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2017年12月 8日 (金曜日)

37回目のジョンの命日である

ジョンの命日である。1980年12月8日 22時50分、自宅アパートのダコタ・ハウス前で、マーク・チャップマンの凶弾に倒れた。享年40歳。レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという。僕は当時、大学3回生。そうか、あれから37年の月日が流れたことになるのか。

今年は「37年」という中途半端な経過年なので、ジョンの命日はほとんど話題になっていない。ちょっと淋しい気がする。それでも、今年も命日を偲んで、ジョンのソロ盤をかけて、ジョンの在りし日を偲んでいる。今年の選盤は、John Lennon『Walls And Bridges』(写真左)。邦題『心の壁、愛の橋 』。1974年9月のリリース。全米1位・全英6位・日本14位を記録。

この盤については、深夜ラジオから流れて来た、当時のシングル盤「Whatever Gets You Thru The Night(真夜中を突っ走れ)」が切っ掛け。僕はこの曲が大好きで、FMからエアチェックして、映画研究部の部室で、必ず一人の時、この曲を大音量で聴いていた。そこへ、先代部長Nさんがヒョッコリと顔を出して「ジョン聴いてんのか」。
 

Walls_and_bridges_1

 
僕は圧倒的にジョンが好きで、先代部長のNさんもそうだった。二人で密かに意気投合し、翌日、僕はこのシングル曲が収録されている『Walls And Bridges』をNさんから借り受けた。当時、ダビングさせて貰ったカセットは、僕にとって、宝物のひとつであった。振り返れば、ほんと必ず二人の時に(時々Muさんが加わる)、Nさんとジョンのアルバムを聴いたなあ。しかし、そのNさんも、もうこの世にいない。

「#9 Dream(夢の夢)」も名曲だと思う。1975年のリリース。全英23位、全米9位を記録。音の丸みと浮遊感が素敵で、それでいて、演奏のメインはしっかりと骨太にアレンジされている。暖かい空気に包まれたような感じの中で、ジョンの印象的なフレーズがクッキリと浮かび上がる。そんなアレンジが秀逸。何度繰り返し聴いても飽きの来ない優れもの。

僕達は、決してジョンを忘れる事は無い。今年のジョンの命日は『Walls And Bridges』で鎮魂。ジョンが亡くなって、37年が過ぎた。僕もあれから37歳、年を取った。しかし、世界の状況は「あの頃」とあまり変わってはいない。ジョンの命日になると、日々の忙しさに追われて忘れていた、ある「疑問」がフッと頭に浮かぶ。「本当に人類は進歩しているのだろうか」。

 
 

東日本大震災から6年8ヶ月。決して忘れない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。 

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2016年12月 8日 (木曜日)

ジョンの命日がやってきた。

また今年もやってきた。ジョン・レノンの命日。 ニューヨーク、1980年12月8日 22時50分、ジョン・レノンは撃たれた。日本時間にすると、12月9日の12時50分。確かにそうだった。火曜日だった。僕が「ジョンが撃たれた」というテレビのニュースを見たのは、14時だったかと思う。

テレビでは「ジョンが撃たれた」だけで、生死の状態についてのコメントは無かった。僕達は「ジョンが撃たれたって、ほんま、米国って危ない国やなあ」なんて呑気な会話を交わしていて、とにかく「ジョンが死ぬわけが無い」という理由無き確信を持っていた。そして、15時のラジオのニュースでジョンが死んだことを知る。

あの時のショックは決して忘れることは出来ない。あれだけ不条理な死を僕は他に知らない。4年前、自分自身が2度に渡って生死の境を彷徨った経験があるので、死ぬということは、如何に本人にとって辛く悲しい出来事なのか、十分に理解出来る。当時、レノンは40歳。如何に無念であったか。

もともと僕はビートルズの4人の中では、圧倒的に「ジョン・レノン」が好きである。彼の生き様が好きだったし、彼のソロになってからのアルバムも好きだった。当時も今も「ジョンの様に生きたい」と思っているし、ジョンのソロアルバムの全てが好きだ。オリジナル盤もコンピ盤も企画ボックス盤も全てが好きだ。

さて、僕が初めてジョンのソロ盤に出会ったのは『John Lennon / Plastic Ono Band』(写真左)。邦題『ジョンの魂』、略して「ジョンたま」である。1970年12月のリリース。当時、僕は小学6年生。もちろん「ジョンたま」はまだ知らない。そう、僕がこの「ジョンたま」に出会ったのは、高校1年生から2年生になる春休みの事である。
 

John_favorite_albums

 
映研の先代部長Nさんが部室に持ち込んだ。「お前もジョン好きやろ」と聴かせてくれた。NさんとMuさんと3人で聴いた『ジョンたま』。ギター・ドラム・ベースのシンプルな楽器構成(曲によってピアノ・オルガンが入る)。シンプルではあるがビートとメリハリが効いたロックな雰囲気。

歌う内容は「愛だ恋だの惚れた腫れたを歌うより、他にもっと歌わなければならないことがあるだろう」と言わんばかりの硬派な内容。私小説と呼んで良い、最も私的な内容。そして、魂の入ったボーカル。圧倒された。『ジョンたま』を聴き終えた後、言葉が出なかった、動くことが出来なかった。

これぞロック、である。さすがジョン、やっぱジョン。以降、ジョンのソロ盤は外したことが無い。全て所有している。そして、どれもが愛聴盤。ジョンの飾りをそぎ落とした、ソリッドでシンプルなロックは、僕にとって、ロックとは何か、の問いに答えてくれる「ひとつの指針」である。

そうそう、ジョンのベスト盤として、1975年10月のリリース以来、長年愛聴しているのが『Shaved Fish』(写真右)。邦題『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』。まあ、当時、いろいろあって、そのいろいろあった中で、自らを慰め鼓舞してくれた、思い入れの強いコンピ盤である。

米国で発売されていた自身のシングル、もしくはシングル・カット曲を収録しており、僕の好きな曲ばっかりで占められ、しかも、聴き易い順番に並べられている。コンピ盤というより、もう一つのオリジナル盤として評価できる様な、コンピ盤とは思えない「統一感」。アーティスティックなジャケットもお気に入りで、今でも愛聴しているコンピ盤である。

僕達は、決してジョンを忘れる事は無い。今年のジョンの命日は『ジョンたま』と『かつお節』で鎮魂。そして、『かつお節』のラス前「Happy Xmas (War is Over)」で、今年の終わりを感じ、今年を厳かに振り返るのだ。

 
 

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2015年12月12日 (土曜日)

ジョンの命日に思いを馳せる

気がつけば、今日は12月12日。もう既に今年も後20日を切った。今年は温かい冬の始まりで、昨日などは東京では最高気温が20度を超えたとのこと。史上3番目に大きいエルニーニョが発生しているとかで、今年は久し振りに暖冬になる確率が高い。

12月は僕にとって特別な月である。自分の人生において「決して迎合しない、自分の人生はできる限り自分でコントロールする、決して長いものには巻かれない」と強く思い、それが自分の信念として定着した衝撃的な事件が起きた月である。

「1980年12月8日、22時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した。2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「撃たれた! (I'm shot!) 」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。(Wikipediaより引用)」。

そう、ジョン・レノンが殺害されたのが「12月8日」。今年で35年になる。存命であれば、来年の2016年は75歳となる年。もうそんなに年月が経ってしまったのか。1980年当時、僕は22歳。大学3回生で、ジョンが狙撃された事件は大学生協の電化製品売り場のラジオ放送で知った。そして、ジョンの逝去をテレビの緊急ニュースで知った。

当時、ジョンのプライベートに関してはあまり感心しなかったが、彼の思想、音楽性については、大いに影響を受けていた。その精神的支柱的ミュージシャンが、全く関係の無い赤の他人に撃たれて、あっと言う間に生命を奪われた。しかし、まだ40歳の若さである。相当強い虚しさに襲われた。当時、相当にショッキングな事件だった。

さて、そのショッキングな事件を境に、自分の人生の信念を固めたわけだが、人生の節目節目において、ジョンの曲は常に僕を励まし、癒し続けてくれている。そんな彼の曲の中で、一番好きな曲が「Mind Games」。同名のタイトルアルバム、ジョンの4枚目のオリジナルアルバムである『Mind Games』(写真左)の冒頭の1曲目である。

この曲は僕の「人生の応援歌」である。「Imagene」も良いが、僕にとっては、この「Mind Games」が絶対的存在である。アルバムは1973年のリリース。「ヌートピア宣言」という邦題の為、社会性の強いメッセージ・ソング集のような誤解を受けがちなアルバムですが、そんなことはありません。ジョンのアルバムの中で一番優しいアルバムだと思います。
 

Mind_games

 

We're playing those mind games together
Pushing the barriers planting seeds
Playing the mind guerilla
Chanting the Mantra peace on earth

We all been playing those mind games forever
Some kinda druid dudes lifting the veil
Doin' the mind guerilla
Some call it magic the search for the grail

Love is the answer and you know that for sure
Love is a flower you got to let it, you got to let it grow

So keep on playing those mind games together
Faith in the future, out of the now
You just can't beat on those mind guerrillas
Absolute elsewhere in the stones of your mind

 

僕たちはみんな精神の試行錯誤を繰り返している
固い壁を突破したり、そこに新たな種を植えたりしながら
意識革命をしているんだよ
地球に平和を!というマントラを唱えながら

僕たちは、これからも思考実験をくり返すだろう、
みんな永遠にね
ドルイド教の司祭のような男もベールを剥げば、
自分の精神と格闘している
魔術とか、聖杯探しなんて意味がないとか言われながら

愛こそが「答え」だって、君にはよくわかってる
愛は、君が育てて、君が咲かせる「花」なんだって

だから、一緒に思考することを続けていこう
これから生み出される未来を信じて
自分自身の精神を革命しようとする人々を、
攻撃するなんてできないよ
意志の力は、何よりも強いんだから

 

自分については、50歳を過ぎて54歳で生死の境を彷徨い、ジョンとは違って幸運にも生き存えている。今ではジョンの生き様や音楽的成果を丸ごと受け入れることが出来る様になった。振り返ってみて、彼が、歴史上、偉大なミュージシャンの一人だったことは疑う余地は無く、その生き様はとても「人として誠実」だったと感じている。

 
 

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2014年12月 8日 (月曜日)

今年もジョン・レノンの命日に想う

1980年12月8日。ジョン・レノンの命日である。実際にジョンの死亡が確認されたのは、ニューヨークで、1980年12月8日23時07分。日本と14時間の時差があるから、正確には、日本では1980年12月9日の13時07分となる。

当時、僕は大学3回生。日本時間の12月9日、大学生協の電気屋で「ジョンが撃たれた」という報に接し、何が起きたのか、上手く理解出来なかった。まあ、ジョンが死ぬはずが無いよ、と軽く思い直して、午後からの授業に出た。そして、授業が終わって、カセットテープを買って帰ろうと、大学生協の電気屋に戻った。そして、FM放送の緊急ニュースにて「ジョンが死んだ」ということを知った。

世の中には思いもよらぬ不条理な出来事が起こるのだ、ということを痛感した。34年経った今でも、あの時の強烈な「喪失感」は忘れられない。56年間の我が人生の中で、今でも生涯最大の「喪失感」である。今でも、大事な何かを失ってしまった感覚は、胸の中に強く残っている。

さすがに50歳を過ぎて、生前はいろいろとあったが、そのジョンの生き様や音楽的成果を丸ごと受け入れている。振り返ってみて、彼が、歴史上、偉大なミュージシャンの一人だったことは疑う余地は無く、その生き様はとても「人として誠実」だったと感じている。

ビートルズの4人のうち、二人が鬼籍に入り、二人は俗世に生きている。

ジョンは生粋のロックンローラーだったと思う。自分の音楽が世の中に受けようが受けまいが、最終的には気にしていなかったのではないか。自分の感性のまま、自分の思いを入れ込んで、曲を作り歌を唄う。自分の気に入った曲が名曲であり、世の中に受け入れられた曲は必ずしも名曲では無かった。

ポールはどうやって自分の曲が世の中に受け入れられるのかを常に考えた。その為には、自分の感性をねじ曲げ、自分の思いを入れ替えてまで、世の中に受け入れられる曲を追求した。つまりは、演奏して唄える「職業作曲家」であった。ジョンのやらないことやり、成功することで心の平穏を得ている様な活動の数々。
 

John_lennon_glasses

 
ジョージは「普通に優れた音楽家」だった。悪い意味では無い。時に良い曲を書き、時に良い詩を書き、時に良い内容のアルバムを残した。ポールの様に、世の中に受け入れられる曲を追求した時代もあるし、ジョンの様に、自分の感性のまま、自分の思いを入れ込んで、曲を作り歌を唄う時代もあった。ジョージのあこがれの存在は、ジョンであり、ポールであった。

リンゴはエンタテイナーである。いかに皆を楽しませるかに気を配る。ドラマーとして超一流の腕を持ちながら、ドラマーとしての道を選ばなかった。リンゴのドラムの優秀性を誰よりも理解していたのはジョンであった。ジョン以上にリンゴのドラムを理解しているミュージシャンはいない。ジョンの亡きこの世にて、リンゴはドラマーとしての道を歩もうとはしない。皆を楽しませる為だけにドラムを叩く。

ジョンはあの世でジョージと共に、この俗世の状況をどう見ているんだろう。今でも、リアルタイムで体験したジョンの命日を思い出す。あの時のやるせない気持ちは今も忘れない。決して忘れることは無い。今までもこれからも。そして、あと2週間もすれば、クリスマスがやってくる。

So this is Christmas
And what have you done
Another year over
a new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young

A Very Merry Christmas
And a Happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

「Happy Xmas (War Is Over)」
Christmas song by John Lennon, Yoko Ono.

 
 

震災から3年8ヶ月。決して忘れない。まだ3年8ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。 

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2013年12月 8日 (日曜日)

12月8日、33回目のジョンの命日

今年もジョン・レノンの命日がやって来た。昨年は、手術後5日目。術後、初めて重湯を食した日なので良く覚えている。病室で「そう言えば、今日はジョンの命日やったなあ」とぼんやり思い出しながら、重湯をすすっていた。当然、昨年の今日はブログで語るどころでは無かったなあ。

さて、「今日はジョンの命日」とはいっても、正確には、NY時間の12月8日の23時過ぎに亡くなっているので、日本時間に換算すると、12月9日の9時過ぎ(現在の日本とニューヨークとの時差は14時間)になるが、そこはまあ、細かいことは言いっこ無し、ということで、ご容赦願いたい。

ジョンが、自宅のあったダコタ・ハウスの前で撃たれたのは、1980年12月8日、22時50分。あれから、今年で33年が経ったことになる。当時、僕は大学3回生。日本時間の12月9日、大学生協のFM放送の正午のニュース(だったかと思う)で、「ジョンが撃たれた」という報に接し、何が起きたのか、上手く理解出来なかった。

そして、その3時間後だったか、NHKのテレビのニュースで、ジョンの逝去を知ったと思う。「ジョンが撃たれた」という報に接し、「ジョンのことだから、きっと大丈夫。大事には至っていない」と不思議な確信があったので、逝去したという報には愕然とした。あの時の激しい喪失感と虚無感は今でも忘れない。

あれから33年、生きていれば、ジョンは73歳の翁である。今年はポールが来日したが、ポールは今年71歳。ポールの雰囲気からすると、ジョンもその気があれば、まだまだバリバリの現役ミュージシャンとして、君臨していただろう。まあ、その気があれば、だけど(笑)。生きていたら、ジョンって、73歳の今でも歌っていたのかなあ。
 

John_lennon_collection_1

 
僕は、毎年、ジョンの命日が近づくと、このアルバムを聴く。『John Lennon Collection』(写真左)。LPで発売された当時から、何故かジョンの愛聴盤の一枚。選曲が良いのと曲順と曲の流れが気に入っているのが大きな理由かな。そうそう、ジャケット写真が、死の数時間前に撮影されたもの、という特別なところも大きい。まあ、ソロ・アルバムの一枚一枚を聴き直すのは、ちょっと「重い」という感覚もある。

僕は、生前はいろいろとあった様だが、そのジョンの生き様や音楽的成果を丸ごと受け入れている。振り返ってみて、彼が、歴史上、偉大なミュージシャンの一人だったことは疑う余地は無く、その生き様はとても「人として誠実」だったと感じている。

そして、今年のポールの来日公演のセットリストを見渡して、「All My Loving」が選曲されていることに気付く。感慨深い想いが駆け抜ける。

この1980年12月8日、ジョンの最期の日。伝えられるところによれば、レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「All My Loving」だったという。そして、ジョンをして「ポールは完璧な作曲の能力がある」と言わしめた、ポールが敬愛するジョンに、初めて、その作曲能力を誉められた曲である。 

今でも、リアルタイムで体験したジョンの命日を思い出す。あの時のやるせない気持ちは今も忘れない。決して忘れることは無い。今までもこれからも。そして、あと2週間もすれば、クリスマスがやってくる。

So this is Christmas
And what have you done
Another year over
a new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young

A Very Merry Christmas
And a Happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

「Happy Xmas (War Is Over)」
Christmas song by John Lennon, Yoko Ono.

 
 

大震災から2年8ヶ月。決して忘れない。まだ2年8ヶ月。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。 

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2011年12月 8日 (木曜日)

あれから31年、ジョンの命日

今年も12月8日がやってきた。1980年12月8日、ジョン・レノンは凶弾に倒れた。享年40歳。

自宅アパートのダコタ・ハウスの前、マーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた!(I'm shot!)」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた(Wikipediaより)。

この訃報は衝撃的だった。僕は大学3回生。多感な頃である。最初は何が起きたのか、理解出来なかった。テレビのアナウンサーが何を伝えているのか、理解出来なかった。ジョンが撃たれた。でも、ジョンは帰って来る。楽観的に思い込んでいた。
 

John_lennon_museum

 
次のニュースが入ってくる。ジョンが亡くなった。ジョンを失った。若き日の僕にとっての精神的支柱の一人であったジョン。そのジョンの存在がこの世から突然に消えたのだ。その喪失感はかなりのものがあった。

実は今でも、あの時味わった強烈な喪失感を引きずっている。12月8日になると、あの日の激しい喪失感をはっきりと思い出す。今までの人生を振り返って、最大の喪失感だった。僕は、ジョン・レノンを失った激しい喪失感を一生忘れないだろう。
 

John_lennon_museum2

 
しかし、今でもジョンの歌は、ジョンのメッセージは、様々な形で維持されている。僕たちはいまでもジョンのアルバムを、ジョンのメッセージを体感することができる。ジョンより13年も長生きすることになり、今では、ジョンのメッセージがしっかりと理解出来るまでになった。年齢は、人生経験は、重ねてみるものである。

そして、僕は、Wikipediaにあるこの一文を読んでは、目頭を熱くし、はらはらと涙を流すのだ。「オール・マイ・ラヴィング」は、ポールが主体で書いた曲の中で、初めてジョンが誉めた曲であった。

『レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという』

 
 

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2010年12月 8日 (水曜日)

12月8日、ジョンの命日30周年

今年もやってきた。12月8日。ジョン・レノンの命日。あれから30年。レノンが生誕して70年。
 
1980年22時50分、チャップマンは暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時にリボルバーのチャーターアームズ・アンダーカバーを両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「撃たれた!(I'm shot!)」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた(wikipediaより)。
  
人生には時として不条理なことが起こるが、ジョンの場合、不条理すぎるほど不条理な最期である。あれから30年。いまだにこのジョンの身に起こった不条理を、全くもって納得出来ないでいる。ジョンの死ほど、こんなに納得の出来ない理由があるか。なぜ彼は撃たれなければならなかったのか。
 
未だに、この12月8日を迎えると、そんな無念な気持ちが沸き上がってくる。あれから30年経ったのか。本音を言えば、つい最近の出来事の様に思えてならない。当時の無念な気持ちは決して消えない。生きていれば、ジョンは70歳。きっと格好良い70歳になっていたんだろうな。ちょっと我が儘だけど、優しくて誠実で正直で言いたいことをいえる70歳。
  
今年は、生誕70周年ということもあって、ジョン・レノンの誕生日にあわせて「John Lennon Box」がリリースされた。これがLP時代の音に限りなく近づいた秀逸なリマスターCDで、やっとのことでCDでジョンのソロアルバムを愛でることが出来る様になった。
 
ジョンが生きていたら「70歳」。「あれから」もう30年。あれから30年経った今、やっとジョンのソロアルバムを一からジックリと聴き直してみようという気を起こさせてくれる「コンパクト・ディスク」がリリースされた。喜ばしい限り。やっとCDでジョンのソロアルバムが聴ける。
 
Lennon_glasses
 
最期に、この1980年12月8日、ジョンの最期の日。伝えられるところによれば、レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという。この「オール・マイ・ラヴィング」という曲だったということに戦慄を覚え、同時に目頭が熱くなる。
 
なぜなら、ジョンをして「ポールは完璧な作曲の能力がある」と言わしめた、ポールが初めて、敬愛するジョンに、その作曲能力を誉められた曲だからである。そして、曲中、バックで聴こえるジョン・レノンのリッケンバッカー・325を使った3連符リズムギターには今でも感動を覚える。
 
子分ポールが初めてその才能を発揮して作った秀作。嬉しかったのだろう、ジョンの3連符リズムギターにも気合いが宿り、同時にジョンのポールに対する限りない優しさを感じることができる。
 
ポールの曲の中でどの曲が一番好きか、と問われたら、僕は「オール・マイ・ラヴィング」と答える。ポールの作曲の類い希な才能の原点を感じることが出来るし、ジョンの凄まじい3連符リズムギターに、ポールに対する限りない優しさを感じることができるからだ。
 
今でも、リアルタイムで体験したジョンの命日を思い出す。あの時のやるせない気持ちは今も忘れない。決して忘れることは無い。今までもこれからも。そして、あと2週間もすれば、クリスマスがやってくる。
 
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And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
 
A Very Merry Christmas
And a Happy New Year
Let's hope it's a good one
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「Happy Xmas (War Is Over)」
Christmas song by John Lennon, Yoko Ono.
  
  
  
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2008年12月 8日 (月曜日)

12月8日、今年もジョンの命日

今年もやってきた12月8日。ジョン・レノンの命日である。一人の熱狂的なファンに銃で撃たれ、この世を去った。享年40歳であった。すでに彼の死から28年。彼の残した歌は、古くなって忘れ去られてしまうどころか、その輝きを増すばかりだ。

正確に思い起こせば、1080年12月8日、米国東部時間の午後10時50分頃、ジョンの住まいであるNYセントラルパーク近くのダコタハウスの前で、「熱狂的ファン」というマーク・チャップマンのリボルバーから発射された5発の凶弾によって、その場で倒れた。そして午後11時過ぎには息がなかったという。享年40歳。あまりにも短い生涯であった。

僕はその報を大学の生協の家電売り場で聞いた。NHK-FMのニュースだったと思う。最初は凶弾に倒れた、だった。でも、その時はジョンを信じていた。「ジョンって恨まれやすい人やから。でも、きっと大丈夫、復活する、ジョンが死ぬ訳が無い。いや、ジョンは今、死んだらあかんのや」と思った。

その2時間後である。気になって、またまたNHK-FMのニュースを聴きに、大学の生協の家電売り場へ。その時、ジョンが逝去したのを知った。言葉が出なかった。友人から声をかけられても、返事が出来ないほど、ショックを受けていた。「今、ジョンは死んだらあかんのに...。なんで死ぬんや」。そのまま、下宿に帰って、1週間、喪に服した。

痛飲した。生涯で一番痛飲した。親友と2人で、下宿で1週間飲んだ。悲しくて、やるせなくて、怒り心頭に達して、この怒りをどう処理していいか判らなくて、とにかく痛飲した。大学にも行かず、髭も剃らず、日が進み、日が暮れるのも感じず、ただ痛飲した。
 

John_lennon_box4

 
あれから28年。日常は「ジョンの死」は忘れがちである。すっかり忘れていることもある。でも、年に1度、この12月8日が巡ってくると、あの日、1980年の12月8日を思い出す。そして、ジョンの生前主張していた「世界平和」とか「人種差別反対」などの政治的メッセージでは無く、「非常な運命」「どうしようもない出来事」「やるせない事実」に対する「はかなさ」「怒り」「克己心」を思い出し、当時と同じ精神状態になり、一時的な「鬱状態」に陥る(笑)。

ジョンの命日が近づくにつれ、毎度毎度、取り出してきては聴くボックス盤がある。『John Lennon / Lennon (Box Set)』(写真左)である。この4枚組ボックス盤は、ジョンのヴォーカルに焦点をあて楽曲を、4枚のCDに収録しているのが特徴。

ジョンのアルバムに収録された楽曲の中には、ヨーコとのコラボによる前衛ものや、ヨーコとのデュエット曲がかなりあって、このボックス盤はそうした部分を全て省いて、ジョン単独のヴォーカルにだけ焦点を当てて、4枚のCDに集約している点が良い。もちろん、4枚組とはいえベスト盤だから漏れた曲はあるし、個人的に「これは入れて欲しかった」という曲も無いでもないが、とりあえずは「ジョン・レノンはこれだ持ってれば十分」という気にさせるボックス・セットである。

僕はこのボックス盤については、特に『ダブル・ファンタジー』を聴くときに愛用している(笑)。『ダブル・ファンタジー』に収録されているジョンの楽曲は全てが美しく優れている。「ジョンの楽曲だけが聴きたい派」である。CDプレイヤーで曲指定でジョンの曲だけを選択して聴くことも出来るが、聴く度にリモコンでセットアップするのが面倒くさい。その点、この『John Lennon / Lennon (Box Set)』は良い。何もしなくても『ダブル・ファンタジー』から、ジョンの楽曲が選択されている。

伝えられるところによれば、レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの『オール・マイ・ラヴィング』だったという。本当なのか嘘なのか判らないが、この逸話は良い。僕は大好きだ。きっと『オール・マイ・ラヴィング』が流れていたんだろうと思う。ジョンの死の瞬間らしいエピソードである。

最後に、今年も「ジョンの冥福」を祈りたい。
 
 
 
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2007年12月 9日 (日曜日)

本当のジョンの命日...

米国東部時間で、1980年12月8日23時07分、ジョンの死亡が確認された。享年40歳。米国東部時間だから、日本とは14時間の時差がある。日本時間では、1980年12月9日13時07分になる。

1980年12月8日22時50分(米国東部時間)、スタジオ作業を終えて、ジョンの乗ったリムジンがアパートの前に到着、ジョンが車から降りる。犯人のマーク・チャップマンは「ミスター・レノン?」と呼び止めると、銃を手に取り前に進み、両手で構え5発を発射した。4発がレノンの胸、背中、腕に命中、レノンは「撃たれた」と2度叫び、アパートの入り口に数歩進んで倒れた。

撃たれたのが、日本時間で、1980年12月9日の12時50分である。「ジョンが狙撃された」というニュースは、学生生協のラジオで聞いた。聞いた時は「ジョンが撃たれた」ってことが信じられずに、「そんなことないやろ」と勝手に思いこみ、「悪い冗談だ」とも思った。逆に「ジョンは撃たれても、きっと回復して戻ってくる」となぜか堅く信じこんでいた。しかし、既にこの頃、ジョンは瀕死の状態だった訳である。

そして、昨日のブログで書いたように、同じ学生生協のテレビのニュースで、ジョンの死を知ることになる。日本時間で、1980年12月9日の夕方には「ジョンの死」は公然の事実として、あらゆるメディアに広がっていた。テレビのニュースは、こぞって「ジョンの死」を報じ、ラジオをつければ、緊急の追悼番組を組んで、こぞってジョンの楽曲を特集。その情報の広がりの早さにビックリしたことを覚えている。

John_1

米国東部時間と日本時間の微妙な差はあれど、ジョンの命日は「12月8日」。12月8日といえば、あと16日経てば「クリスマス・イブ」。12月8日、ジョンの命日に、いつも真っ先に聴く曲が「Happy Christmas (War is Over)」。

この名曲の副題「War is Over」を見ては、いつも思いを馳せる。この「Happy Christmas (War is Over)」がリリースされた年が1971年。泥沼のベトナム戦争は、まだ終わっていなかった。実際に、終戦に至るまでには、それから、4年待たなくてはならなかった。

ジョンがこの世を去った年が1980年。この年は「モスクワ五輪」の年。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、当時の米国を中心とした西側諸国(日本も含む)は、五輪をボイコットした年。9月には、イラン・イラク戦争が勃発している。

そして、今年。当時と比べて、世界の情勢は、あまり変化していない。しかも、戦争の問題に加えて、「地球温暖化問題」がクローズアップされてきた。ジョンの命日になると、日々の忙しさに追われて忘れていた、ある「疑問」が、ふっと頭に浮かぶ。

本当に人類は進歩しているのだろうか。

So this is Xmas And what have you done
Another year over And a new one just begun
And so this is Xmas I hope you have fun
The near and the dear one The old and the young

A very Merry Xmas And a happy New Year
Let's hope it's a good one Without any fear

And so this is Xmas For weak and for strong
For rich and the poor ones The world is so wrong
And so happy Xmas For black and for white
For yellow and red ones Let's stop all the fight

A very Merry Xmas And a happy New Year
Let's hope it's a good one Without any fear

(War is over, if you want it War is over now)
 
「Happy Christmas (War is Over)」より
    
  
    
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2007年12月 8日 (土曜日)

12月8日、ジョン・レノンの命日

昨日は「仕事」(決して飲みでは無い)が忙しくて、遅くに家に帰り着いたので、ブログはお休みしました。そういえば、昨晩、駅からの帰り道、久しぶりに「千鳥足」の中年男を見た。今時、まだ「千鳥足」で道を歩く人っているんやね。なんだか、懐かしいものを見たような気がしました(笑)。

さて、今日は、12月8日、ジョン・レノンの命日である。といっても、実際に、ジョンの死亡が確認されたのは、ニューヨークで、1980年12月8日23時07分。日本と14時間の時差があるから、日本では、1980年12月9日の13時07分となる。だから、「ジョンの命日」を厳密に言うと、日本時間では、明日になる。

今でも、その日のことは覚えている。「ジョンが死んだ」と知ったのは、大学生協の電気屋のテレビだった。NHKのニュースで知った。確か、14時の定時ニュースではなかったか。ジョンが撃たれたのは知っていた。でも、ジョンのことだから、きっとまた元気になって戻ってくる、と思いこんでいた。まさか、逝去するとは思わなかった。
 

John_shaved_fish

 
大ショックだった。すごく空しくなり、強い脱力感に襲われたのを覚えている。「なんでなんや」。下宿に帰って、親友と飲み始めた。どちらもジョンのファンである。痛飲した。ラジオから流れて来る「ジョン・レノン追悼番組」に、なぜそんな番組を放送するのか、となぜが怒りを覚えながら、ラジオから流れてくるジョンの歌声に涙した。それから一週間、友と痛飲した。喪に服した、と言って、大学には行かなかった。

最近、ジョン・レノンのソロアルバム関連が紙ジャケ化されて、リイシューされた。全部欲しいのだが、もう既に、ジョンのソロアルバムは、それぞれのアルバムで、2〜3バージョン持っていて、その上、今回の紙ジャケまで揃えるのもなあ、と思い躊躇している(苦笑)。

しかし、今回の紙ジャケ化の中で、今まで手に入れていないCDがあることに気がついた。ジョンの生前、唯一のベストアルバム『ジョン・レノンの軌跡(Shaved Fish)』(写真左)である。LPは持っていた。でも、CDでは持っていない。喜々として購入(笑)。

このアルバムには、1969年から1975年にかけてのジョンのヒット曲を収録。シングルのみでのリリースだった「Instant Karma」、「Cold Turkey」、「Happy Xmas(War Is Over)」も含まれている。ジョン自身で選曲し、ジャケットを監修し、そしてジョン本人公認の唯一のベストアルバムである。

季節柄「Happy Xmas(War Is Over)」に改めて感じ入る。良い曲ですね。そして、多感な高校時代、この冬に聴きこんだ「Whatever Gets You Through the Night(真夜中を突っ走れ)」。どの曲もジョンの個性が煌めいていて、全体の収録時間も適当で、秀逸なベストアルバムです。

ジョンが亡くなって、27年が過ぎた。僕もあれから27歳、年を取った。しかし、世界の状況は「あの頃」とあまり変わってはいない。
 
 
 
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