« 「ロシアの子守唄」の名演は... | トップページ | ロックでのロシアとの関連 »

2008年5月26日 (月曜日)

ライブ・イン・ロシア

ロックの世界は、ワールド・ワイドというが、確かにその通りだよな、と納得できる事実が幾つかある。その一つが、冷戦時代の共産圏でのライブ・パフォーマンス。

今から約30年〜50年前、世界は、資本主義国家(米国)と共産主義国家(ソ連)の二極対立時代で、「冷戦」と名付けられ、核保有と大陸間弾道ミサイルの保有、宇宙開発などの面で、お互いにしのぎを削り、覇権を争った時代があった。

が、しかし、ロックの世界は、そんな「冷戦」なんてなんのその、1970年代から、機会を捉えては、旧ソ連の首都モスクワやサンクトペテルブルグなどでのライブ・パフォーマンスを実現し、意外と自由気ままに振る舞っていた。ちょっと、Googleで検索してみても、

1990年 エイジア『ライヴ・モスクワ 09‐X1‐90』
1979年 エルトン・ジョン『モスクワライブ1979』
1987年 ビリー・ジョエル『コンツェルト・Live in U.S.S.R. 』
1988年末にソ連でのみ発売されたLP
ポール・マッカートニー『Choba B CCCP (Back in the USSR) 』
などなど。
 

Live_ussr

 
古くは、1960年代に、ビートルズが『Back In The U.S.S.R.』をシングルで発表してヒットしているし、なにかと、ロックの世界では、時々、顔を出す共産圏の国々。今では、ロシアについては、共産主義圏から自由主義圏への移行を進めつつある。

遠く学生時代、エルトン・ジョンの『モスクワライブ1979』の話を聞いた時は、なんだかドキドキした。1987年のビリー・ジョエルのモスクワ・ライブを聴いた時は、モスクワ市民の盛り上がり方に驚いた。

鉄のカーテンで、その真の姿が見えない共産圏の国々。特に、ロシアと中国は、その姿が見えないことに不安を覚えたり、恐怖を覚えたりした。そんな時、旧ソ連でのロック・ライブを聴く度に胸をなで下ろしたものだ。なぜって、その熱狂ぶりときたら、資本主義圏の我々となんら変わりのない反応なのだ。

とにかく盛り上がり方一緒で、もしかしたら日本より上かも、と思っている。旧ソ連でのロックのライブ・アルバムを聴く度に思った。音楽の世界は、やはり国境は無いんだと。
 
 
 

★ コメント&TBは、全て「松和のマスター」が読んでから公開される仕組みです。表示されるまで少し時間がかかります(今週は私事都合によりコメントへの返答はできません。来週火曜日以降のお返事となりますので、ご了承下さい)。公開されたくないご意見、ご感想はその旨を添えて送信してください。
 

« 「ロシアの子守唄」の名演は... | トップページ | ロックでのロシアとの関連 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ライブ・イン・ロシア:

« 「ロシアの子守唄」の名演は... | トップページ | ロックでのロシアとの関連 »

リンク

  • まだまだロックキッズ(バーチャル音楽喫茶『松和』別館)
    この「松和・別館」では、懐かしの「1970年代のロック」盤の感想や思い出を率直に語ります。これまでの、ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと・ブログの中で不定期に掲載した、70年代ロックの記事を修正加筆して集約していきます。
  • 松和の「青春のかけら達」(バーチャル音楽喫茶『松和』別館)
    この「松和・別館」では、懐かしの「1970年代のJポップ」、いわゆるニューミュージック・フォーク盤の感想や思い出を率直に語ります。これまでの、ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと・ブログの中で不定期に掲載した、70年代Jポップの記事を修正加筆して集約していきます。           
  • AORの風に吹かれて(バーチャル音楽喫茶『松和』別館)
    AORとは、Adult-Oriented Rockの略語。一言でいうと「大人向けのロック」。ロックがポップスやジャズ、ファンクなどさまざまな音楽と融合し、大人の鑑賞にも堪えうるクオリティの高いロックがAOR。これまでの、ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと・ブログの中で不定期に掲載した、AORの記事を修正加筆して集約していきます。  

カテゴリー