ぶりときたら、資本主義圏の我々となんら変わりのない反応なのだ。
とにかく盛り上がり方一緒で、もしかしたら日本より上かも、と思っている。旧ソ連でのロックのライブ・アルバムを聴く度に思った。音楽の世界は、やはり国境は無いんだと。
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