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2017年11月11日 (土曜日)

晩秋の季節の「ユーミン盤」です

秋も深まってきた。日も短くなって、朝は日が昇るのが遅くなったし、夕暮れ時は結構早く陽が落ちる。今年は気温の変動がダイナミックだったが、このところ落ち着いて来て、やっと平年通りの気温に落ち着いて来た。気温が下がって日が短くなると、とにかく「物寂しい」。なんだか内省的になって、何を聴いても「しみじみ」する。

毎年毎年、この季節になると、じっくりと聴き込むユーミン(松任谷由実)のアルバムがある。松任谷由実『紅雀』(写真左)である。1978年3月のリリース。ユーミンが松任谷正隆さんとの結婚後、「荒井由実」改め「松任谷由実」として最初のオリジナルアルバムになる。当時のキャッチコピーが「1年5ヶ月の沈黙をやぶり第5弾ついに登場!! ユーミンの新しい世界がここに!!」。

全編に渡って、実に内省的な内容である。地味というか「しっとり」としている曲が多い。曲ひとつひとつ、実に丁寧に作られていると思う。しかし、印象に残りにくく、コレと言ったキャッチャーな曲に乏しい。シングルカットされた「ハルジョオン・ヒメジョオン」もリズムカルであるが、異国叙情が漂う、優しく穏やかな曲である。
 

Benisuzume

 
ユーミン自身も語っているが、ユーミンのアルバムの中で一番地味な内容。これだけ地味な印象のあるアルバムである。それではあまり聴き直すことも無いのでは、と思うのだが、意外とこれが、毎年毎年、この季節になると聴きたくなって、必ずライブラリーから取り出してきて聴き込むのだ。不思議な魅力を持ったアルバムである。

アルバム全体のアレンジは、当時、米国で流行っていたフュージョン・ミュージック、特にCTIフュージョンの影響をモロに受けている。例えば「LAUNDRY-GATEの想い出」のアレンジなど、ホーンの使い方、リズムなど、当時のフュージョン・ジャズのリーダー格、ボブ・ジェームスの『Heads』というアルバムに収録されている「We're All Alone」のアレンジを上手く取り入れている。

聴き返してみると、この『紅雀』、フュージョン・ミュージックなユーミンだった様な気がする。とてもきめ細かく丁寧にアレンジされた楽曲が心地良い。当時のフュージョン・ミュージックの特徴を踏まえて聴くと、このアルバム、実に聴き応えがある。一般受けはしないが、フュージョン者にとっては聴き応え十分。我がバーチャル音楽喫茶『松和』では、晩秋の季節の昼下がりに、ゆったりと聴き込むのが通例になっている。

 
 

東日本大震災から6年7ヶ月。決して忘れない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。 

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2017年9月30日 (土曜日)

高校時代の10cc盤の思い出

もう今から40年以上にもなるのか〜、と感慨に耽る時がある。特に、この夏から秋の季節。高校時代には様々な印象的な思い出がギッシリ詰まっている。少し涼しい風が吹き始める晩夏の夕暮れから、この涼しい空気に入れ替わる初秋のちょっと物寂しい雰囲気は、時に心をセンチメンタルにさせる。

僕がロックを聴き始めたのは高校1年生の夏。それまでは米国と英国のポップスがメイン。ロックはシングル曲を聴く程度でアルバムを聴き込む様なことは全く考えもしなかった。が、である。高校1年生の夏、映画を制作すべく、先輩達によって企てられた映画研究部の夏合宿の夜。僕は生まれて初めてロックのアルバムを聴かせて貰った。これが「はまった」。それから、ロック小僧一直線である。

ロックのアルバムについては、先代部長Nさんに色々教えて貰った。Nさんとは音に対する感覚が良く似ていて、Nさんの面白い、とするアルバムはどれもが気に入った。他の先輩、同期の部員連中が「これはちょっとなあ」というアルバムについても、Nさんと二人で良く聴かせて貰った。当時、映研の部室には近くの電気屋で譲ってもらったボロいステレオがあった。これでガンガン聴くのである。

10cc『The Original Soundtrack』(写真左)。1975年の作品。このアルバムもN先輩が映研に持ち込んだ。当時、N先輩は高校3年生、受験勉強真っ只中な筈なんだが、気分転換と言いながら、良く映研の部室に遊びに来ていた。そして、入手したアルバムをカセットにダビングして、聴かせてくれるのだ。これがすごく楽しみだった。この盤は1975年の7月の始めだったかと記憶している。

この『The Original Soundtrack』は、ロック・オペラ「パリの一夜」で始まるコンセプト・アルバム。「架空の映画のサウンドトラック」という10ccらしい風変わりな設定で制作されている。僕はこのアルバムで初めて「カンタベリー系プログレの雰囲気」を体験した。意外と日本人の感覚では受け入れられ難い面があるのだが、N先輩と僕は、一時、ドップリはまった。
 

The_original_soundtrack

 
冒頭、8分40秒の大作「パリの一夜 - Une Nuit a Paris' 」の戯曲風のパフォーマンスが、どうにも他の先輩、同期の部員連中には合わない。Mu先輩などは「よ〜判らん」と部室から出て行き、同期のロック女子は「なにこれ〜」と顔を曇らせて帰っていった。しかし、である。

まず、10ccとして、この戯曲風のロック・パフォーマンスが秀逸であり面白い。N先輩とは「ここが面白い」とか「これどうやって音出してるんや」なんて、ワイワイ盛り上がりながら聴いていた。サウンドエフェクトも素晴らしく「10ccの英国職人気質、ここに極まれり」と言った雰囲気にも感銘を受けた。

そして、である。この戯曲風のロック・パフォーマンスから、2曲目のスローテンポな情緒溢れる名曲「I'm Not in Love」にガラッと音世界の雰囲気が変化するところが絶品なのだ。加えて、この「I'm Not in Love」の曲自体が素晴らしい。ロックがこれだけ情緒的な音世界を表現出来るとは思わなかった。初めて聴かされた時は、暫く絶句して口がきけなかった。

10cc『The Original Soundtrack』は、映研の先代部長N先輩の思い出が詰まっている。初めて聴いた時、僕があまりに感激していたので、N先輩がダビングして持ち込んだカセットをそのままプレゼントして貰った。

家に帰って、徹夜して繰り返し聴いたのを覚えている。やはり1曲目「パリの一夜」から「アイム・ノット・イン・ラヴ」へ、音世界がガラッと変化するところは、未だにスリリングで、ゾクッとする瞬間。永遠の好盤である。

 
 

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2016年11月25日 (金曜日)

ながら聴きのクロスオーバー

高中正義。日本が誇るエレギ奏者。特にそのインスト・エレギは唯一無二。思いっきり、高中ならではの個性で固められている。1曲聴けば、直ぐに高中と判るほどの個性。しかし、その個性的な音は「ジャンルレス」。ロックとも言えず、ジャズとも言えず。一言で言えば「高中」。

僕はそんな高中のインスト・エレギを「クロスオーバー」と位置づけている。ロックとフュージョン、そしてラテンなどなど、色々なジャンルの音楽の美味しいところを混ぜこぜにしている。リズムの基本はロック、混ぜこぜのところはクロスオーバー・ジャズ。スッキリ整った、エネルギッシュな「クロスオーバー」。

そんな「クロスオーバー」なインスト・エレギを堪能出来るアルバムの一枚がこれ。高中正義『Ocean Breeze』(写真左)。高中正義の2枚目のライブ盤。1982年のリリース。1980年代初頭、高中正義がノリに乗っている頃に敢行された「Power Play」と銘打ったライヴ・ツアーの模様が収録されたもの。
 

Oecean_breeze

 
このライブ盤、初期の頃からの「高中者」からすると、充実な内容なのだ。冒頭の「メドレー」を聴けば、高中がソロとして活躍するようになった初期の代表曲が、メドレー形式で演奏されているもの。どっかで聴いたことのある「高中フレーズ、高中節」がどんどん出てくる。しかも、メドレーとは言え、しっかりアレンジされていて、聴き心地満点。

2曲目の「Plastic Tears」以降、高中の往年の名曲、名演がズラリと並ぶ。ゆったりしたバラードあり、爽快なアップテンポの曲あり、様々なフォーマット、様々なリズム&ビートに乗って、高中がエレギを弾きまくる。弾きまくってはいるが、さすがは高中。徹頭徹尾「メロディアス」。流麗なアドリブ・フレーズが止めども無く沸き出でる。

このライブ盤、実は聴き流しに最適。僕はこのライブ盤には、社会人になって独身寮の休みの朝、必ずこのライブ盤を聴いていた時期がある。この盤の持つ爽快感が良い。メロディアスでテクニカルなエレギの音が良い。朝の起き抜けに心がポジティブになる様な、アグレッシブに一日を過ごせるように背中を押してくれるような「高中サウンド」が実に見事だった。

 
 

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2016年10月 2日 (日曜日)

Panta & Halのロック盤

1970年代、日本のロックは、演奏力が弱い、ボーカルが弱い、日本語がロックビートに乗らない、などなど、評論家筋を中心にケチョンケチョンに言われた。しかし、1970年代半ばより、ニューミュージックの波に乗って、日本のロックはダイナミックに充実していった。

もはや1970年代終盤においては、前述の様な「日本ロック批判」を叫び続ける評論家筋はまだまだいるにはいたが、日本のロックのアルバムについては、日進月歩で充実している。僕の大学時代、1970年代終盤から1980年代初頭においては、後世に残る「日本ロックの好盤」が結構リリースされた。

この2枚のアルバムは、そんな中の2枚である。Panta & Hal『マラッカ』(写真左)と『1980X』(写真右)。『マラッカ』は1979年、『1980X』は1980年のリリース。

『マラッカ』は、1977年7月に始動させたバンド「Panta & Hal」名義で発表したファースト・アルバムになる。内容としては、単純なハード・ロックな展開は全く無く、ポリリズミックなレゲエ・ナンバーやマーク・ボランへの哀悼の念を込めたブギーなナンバーなど、音楽的にバリエーションに富んだロック・ナンバーが詰まっている。
 

Panta_hal

 
『1980X』は、PANTA & HAL名義でのセカンド・アルバム。このアルバムの特徴は、キーボードを排除した、シンプルな「ギター・サウンド」がメインであるということ。前作の音楽的にバリエーション豊かな内容とは打って変わって、ソリッドでシャープな「ギター・ロック」で占められている。

この2枚のアルバムの内容は、当時の日本ロックとしてはかなり衝撃的で、ついに日本のロックもここまで来たか、急速に英米のポップロック・シーンに肉薄した、という感を強くした。演奏テクニックは申し分無く、ボーカルも個性と味があり、日本語はロックビートにしっかり乗っている。

Panta(パンタ)は、1970年代に、伝説のロックバンド、頭脳警察を率いて有名を馳せたロック・ヴォーカリスト。頭脳警察時代の過激なパフォーマンスや現在に至る過激な政治的言動については賛同しかねる面が多々あるのだが、ことさら、ロック・ボーカリストとしての実力、ソング・ライティングの能力については全く申し分無い。どころか称賛に値するレベルである。

特に、この1970年代の終焉と1980年代の初頭にリリースされた『マラッカ』と『1980X』については、日本ロックの歴史の記憶に留めるべき好盤であると思う。確かに、僕達の学生時代、行きつけの喫茶店で、はたまた、徹夜麻雀のBGMに大活躍の「日本のロック盤」であった。

 
 

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2016年9月19日 (月曜日)

日本語がロックに乗った瞬間

1970年代、日本人の演奏するロック、和製ロックが台頭する中で、評論家を中心に「日本語はロックに乗らない」という変な風潮がトレンドとなった時期がある。1970年代半ばまでの和製ロックについては、無理して英語で歌うところが、とても痛々しかったのを覚えている。

まあ、英語で歌われるロックは何だか格好良く、日本語で歌われるロックは何だかダサイ、ということなんだが、当時、日本語の歌詞自体の言葉使いとか言い回しとかが稚拙だったこともあって、日本語で歌われる楽曲は何だかダサイ、というところが本当のところだろうと思っている。

個人的には「日本語はロックに乗らない」とは全く思っていなくて、評論家って変なこと言うなあ、と言うくらいにしか受け止めていなかった。そして、この「日本語はロックに乗らない」という風潮を打破し始めたのが、1970年代後半、ニューミュージックという音楽ブームに乗って、現れ出でた「歌謡ロック」である。

歌謡曲の哀愁感や情緒感をロックに取り入れた「日本語によるロック」で、その内容によっては「演歌ロック」とも呼ばれた。ニューミュージックのブームに乗って売れに売れたので、ロックの精神性を重んじる、お堅いロック・ファンには評価されづらい存在であった様に思う。しかし、この歌謡ロックの成立によって「日本語はロックに乗った」のである。

そんな歌謡ロック成立の立役者の一人が「世良公則」。ツイストというバンドを伴って、1977年10月、ポプコン本選会で「あんたのバラード」がグランプリを獲得。いきなり50万枚を超える大ヒットを記録して、ロックをメジャーに押し上げた最初のロックバンドとなる。

そして、1978年〜79年にかけて、世良公則&ツイストは「宿無し」「銃爪 (ひきがね)」「性」「燃えろいい女」とヒット曲を連発し、「ザ・ベストテン」などのTVの歌謡番組にも積極的に出演したところも、それまでのロックバンドにないマナーでした。独特のステージ・アクションで歌う世良公則の姿に度肝を抜かれたのを今でも覚えています。
 

Masanori_sera_twist

 
そんな世良公則&ツイストの音を捉えたアルバムが『Twist』(写真左)と『ツイストⅡ』(写真右)です。今の耳で聴いてみると、やはり世良公則のソング・ライティングとボーカルの才が突出しています。バックバンドの音はさほどお上手ではないんですが、それをかき消すほど、世良公則のボーカルが圧巻です。

それまで、和製ロックの弱点は「ボーカル」にあったと思っていて、とにかく和製ロックのボーカルは弱い、というか繊細過ぎる。加えて、苦手な英語で歌わされるものだから更に弱くなる。そんな繊細過ぎる和製ロックのボーカルの印象を一気に払拭したのが、世良公則のパワー溢れるボーカルでした。

世良公則の音楽性は、男臭くセクシュアルな面をちょっと前に押し出しつつ、どこかウェット感、情緒感のある歌謡ロック。世良公則&ツイストの出現は、明らかにロックをメジャーに押し上げた最初の出来事でした。リアルタイムでその瞬間を体験できたことは、今でも貴重な体験として自分の中に残っています。

「日本語によるロック」、今ではその言葉を聞いて「日本語はロックに乗らない」とか「日本語で歌うロックはロックでは無い」と言う人はいないと思います。日本語で歌ってもロックはロック。これはすっかり当たり前のことになりました。

お堅い日本のロック評論やロック・ファンから排斥されようと、俳優業の片手間のお遊びと揶揄されようが、世良公則の歌謡ロックをメジャーにした功績と「歌謡ロック・スピリット」は不変だと思います。

 
 

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2016年9月 7日 (水曜日)

ジャジーなハイ・ファイ・セット

日本の1970年代後半、ニューミュージックという音楽ジャンル言葉が流行した。「ニューミュージック」とは、Wikipediaを紐解くと「日本のポピュラー音楽のジャンルの一つ。作曲面ではフォークソングにロックなどの要素を加え、作詞面ではそれまでのフォークソングの特徴であった政治性や生活感を排した、新しい音楽」とある。

そんなニューミュージックの中で、なかなか珍しい存在であるコーラス・グループの一つが「ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set)」。伝説のフォーク・グループである「赤い鳥」が二つのグループに分裂、その片割れが「ハイ・ファイ・セット」。山本潤子、山本俊彦、大川茂の3人構成で、1974年10月に結成された。

僕は、このハイ・ファイ・セットがお気に入りで、このコーラス・グループの音の雰囲気と音の重なり、そして楽曲のアレンジがとても感性に合う。実は、このハイ・ファイ・セットのアルバムは殆ど所有していて、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズの合間の耳休め盤」として、ちょくちょく登場する。

さて、そんなハイ・ファイ・セットのアルバムの中で、「ジャズの合間の耳休め盤」として、一番よくかかる盤が『The Diary』(写真左)。1977年9月のリリース。1977年は浪人真っ只中だったので、入手したのは1978年の後半だったと記憶している。

アルバム全体の雰囲気が「ポップでライトでジャジー」。当時のAORからフュージョン・ジャズの雰囲気を上手く取り込んだアレンジが、とっても良い雰囲気なのだ。コーラスも、そのアレンジを意識して「意外にジャジー」。落ち着きのある、粋でポップでアーバンなフュージョン・ポップな内容が「ジャズの合間の耳休め盤」にピッタリなのだ。

冒頭の「恋の日記」が絶品である。前奏のコーラスからして「ジャジー」。バックの演奏は「AORなフュージョン・ジャズ」。ハイ・ファイ・セットがとても趣味の良い、小粋なコーラス・グループであったことが良く判る。これって、下手なコーラス・グループには出来ない芸当である。
 

Hifiset_the_diary

 
LP時代、B面の1曲目の位置していた「愛こそすべて」は、まさに「ジャズ」。とても魅力的なトロンボーンが大活躍。リズム&ビートは全く「純ジャズ」。ハイ・ファイ・セットのボーカルは、まさに「ジャズ・ボーカル・グループ」そのもの。いつも聴いては思うのだが「良い曲」である。

ニューミュージックというジャンルの中で、ここまでジャジーでフュージョン・ジャズなアルバムは無い。実はハイ・ファイ・セットって、他にもジャジーなアルバムを出していて、これがそれぞれ絶品なのだ。また、機会があれば、このブログでご紹介していきたい。

僕が大学時代、プライベートで劇的な出来事が相次いだ時代に、かなり聴き込んだ「ジャズの合間の耳休め盤」である。長年聴き込んで来たアルバムだが、聴く度に、頭の中にセピア色の風が吹き抜けて「万感な想い」がこみ上げてくる。

2曲目の「風の街」の以下のフレーズを聴く度に、あの頃、あの人が脳裏に甦る。若き日の「今となっては懐かしい、でもちょっと無念な」想い出である(笑)。
 

花びら散らし 駆けて行く
オシャレな風に 恋をしたよ

立ち止まる僕の胸に 残る面影
青春を刻み込む朝よ

Good Feeling 愛みちたひとこと
Good Feeling あなたに とどけてほしい

 
 

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2016年8月21日 (日曜日)

四人囃子の最後の「傑作盤」

1970年代、日本のプログレッシブ・ロックを代表するバンドが「四人囃子」。1971年に結成され1979年に解散。真に1970年代の日本のロック・シーンを駆け抜けたプログレ・バンドであった。

四人囃子『NEO-N』(写真左)。1979年の作品。四人囃子の最後の作品。発売当時のLPレコードは黒では無く「透明」だったなあ。そういう意味でも、この四人囃子のアルバムは「プログレッシブ・ロック」なアルバムだったと言えるだろう。

四人囃子は「プログレ・バンド」というのが本質。しかし、このアルバムは1979年のリリース。ロックの音のトレンドは、既に「ニュー・ウェイブ」や「テクノ」へ移っていた。1970年代前半の「クラシカルで壮大な音絵巻」なプログレは過去のものになっていた。

そんな音環境の中、この四人囃子の『NEO-N』は、1979年ならではの「プログレ」を表現している。アルバムの完成度という点では「最高作」と言える。もはやバンドが終焉状態での作品であるが、その内容はとてもよくまとまっている。
 

Neon1  

 
四人囃子はこれで終わり、という諦念感が漂っているが、それも一つの個性として、このアルバムに統一感を与えている。本当によく作り込まれたコンセプト・アルバムである。

テクノ・ニューウェイブ的なコンセプトできっちりと全体を統一し、きっちりと作り込んだ作品で、日本のプログレッシブ・ロックの好盤として、もっと再評価されても良いアルバムだと思います。今ではほとんど忘れさられた存在になりつつあります。

四人囃子ならではのリフが効果的な「Nocto-Vision For You」「Nervous Narration」、ポップ路線を踏襲した「Neo Police」、叙情的な「(Natural)」、どれもが内容のある演奏。

近未来的でクール。アルバム・ジャケットの雰囲気そのものの音世界は聴き応えがあります。聴けば聴くほど、四人囃子の初期の頃の雰囲気が甦ってくるようで楽しくなります。時代の音にマッチした中で、四人囃子の本来の個性をしっかりと表現した最後の好盤です。

 
 

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2016年7月17日 (日曜日)

原田知世『恋愛小説2』を聴く

こういうカバーアルバムを出されると、思わず「にやけて」しまうよな〜。僕達、1970年代Jポップのマニアからすると、この選曲はたまらない。しかも、ボーカルを担当するのが、当時のこの若手女優というのだから、これまたたまらない(笑)。

そのカバーアルバムとは、原田知世『恋愛小説2〜若葉のころ』(写真左)。今年の5月のリリース。原田知世が短編小説の主人公を演じるように歌う、ラヴ・ソングのカバー・アルバム第2弾。

選曲テーマは「原田知世の少女時代」。姉と一緒にテレビの歌番組を観て歌手のマネごとをしていた故郷・長崎時代から、映画のオーディションに合格し東京に出て芸能界デビューした頃(1970年代半ば〜1980年代前半)にかけて流行したポップス・歌謡曲をカバー、とある。

女優としてのみならず、シンガーとしても高い評価を得ている知世ちゃんである。これは期待できる。というか、僕にとっては、知世ちゃんのボーカル盤なので、実は「何でも通し」である(笑)。僕は知世ちゃんのボーカルにからきし「弱い」。

昨年3月にリリースしたカバーアルバム『恋愛小説』(2015年3月20日のブログ・左をクリック)で、「大人のラヴ・ソング」をテーマに、ポップス、ロック、ジャズ、ボサ・ノヴァといったさまざまなジャンルのラヴ・ソングから、歌詞を吟味し10曲を厳選。このアルバムは英語曲のカバー集だった。これも良かった。

しかし、今回の『恋愛小説2』は更に良い。1970年代半ば〜1980年代前半にかけて流行したポップス・歌謡曲のカバーである。僕達の「1970年代Jポップのマニア」からすると「ど真ん中」である。選曲は以下の通り。ね〜っ、良いでしょう。タイトルを見るだけで、もうグッときます。
 

Photo
 
 
1. September (竹内まりや・1979年)
2. やさしさに包まれたなら (荒井由実・1974年)
3. 秘密の花園 (松田聖子・1983年)
4. 木綿のハンカチーフ (太田裕美・1975年)
5. キャンディ (原田真二・1977年)
6. 年下の男の子 (キャンディーズ・1975年)
7. 異邦人 (久保田早紀・1979年)
8. 夏に恋する女たち (大貫妙子・1983年)
9. 夢先案内人 (山口百恵・1977年)
10. SWEET MEMORIES (松田聖子・1983年)

 
知世ちゃんのホンワカ癒し系のボーカルで、カバーするこれらの楽曲は魅力的。加えて、ギタリスト・作曲家の伊藤ゴローのプロデュース及び楽曲アレンジが冴えに冴える。原曲のイメージをしっかりと押さえつつ、知世ちゃんなりの解釈で唄い上げていく内容は聴き応えが良くて聴き易い。 

ムーディーでホンワカしていて、どこか懐かしさが漂う。秀逸なカバー集です。このカバー盤を聴いていると、当時の若かりし頃のセピア色の想い出が浮かんでは消えていく。しばらく、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「懐かしの70年代館」でヘビロテになりますね〜。

 
 

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2016年7月16日 (土曜日)

「レモンライムの青い風」な盤

週末は「ジャズの合間の耳休め」。この人のアルバムの登場は、当時の日本のJポップの中で新鮮な出来事だった。明らかに、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用&借用が見られる楽曲で固められた内容。特にそれまで、米国西海岸ロック&ポップスのフォロワー的なアルバムは無かった。

僕がこの人の楽曲に出会った最初が、シングルで発売された「ドリーム・オブ・ユー 〜レモンライムの青い風〜」。キリンビバレッジ「キリンレモン」のCMとのタイアップ・ソング。この曲を初めて聴いた時、なんやこれ、とビックリした。それまでの日本のJポップに無い雰囲気に驚いた。1979年2月のことである。

そして、その「ドリーム・オブ・ユー」を収録したアルバムが、竹内まりや『UNIVERSITY STREET』(写真右)。1979年5月のリリース。このアルバム、竹内まりやの大学卒業記念アルバムとして制作されたが、当の竹内まりやが卒業できず留年してしまったという、なんだかちょっと間の抜けたエピソードで有名なアルバム。

でも、その内容は、オールディーズから米国西海岸ロックまで、幅広く米国ルーツ・ミュージックの爽やかどころの引用を満載した、雰囲気のある、良い意味で「あっけらかんとして屈託の無い」アルバムである。アレンジの雰囲気も、明らかに米国オールディーズから米国西海岸ロックの流行のアレンジを踏襲しており、とにかく「あっけらかん」としている。

今の耳には、この屈託の無い米国ルーツ・ミュージックの爽やかどころの引用については「ちょっと苦笑もの」ではあるが、当時、僕達の大学時代には愛聴したアルバムであった。なんせ、このアルバムの雰囲気は、一言で言って「爽やかで可愛い」んだから、仕方がない(笑)。

このアルバムで、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用が見られる楽曲に興味を惹かれ、ほどなく、彼女のアルバムを遡る。そんな彼女のファースト・アルバムがこれ。竹内まりや『BEGINNING』(写真左)。1978年11月のリリース。
 

Beginnings_university_street

 
セカンド盤の『UNIVERSITY STREET』は、彼女の大学時代の生活をテーマにした楽曲で固めたコンセプトアルバムだったが、このファースト盤は、おもちゃ箱の様に様々な志向の楽曲が統一感無く集められている。やりたかった楽曲を片っ端からやって収録した感のあるアルバム。

セカンド盤『UNIVERSITY STREET』より濃い、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用が見られる。かの山下達郎だって、ここまであからさまに引用はしないよな〜、と感心するくらい。よって、こちらもファースト盤の方が、どの辺りの楽曲からの引用、借用なのか、類推するのが楽しい。

今の耳で振り返ると、アレンジ、バックの演奏、共にこなれておらず、取って付けたような「違和感」が漂うところが多々あるが、それはそれでご愛嬌。当時の日本のJポップの中では明らかに「斬新」だった。バックのメンバーも今の目で見れば、こんな人がやってんの、ってビックリする様なパーソネルが満載です。

このファースト盤に収録された、デビューシングルが「戻っておいで私の時間」など、実に良い雰囲気です。このファースト盤も僕達の大学時代には愛聴したアルバムであった。なんせ、このアルバムの雰囲気は、一言で言って「爽やかで可愛い」んだから、仕方がない(笑)。

『BEGINNING』と『UNIVERSITY STREET』、当時、日本Jポップの中で斬新なアルバムでした。今の耳で聴けば、アレンジ、バックの演奏共に発展途上なんですが、それを差し引いても、このアルバム達の持つ、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用&借用には「新しい風」の様な雰囲気を強く感じたことを覚えています。

 
 

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2016年7月 3日 (日曜日)

尾崎亜美は「シティ・ポップ」

週末の当ブログ「ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと」は、ジャズの合間の耳休め。70年代ロックや70年代Jポップのアルバムにまつわるお話しを特集しています。

さて、今を去ること40年前から、尾崎亜美は僕のお気に入りのSSW(Singer Song Writer)である。彼女の書く歌、ボーカル、そしてアレンジ、どれもが僕の好みにピッタリで、高校時代から還暦直前の現在まで、ずっと尾崎亜美を聴き続けている。いわゆる「尾崎亜美者(尾崎亜美のマニア)」である。

僕は、彼女は「シティ・ポップの天才」だと思っている。今を去ること40年前、日本では「シティ・ポップ」の走り、業界がつけた「ニューミュージック」の黎明期。SSWとしては、荒井由実、五輪真弓、中島みゆき、八神純子などの名前が浮かぶ。そんな中、尾崎亜美は独特の存在だった。とにかく彼女の音世界は、他のSSWの音世界とはまったく様相が異なる。

簡単に言うと、尾崎亜美は、最初から「シティ・ポップ」より始まっているのだ。デビュー盤の『SHADY』を聴けば判るんだが、当時の日本で流行っていた「歌謡ポップス」の影響が見られない。と言って、英米のポップスから借用しているのか、と言えば答えは「No」。尾崎亜美の音世界の面白いところは、当時の英米のポップスの影響がほとんど見当たらないことである。

他のSSWは、必ず歌謡ポップスの影響が見え隠れし、英米のポップスの借用が見え隠れする。尾崎亜美が、1970年代後半、ニューミュージックの時代、ヒット曲という側面では、荒井由実や五輪真弓、八神純子の後塵を拝することになったのは、この辺に理由があると思っている。

「シティ・ポップ」からダイレクトにアプローチし、英米のポップスの借用が見られない尾崎亜美の楽曲は、当時の日本人からすると取っ付き難いのだ。英米ポップスが優れていると考えられていた時代、英米のポップスから借用が見当たらないのは、評価するとっかかりが無い、ということ。独自の個性を確立しているという「正の評価」は当時の評論には無い。
 

Ami_ozaki

 
逆に、尾崎亜美のマニアには「濃い」方が多い。ズッと尾崎亜美者を自認している方々が多い。たぶん、尾崎亜美の楽曲を聴き、彼女の音世界の真髄に振れ、それが自らの音の好みにピッタリと合って、ずっと尾崎亜美のマニアであり続ける。そんな「尾崎亜美者」が多いと思っている。

僕もそんな「尾崎亜美者」の一人であり、彼女のアルバムは殆ど所有している。オリジナル盤については、どのアルバムを聴いても、彼女の「シティ・ポップ性」が楽しく、どの盤も良いのだが、これ一枚を選べと言われたら、僕はこのアルバムを挙げる。尾崎亜美『STOP MOTION』(写真左)。1978年夏のリリース。

収録された全ての楽曲が、珠玉の「シティ・ポップ」。歌謡ポップスや英米のポップスの楽曲のイメージに全く左右されない、影響されない、尾崎亜美独特の音世界がギッシリと詰まっている。尾崎亜美3枚目のスタジオ・アルバムであり、プロデュースを自ら行っている。このセルフ・プロデュースがポイントで、彼女の音世界をそのままにアルバムに封じ込めている。

LP時代のA面「センセイション」〜「ジョーイの舟出」〜「嵐を起こして」、B面「ストップモーション」〜「春の予感 〜 I've been mellow」〜「悪魔がささやく」の「シティ・ポップ」な流れが素晴らしい。この「シティ・ポップ」な流れは、他のSSWのアルバムに聴かれることは無い。尾崎亜美独特の音世界である。

尾崎亜美は、松田聖子「天使のウィンク」「ボーイの季節」、杏里「オリビアを聴きながら」、観月ありさ 「伝説の少女」など、他のアーティストへのアーティストへの楽曲提供も多い。そんな他のアーティストへ提供した楽曲は、セルフ・カバー集の『POINTS』(写真右)『POINTS-2』『POINTS-3』で楽しむ事が出来る。

 
 

震災から5年3ヶ月。決して忘れない。まだ5年3ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。 

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