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2015年2月27日 (金曜日)

ハードバップ期の最高のバンド

やっと体調が回復基調になって、ほっと一息である。風邪が原因のお腹の不調。丸2日間、伏せっていたことになる。暖かくして、とにかく伏せっていれば治ると言われたが、術後の不安は大きい。とにかく伏せっていたのだが、耳だけは元気なので、寝室に備え付けのサブのステレオで、日頃、なかなかまとめて聴けないボックス盤を聴いていた。

そのボックス盤とはMiles Davis『The Complete Columbia Recordings of Miles Davis with John Coltrane』(写真)。CD6枚組の魅力的なボックス盤である。タイトルから判る通り、コロンビア・レーベルに残された、マイルスとコルトレーンのセッションの記録である。録音時期としては、1955年10月26日から1961年3月21日まで。ジャズの歴史でいう「ハードバップ期」のほぼ全体を網羅する。

アルバムとしては『'Round About Midnight』『Milestones』『Kind of Blue』『Someday My Prince Will Come』『Miles Davis at Newport 1958』『Jazz at the Plaza/1958 Miles』を網羅する。加えて、LP時代の未発表音源集『Circle in the Round』とCD4枚組のコンピ・ボックス盤『The Columbia Years 1955ー1985』に収録された音源を含んでいる。

このCD6枚組ボックス盤を聴き通して感じるのは、さすがアコースティック・マイルスは他のどのコンボよりも優れており、クールであるということ。そして、マイルス・バンドの演奏は、まず最優先事項として、常にマイルスのトランペットがクールに美しく、前面に出ているということ。リーダー盤としては当たり前のことだが、マイルス・バンドは、このリーダーのマイルスを一番に押し出すことに徹底している。この徹底度合いは他のバンドには無い。

といって、サイドメンは後ろに引っ込んで地味にやっているかと言えばそうではない。あらん限りのテクニックとノウハウを駆使して、かなり高度でかなりクールなバッキングを展開しているのだ。そういうことが出来る、ジャズメンとしての優れ者の集まりが、当時のマイルス・バンドであり、アコースティック・マイルスの音世界なのだ。
 

Miles_coltrane_columbia

 
コルトレーンは、確かにマイルス・バンド加入当初のプレイは「へたくそなテナー」と揶揄されても仕方ないな、というところもあるが、マイルスと年を重ねるにつれ、どんどんテクニックは高みに達し、演奏ノウハウもバリエーション豊かに溜まってく。そして、コード奏法を凌駕して、マイルスの薫陶を得て、モード奏法を体得する。そう、コルトレーンはモード奏法を「体得」している。 

そして、Disc5、Disc6の、アルバムで言う『Miles Davis at Newport 1958』『Jazz at the Plaza/1958 Miles』辺りのコルトレーンのアドリブはとてつもなく長い。ある逸話が残っている。

コルトレーンがマイルスに相談する。「アドリブが長いと言われるので、適当なところでアドリブを止めたいのだが、どうやって止めて良いのか判らない」。マイルスが苦笑いしながらコルトレーンにアドバイスする。「トレーン、そういう時は、マウスピースから口を離すのさ。そうすればアドリブは止められる」。

そういう逸話が良く理解出来るほど、コルトレーンのアドリブは長い。そして、シーツ・オブ・サウンドが度を超えて吹きまくられている。少し五月蠅いくらいだ。しかし、そこにマイルスのペットが入ってくると、バンドの音世界はガラッと変わる。クールで美しい、優雅なハードバップにガラッと変わる。なるほど、コルトレーンのテナーはマイルスを惹き立たせる最高のパーツなのだ。そして、コルトレーンがこのことに我慢できなくなった時、マイルスの下から離れていくのだ。

そして、このCD6枚組ボックス盤に収録された別テイク毎の演奏のバリエーションを聴いていると、ジャズって本当に「即興の音楽」だということが判る。そして、優れたジャズメンの集まりでは、そのアドリブの展開のバリエーションが豊富で、本当によくこれだけ色々なパターン、展開でアドリブを展開するもんだなあ、とただただ感心してしまう。

このCD6枚組ボックス盤には、ハードバップ期の最高のバンドの演奏がギッシリと詰まっている。なにかと批判されることの多いボックス盤だが、手に入れて聴くとなかなかに楽しめる。意外とお勧めのボックス盤である。

 
 

震災から3年11ヶ月。決して忘れない。まだ3年11ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。 

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2014年11月 6日 (木曜日)

コルトレーンの聴き直し・最終回

さて、3年ほど前から進めてきた「コルトレーン盤の聴き直し」。いよいよ最終回である。最後のアルバムは、John Coltrane『Live at the Village Vanguard Again!』(写真左)。

このライブ盤は1966年5月28日、ニューヨークの有名ライブ・スポット、ヴィレッジ・バンガードでのライブ録音。ちなみにパーソネルは、John Coltrane (ss, ts, b-cl, fl), Pharoah Sanders (ts, fl), Alice Coltrane (p), Jimmy Garrison (b), Rashied Ali (ds), Emanuel Rahim (per)。

コルトレーンが逝去したのは1967年7月だから、逝去の1年ほど前のライブ録音になる。つまり、この時代のコルトレーンは、フリー・ジャズ真っ只中。高速シーツ・オブ・サウンドが昂じて、フリー・ジャズへの完全な宗旨替えは、1965年6月録音の問題作『Ascension』で決定的になった。

それまでは伝説のカルテット、John Coltrane (ts, ss), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds)。しかし、1965年6月の『Kulu Se Mama』辺りで伝説のカルテットは崩壊。代わって、Pharoah Sanders (ts, fl), Alice Coltrane (p), Rashied Ali (ds)にとって代わる。ベースのギャリソンだけがコルトレーンに最後まで付き添ったことになる。

この『Live at the Village Vanguard Again!』は、どうにも苦手なライブ盤の一枚である。つまり、何が良いのか、良く判らないのだ。このライブ盤って、晩年のコルトレーンの名盤とされるが、何回聴いても、僕はそうは思えない。何ともマンネリ化した、ちょっと耳障りで単調なフリー・ジャズにしか聴こえないのだ。

昔、ジャズ者初心者の頃、この『Live at the Village Vanguard Again!』は名盤として、ジャズ盤紹介本に掲げられていた。これを聴かずしてジャズ者というなかれ、そんな雰囲気が強く漂う書きっぷりに心動かされた。
 

Coltrane_vanguard_again

 
で、ジャズ者初心者2年目辺りで手に入れたんだが、これがまあ、当時の耳には、ほとんど雑音にしか聴こえない(笑)。ジャズの経験が浅いが故のことだろうと諦めて、このライブ盤はお蔵入り。それから15年。ジャズを聴き始めて17年目、ふと思い出して、このライブ盤を聴き直してみた。

しかし、これがまあ、相変わらず「良く判らない」。確かにジャズを長年聴き続けてきて、何を演奏しているか、は判る。テクニックの優劣も判る。それでも、このクインテットのフリーキーな演奏は「良質なもの」とは思えなかった。特に、ファラオ・サンダースの「ブヒブヒグスグス」と馬の嘶きの様な、ワンパターンでフリーキーなフレーズが許せない。

しかも、コルトレーンの演奏はあまり目立ったところが無いし、フリーキーなフレーズは画一的。主役がこれではなあ、と思いつつ、アリスのピアノに耳を移せば、「なんじゃこりゃ」的なハープの音色の様な「ピロピロ」なピアノにガッカリする。これはジャズのリズム・セクションを担うピアノの音では無いし、ピアノのビートでも無い。 

ベースのギャリソンの超ロングなベースソロには飽き飽きするし、エマニュエルのパーカッションは目立たない。唯一、ラシッド・アリのドラムだけが新しい響きを宿していて、唯一、何とか聴き応えがする演奏である。かの有名なコルトレーンの十八番曲「My Favorite Things」も新しいメンバーのイマージネーションでは支えきれないほどに崩れに崩れて、ほとんど壊滅状態に聴こえてしまう。

僕の耳が悪いのかなあ。それから時ある毎にこのライブ盤を聴くが、どうもいけない。やはり、コルトレーンのプレイは伝説のカルテットでのプレイが一番だったし、伝説のカルテットのリズム・セクションが、一番コルトレーンに合っていた。このメンバーでの、このフリーキーなプレイは退屈である。

振り返れば、この『Live at the Village Vanguard Again!』には苦労させられた。袋小路に迷い込んだような、晩年のコルトレーンのフリー・ジャズはどうにも僕には合わない。そして、1967年7月、突然、コルトレーンは鬼籍に入る。僕のコルトレーンの最後のアルバムは『A Love Supreme』やったんやなあ、と改めて判った次第。

 
 

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2014年10月22日 (水曜日)

トレーンとシェップのライブ盤

フリー・ジャズは難しい。フリー・ジャズは、ジャズの歴史の中での、ちゃんとした「ジャズのスタイル」の一つである。フリー・ジャズをメインとするジャズメンもある一定数はいる。今でもフリー・ジャズを演奏するジャズメンはいる。

しかし、フリー・ジャズほど、良い演奏と悪い演奏の差が激しいスタイルも他に無い。フリー・ジャズは、フリーとは言え、ある一定の決め事はある。決め事が全く無ければ音楽として成立しない。単なる音、雑音である。

その決め事の良し悪し、その決め事の遵守度合いで、良いフリー・ジャズなのか、悪いフリー・ジャズなのかが決まる。ジャズメンの力量、経験、才能によって、フリー・ジャズの良し悪しが決まることは無い。

コルトレーンのアルバムの聴き直しを進めてきて、いよいよ残りの3枚。まず、このアルバムを聴くことにする。John Coltrane & Archie Shepp『New Thing at Newport』(写真左)。僕がCDとして所有しているのは、オリジナルLPの仕様。オリジナルLPと同じ曲順、同じ構成。

CDとしてリリースされたこの『New Thing at Newport』は、「My Favorite Things」などが追加された拡張盤。CDリイシューの悪いところで、LP時代の音源は、曲順、構成はLPの時代のままでリイシューするべきだ。できれば、ボートラもいらない。LP時代のオリジナル盤はLPの仕様なのだ。

この閉塞感漂うフリー・ジャズな演奏は何なんだろう。フリーな演奏を追求しているはずが、閉塞感漂うなど本末転倒ではないか。でも、事実、このライブ盤でのコルトレーンの演奏もシェップの演奏も閉塞感や行き詰まり感がどんよりと漂っていて、聴いていてちょっと辛くなる。
 

New_thing_at_newport

 
さて、このライブ盤は、コルトレーンとシェップの二人のパフォーマンスを記録したアルバムなのだが、構成は以下の通りになる。

1. Spoken introduction to John Coltrane's set by Father Norman O'Connor
2. One Down One Up  (from Coltrane's set)
3. Rufus (Swung His Face At Last To The Wind, Then His Neck Snapped)  (from Shepp's set)
4. Le Matin Des Noire   (from Shepp's set)
5. Scag  (from Shepp's set)
6. Call Me By My Rightful Name  (from Shepp's set)

なんと、コルトレーンの演奏は、2の「One Down One Up」のみ。他の演奏は、全て、アーチー・シェップのもの。といって、演奏の内容は、コルトレーンもシェップも似たり寄ったり。馬の嘶きの様な激しいブロウと、袋小路に迷い込んだような、フリーでありながら、同じ様なフレーズを繰り返すマンネリ気味のブロウ。

1966年7月の録音。コルトレーンの亡くなる1年前。コルトレーンの追求するフリー・ジャズは、ほぼバリエーションが潰えたと思える。コードを分解して高速パッセージで綴った「シーツ・オブ・サウンド」。その「シーツ・オブ・サウンド」を駆使して、フリーキーなブロウをする。それがコルトレーンのフリー・ジャズ。

そして、フリー・ジャズの要となる、ある一定の決め事が「シーツ・オブ・サウンドを駆使したブロウ」。コードを前提としているシーツ・オブ・サウンドが故に、コード奏法の欠点であった「マンネリズム」がここでも影を落としている。

悩ましいライブ盤である。コルトレーンが吹くからと言って、常に良いフリー・ジャズが展開される保障は無い。そして、コルトレーンのフォロワーは、コードを前提としているシーツ・オブ・サウンドが故に、コード奏法の欠点であった「マンネリズム」に悩まされることになる。その兆しが、この『New Thing at Newport』に詰まっているように感じるのだ。

 
 

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2014年9月29日 (月曜日)

ジョン・コルトレーンの遺作です

ジョン・コルトレーン(John Coltrane)のアルバムの聴き直しも終焉に近づいた。今日は、コルトレーンの遺作『Expression』(写真左)。1967年7月にコルトレーンは亡くなり、9月に同アルバムがリリースされた。

1967年2月15日と1967年3月7日の2つのセッションから成る。タイトル曲の「Expression」は具体的な日程は判らないが、1967年の春、コルトレーン最後のスタジオ録音とされる。

僕はこのコルトレーンの遺作をジャズ者初心者、ジャズを聴き初めて3年目に聴いた。最初の2曲「Ogunde」と「To Be」においては、コルトレーンは比較的温和で大人しい。しかも「to be」ではコルトレーンはフルートを吹いている。フリーな演奏ではあるが、どこか叙情的な感じがして、ジャズ者初心者でも何とか聴ける。

ちなみにパーソネルは、Pharoah Sanders (fl, piccolo), John Coltrane (fl, ts), Alice Coltrane (p), Jimmy Garrison (b), Rashied Ali (ds)。コルトレーン最後のクインテットである。ファラオ・サンダースがフルートのみに徹しているところが、このアルバムを、他のアルバムと一線を画した静謐さを宿していると感じる所以だろう。

しかし、3曲目「Offering」の後半から、いつもの(?)のコルトレーンになる。馬の嘶きの様な、アブストラクトなブロウ。もはや音楽とは呼べない、感情のおもむくままに吹き続けるフリーなブロウ。さすがに、ジャズ者初心者3年生には辛かったなあ。続く4曲目の「Expression」も相当に激しくフリーキーなブロウで、落ち着いて聴くことは出来なかった。
 

John_coltrane_expression

 
さて、ジャズ者になって36年。今の耳で、この『Expression』を聴いても、ジャズ者初心者の頃の印象は変わらない。さすがに、歳をとって、フリーキーなコルトレーンについても怯むこと無く、しっかりと聴く耳を持つことが出来たのだが、この遺作のコルトレーンも、晩年の馬の嘶きを繰り広げるコルトレーンと変わらない。

しかし、この馬の嘶きの様なブロウは、高速シーツ・オブ・サウンドでフリーなブロウを吹きまくる、テクニック的には凄まじく高度なもので、さすがはコルトレーンと感心することしきりである。コードを細かく分解した「幾何学模様」の様なシーツ・オブ・サウンドが、高速でしかもアブストラクトに展開するのだ。メロディアスとは全く無縁のフレーズになっても仕方が無い。

1967年2月15日と1967年3月7日の録音時には、恐らくコルトレーンは、自分がその5ヶ月後、鬼籍に入るなんてことは、これっぽっちも思っていなかったんだろうと思う。何かを変えよう、何かを残そう、というセンチメンタルな雰囲気は微塵も無い。

しかし、このコルトレーンの遺作『Expression』を聴く度に思うのは、このまま、コルトレーンの命が続いたとして、コルトレーンは何処に行こうとしていたのだろう。コルトレーンの音楽はどういうふうに変貌していったのだろうか。少なくとも、この遺作『Expression』を聴いても、その答えは見つからない。

 
 

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2014年9月22日 (月曜日)

アリスは何が言いたかったのか

コルトレーン晩年の演奏は、徹底的にフリーでアブストラクトで、とにかく聴き通すのにはそれなりの覚悟と体調の良さが必要だ。フリー・ジャズとして聴くのに「お勧めのアルバム」と「お勧めでないアルバム」が混在しており、ジャズ者初心者の時代には、その選り分けに苦労する。

ここに、John Coltrane『Cosmic Music』(写真左)がある。アルバムのリーダー表記はよく「John Coltrane(ジョン・コルトレーン)」単体で紹介されることが多いが、このアルバムは正確に言うと、John ColtraneとAlice Coltraneの双頭リーダーのアルバムになる。

もっと正確に言うと、このアルバムは、コルトレーンの死後に発表された作品で、「Manifestation」「Reverend King」の2曲がコルトレーン生前のセッションの記録で1966年2月の録音。「Lord, Help Me To Be」「The Sun」の2曲は、コルトレーンの逝去後、妻アリス・コルトレーンによって書かれて収録されたもの

ちなみにパーソネルは、John Coltrane (ts, b-cl,1966 recordings), Pharoah Sanders (ts, piccolo), Alice Coltrane (p), Jimmy Garrison (b), Rashied Ali (ds), Ray Appleton (per,1966 recordings), Ben Riley (per, 1968 recordings)。パーカッションは変わるだけで、基本的にはパーソネルは変わらない。コルトレーンの生前、逝去後の違いで、コルトレーンが存在するか、しないかの差はある。

実はその「差」が大きい。コルトレーンの存在している1966年の録音では、明らかにコルトレーンのフリーでアブストラクトな演奏で、その内容的には、僕が感じるのは「可も無く不可も無く」である。晩年のコルトレーンのフリーな演奏は、ちょっとマンネリしていたのでは、と僕は思っていて、その「どこかで聴いたことがある」フリーなフレーズが満載である。
 

Cosmic_music

 
しかし、1968年の演奏は明らかに1966年の演奏とは違う。ファラオの暴力的で激し過ぎるサックスとアリス・コルトレーンのピアノが、かなり「浮いて」いる印象で、コルトレーンの生前のフリーでアブストラクトな演奏と比較すると、激しい割に平板で、激情的ではあるが意外に「響かない」演奏で、聴いていてちょっと辛い。

コルトレーンの演奏は、まだ、ジャズの演奏として、その音を聴く行為、その音を楽しむ行為がギリギリ出来るが(れなりの覚悟と体調の良さが必要だが)、コルトレーンの存在しない演奏は、ジャズの演奏として、その音を聴くことがちょっと辛く、音を楽しむことが出来ない。ここまで激しく暴力的だと、この音を聴くことは「苦行」である。

アリス・コルトレーンは、自らのリーダー・セッションを、亡き夫君のジョン・コルトレーンのセッションとカップリングし、リリースすることで、何を言いたかったのか、何を表現したかったのかがイマイチ判らない。見開きジャケットを見れば、左は宗教、右は政治を表しているように見える。これは何だったのか。ジャズに明らかに思想を持ち込んでいる。

もはや、このアルバムは、ジャズのアルバムでは無く、思想を持ち込んだ、一種宗教的な要素を持ったアルバムである。ジャズとして純粋に耳を傾けるにはちと辛い。コルトレーン生前の演奏については、コルトレーンのディープなファンにとっては一度は聴いておくべき演奏だろうが、一般のジャズ者の方々は、無理をして聴く類のものでは無い。

コルトレーンのアルバムの聴き直しについては、このアルバムを最後にするべきアルバムではあるが、アリス・コルトレーンによって「加工された」このアルバムは、純粋にコルトレーン・ジャズとしては聴くことの出来ない、実に困ったアルバムである。

 
 

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2014年9月16日 (火曜日)

トレーン逝去8ヶ月前のライブ盤

ジョン・コルトレーンが亡くなったのは1967年7月17日。今年で37年になる。それでも、突如として未発表音源が発掘されたり、既発の音源を充実させ、リマスタリングしてリイシューしたりで、まだまだ新しいアルバムが出てくる。凄いなあと単純に感心してしまう。 

今年は2014年。21世紀になって10年以上が経過した。最近では、ジョン・コルトレーンの人気も以前ほどでは無いのでは、とも思うんだが、今年もまたまた、ジョン・コルトレーンのライブ音源がリイシューされた。そのライブ盤の触れ込みが「ジョン・コルトレーンの貴重発掘ライヴ音源盤『At Temple University 1966』が完全版で再登場」。

改めて、John Coltrane『Offering: Live At Temple University』(写真左)。1966年11月11日に米フィラデルフィアのテンプル大学で開催したコンサートの模様を収録したもの。逝去の8ヶ月前の演奏になりますね。以前のリリースはフルセット音源では無かったそうで、今回はこの「フルセット音源」が売り。CD2枚組のボリュームでのリイシューです。

全編、アブストラクトなフリーキー・コルトレーンです。とにかく、徹底的にフリーに吹いていて、フリー・ジャズが苦手な人には絶対にお勧めしませんし、ジャズ者初心者の方々にも、このライブ盤はお勧めしませんね。他にもっと良いジャズ盤が沢山あるので、敢えて、このライブ盤に手を出すことはありません。

それでも、冒頭の「Naima(ナイーマ)」は、なかなか聴き応えがあります。フリーなコルトレーンの中でも、まだ聴き易い演奏でしょうか。それもそのはず、ファラオが遅れたため、カルテットでの演奏なんですね。このカルテットだけの演奏であれば、まだなんとか我慢して聴けるのですが、ファラオ・サンダースが入ってくると、途端にフリー・ジャズの質が落ちる。
 

John_coltrane_offering

 
ファラオの凶暴で滅茶苦茶なソロが出てくると、思わす「げんなり」する。これはもはや音楽では無い。サックスを使った「叫び」であり「嘶き」である。それが精神の発露であるとか、精神の解放であるとか、いろいろと捻くれた理屈をつけることは可能だろうが、これは音楽では無い。

少なくとも、子供に聴かせたら、皆、一様にそっぽを向く。この「嘶き」を快く聴くことが出来るのは、捻くれた理屈好きの大人だけだろう。僕は、なぜ、コルトレーンはこのファラオを採用し、共に演奏しつづけたのかが判らない。確かに、ファラオの暴力的で無味乾燥な無茶苦茶なソロを聴けば、コルトレーンのフリーキーなソロがまだ穏やかに聴こえるが、そんな対比の為に使い続けた訳でもあるまい。

まあ、コルトレーンもファラオも体力の続く限り、アブストラクトに激しくグロテスクに、思いっきりフレーズ無きフレーズを吹き続けるわけだが、それが音楽として成立するんだろうか。宗教の苦行として解釈すれば、それはそれで「あり」なんだろうが、この演奏は、基本的に「ジャズ」であり「音楽」であるはずだ。

しかも、「Leo」では2回、最後の「My Favorite Things」では1回、なんとコルトレーンの歌声が聴かれる。「Leo」の2回目と「My Favorite Things」では胸板をたたいてトレモロまでしてしまっている。う〜む、ここまで来ると、もう良く判らん。

ファラオの暴力的でグロテスクでアブストラクトなソロ、コルトレーンのゴリラの様な歌声。スピリチュアルと言えば聞こえは良いが、これが「鑑賞の為の音楽」かと言えば、これは違うだろう。コルトレーンの最晩年の演奏を擬似体験するのには格好のライブ盤だが、普通のジャズ・ファンの方々には無縁の音源だろう。

しかし、この演奏は、コルトレーン逝去の8ヶ月前のライブ録音。この圧倒的にアブストラクトな演奏を聴くにつけ、コルトレーンって、この演奏の8ヶ月後にあの世に旅立つなんて、これっぽっちも思っていなかったんだろうな、と思う。

 
 

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2014年8月26日 (火曜日)

Interstellar Space = 星間空間

ジョン・コルトレーンの聴き直しシリーズもいよいよ終盤。1966年から1967年の作品を聴き直す。コルトレーンが逝去したのは、1967年7月17日。約1年半の期間のリーダー作を集中して聴くことになる。

逝去した1967年7月から遡って聴き直すことを選択。まずは、John Coltrane & Rashied Ali『Interstellar Space』(写真左)を聴く。1967年2月22日の録音。逝去前、5ヶ月前の録音になる。しかも、パーソネルは、John Coltrane (ts), Rashied Ali (ds)  の「異色のデュオ編成」。

デュオという異色の編成がウケないのか、このアルバムは、コルトレーンのアルバムの中でも地味な存在。しかし、その内容はなかなかのもので、僕はこのデュオ盤を良く聴く。

まず、デュオ編成ということで、コルトレーンのテナーに集中して聴ける。ベースとピアノが無い分、演奏全体の厚みは減じられるが、なんせシーツ・オブ・サウンドでフリーキーに吹きまくるコルトレーンである。演奏全体の厚みは、このデュオ編成がちょうど良いと感じられる。

ラシッド・アリのドラミングも実に良い。コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドでフリーキーな吹きまくりにピッタリとフィットして、コルトレーンの前に絶対に出ること無く、フリーキーにアブストラクトに吹きまくるコルトレーンのリズム&ビートをしっかりと支えていて立派だ。
 

Interstellar_space

 
冒頭の鈴の音にはちょっとドキドキする。あ〜あ、スピリチュアルなノイジーでフリーキーなブロウを延々聴かされるのか、とちょっとウンザリするのだが、続く「Mars」のフリーキーな展開は意外と聴き易い。

確かにフリーキーなブロウを聴き慣れていないと、聴き続けるのにはちょっと辛いだろうが(ジャズ者初心者の方々にはかなり辛いかと思います)、耳に障るノイジーなブロウが無い分、このアルバムでのコルトレーンのブロウは聴き易い。

ここでのコルトレーンのブロウは、本能の趣くままに吹きまくる無手勝流のブロウでは無く、かなり考えられたフレーズを積み重ねていて、ただ、そのフレーズがシーツ・オブ・サウンドでバラバラに分解されて、フリーキーに吹きまくられているだけ。意外と構築美を感じられるこの盤のコルトレーン・サウンドに、ちょっと良い意味で戸惑ったりする(笑)。

意外とこのアルバムのコルトレーンのブロウが、コルトレーンの追求してきた「シーツ・オブ・サウンドでアブストラクトに吹きまくるフリー・ジャズ」の最終到達点だったのかも知れない。それほど、このアルバムでのコルトレーンのシーツ・オブ・サウンドでフリーキーに吹きまくるブロウは、独特の構築美に溢れていて素晴らしい。

この何の捻りも無い夕日のジャケットがマイナスポイントなのかなあ(意外と僕は好きなんですが)。コルトレーンのアルバムの中でもあまり人気が無いのが不思議です。僕は、コルトレーンの晩年のブロウを体感出来る佳作として、この盤は一番のお勧めです。

 
 

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2014年6月25日 (水曜日)

テナー4本+ピアノトリオな異色盤

ジャズは即興の音楽であると同時に、ジャズは個の音楽でもある。同じ楽器を演奏しても、ジャズの場合、決して同じ音が出ない。というか、決して同じ音を出さない。そこがクラシックと全く正反対なところである。

ジャズは個の音楽だからこそ、こういうジャム・セッションが成立する。テナー4本+ピアノ・トリオ。ジャズの場合、決して同じ音が出ない。それぞれのジャズメンの個性的な音が出る。テナー4本がフロントを占めるということは、テナーの個性を4種類、楽しむ事が出来る、全くお徳用なジャム・セッションである。

大学時代、このテナー4本+ピアノ・トリオなジャム・セッションの演奏を収録した、このアルバムのタイトルを初めて聴いた時、へ〜っ?と思った。「テナー根比べ」。凄い邦題だなあと思った。テナーの演奏の根比べ。テナー4本でアドリブ合戦の根比べ。はあ〜それで「根比べ」かあ、と感心したら、秘密の喫茶店のママさんに大笑いされた(笑)。

正式なアルバムタイトルは『Tenor Conclave』(写真)。確かにカナ読みにすると「テナー・コンクラーベ」。コンクラーベとはもともとは「教皇選挙会議」の意だが、ここでは「同僚の集まり」の意のほうがしっくりくる。つまりは「テナーの同僚の集まり」である。

そのテナー4本のパーソネルは、Al Cohn, John Coltrane, Hank Mobley, Zoot Sims (ts)。当時のテナーの人気者ばかりがズラリ。そして、バックのリズム・セクションのピアノ・トリオのパーソネルは、Red Garland (p), Paul Chambers (b), Art Taylor (ds)。当時のファースト・コールなピアノ・トリオ。1956年9月の録音になる。
 

Tenor_conclave

 
このテナー4本+ピアノ・トリオな、実にお気楽なジャム・セッションのプロデュースは、もちろん「プレスティッジ・レーベル」の仕業である。リーダーを立てず、リハもせず、小遣いの欲しいミュージシャンを集めて、いきなりのジャム・セッション。それをサクッと録音して、安上がりなジャケットに包んでリリース。プレスティッジのお得意技である。

さすがに、これだけ個性的なテナーが4本集まれば、それこそ「船頭多くして船山に上る」な状態に陥るだろう、と思いきや、このジャム・セッションではそうはならないところが、これまたジャズの面白いところ。明確なリーダーがいないのにも関わらず、4人のテナー奏者が上手くお互いの音を確認しながら、アドリブ・パートも均等に割り振りながら、それぞれの個性的なテナーのブロウを聴かせてくれるのだ。 

さすがに、この4人のテナーは、アル、コルトレーン、モブレー、ズートだよと事前に教えられれば、それぞれの演奏の中で、そのテナーの音を聴けば、この4人の中の誰が吹いているかはまず判る。アル・コーンとズート・シムズの聴き分けがちょっと難しいが、コルトレーンとモブレーは直ぐ判る。

ちなみに、このアルバム、タイトル通り、4人のテナーの個性を楽しむのが本来の目的なんだが、実はこのアルバムのリズム・セクションである、ガーランドのピアノ、チェンバースのベース、テイラーのドラムが意外に良いのだ。この優れたリズム・セクションのバッキングがあったからこそ、このテナー4本の優れたアドリブが楽しめるのだ。

テナー4本がフロントのジャム・セッションという、ちょっと「キワモノ」っぽい雰囲気と、チープなジャケット・デザインと相まって、その内容を知らないうちは、さすがに手を出しかねるアルバムではあるのですが、テナーの個性を聴き分けることの出来る様になったジャズ者中級者にお勧めの異色盤です。

 
 

大震災から3年3ヶ月。決して忘れない。まだ3年3ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。 

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2013年11月28日 (木曜日)

聴き易いフリーキーなトレーン

コルトレーンのこのアルバムの存在を僕は21世紀になって知った。それもそのはずで、このアルバムは、録音した当時はお蔵入りして、1998年の3月にリリースされた、いわゆる「未発表音源」である。

そのアルバムの名は、John Coltrane『Living Space』(写真左)。もともとの録音は、1965年6月。コルトレーンは、1967年の7月に亡くなっているので、逝去の2年1ヶ月前の録音になる。パーソナルは、もちろん、黄金のカルテットと呼ばれる、John Coltrane (ts, ss), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds)。

時期的に見ると、黄金のカルテットの『Kulu Se Mama』と『Ascension』の間のセッション集になる。黄金のカルテットとして、まだまだ充実した演奏を繰り広げている頃の演奏で、なぜ没になったのかが全く判らない「未発表音源集」である。 

このアルバムは、一言で言うと「聴き易いフリーキーなコルトレーン」である。冒頭のタイトル曲「Living Space」の出だしのコルトレーンのテナーは、スーッと真っ直ぐ伸びて、凄くストレートな、素晴らしく伸びのあるテナー。テーマを吹き挙げるコルトレーンは、本当に堂々としていて、伸びがあって素敵である。

が、インプロビゼーション部に入ると、あ〜あ、やっぱりフリーなブロウに移行する。しかし、このアルバムでの、コルトレーンのフリーなブロウは、あまりアブストラクトに傾かない。まあ、こちらの耳に、フリーキーなブログに対する耐性が培われた、ということもあるが、それを差し引いても、このアルバムでのコルトレーンは無茶苦茶には吹かない。
 

Living_space

 
節度ある「限りなくフリーに近いモーダルなブロウ」と言ったら良いだろうか。ただ、コルトレーンのフリーなブロウは、ちょっと一本調子なところがあり、この頃のインプロビゼーションは、ちょっとマンネリしている。フリーであるべき展開が、彼の手癖も含めて、定型化されつつあって、なんだか先が読めてしまうのだ。これでは「フリーな演奏」とは言えない。

もっと自由にもっと斬新な展開で、心からのブロウを吹き上げたいとトライはするのだが、どうしても、どこかで聴いた展開と節回しという感じになってしまう。それでも、コルトレーンはコルトレーンなので、ジャズ者の我々にとっては、コルトレーンがコルトレーンらしく吹いてくれているので問題は無いのだが、音楽を創造する側からすると、ゆゆしき問題である。

バックのリズム・セクションを張る、McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds)のトリオの出来が素晴らしい。ちょっとマンネリ気味のコルトレーンはさておき、このバックのピアノ・トリオが最高である。恐らく、この頃がこのトリオのピークであり、最後の輝きなのではないか、と思う。自由度の高い、柔軟性のある、素晴らしいインプロビゼーションを展開している。

この『Living Space』のコルトレーンは聴き易い。フリーな演奏ではあるが「限りなくフリーに近いモーダルなブロウ」という感じで、ストレートな、素晴らしく伸びのあるテナーと相まって、意外と、このアルバムは楽しめる。バックのトリオもご機嫌なバッキングを展開しているしね。

このアルバムに収録されているセッションの後、あの問題作『Ascension』を録音し、黄金のカルテットは崩壊する。この『Living Space』は、黄金のカルテットの「最後の輝きの記録」でもある。

 
 

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2013年1月19日 (土曜日)

プレスティッジの得意技である

昨日は、コルトレーンがサイドマンに回って、実に絵に描いた様な「ハードバップ」しているアルバムがもう一枚ある、として、Mal Waldronの『Mal-2』を取り上げた。

Mal Waldron(マル・ウォルドロン)のリーダー作『Mal-2』を取り上げてみて、そう言えば、マルの参加したアルバムで、絵に描いた様な「ハードバップ」しているアルバムが他にもあったぞ、と思い当たった。何だったかな、そのアルバムのタイトルは・・・。

実はプレスティッジ・レーベルお得意のジャズメンを適当に借り集めての「ジャム・セッション」の記録を、これまた、やっつけな編集をしてアルバムに仕立て上げた中に、そんな絵に描いた様な「ハードバップ」しているアルバムが幾つかある。

そう、マルの参加したアルバムの中で、絵に描いた様な「ハードバップ」しているアルバム、それは、The Prestige All Stars 『Interplay For 2 Trumpets And 2 Tenors』(写真左)である。アルバムのリーダーは明確に選定せず、プレスティッジ・オール・スターズとなっている。

これって、とりもなおさず、プレスティッジ・レーベルお得意のジャズメンを適当に借り集めての「ジャム・セッション」の記録であり、やっつけな編集をしてアルバムに仕立て上げた「プラスの成果」である。こういう「やっつけな」対応の中で、絵に描いた様なハードバップの素晴らしい瞬間を、さりげなく切り取って聴かせてくれるようなことを、時折、プレスティッジ・レーベルはやってくれる。

ちなみにパーソネルは、Idrees Sulieman, Webster Young (tp), John Coltrane, Bobby Jaspar (ts), Mal Waldron (p), Kenny Burrell (g), Paul Chambers (b), Art Taylor (ds)。1957年3月22日の録音。昨日、ご紹介した『Mal-2』の2ヶ月前のジャム・背ションの記録である。
 

2tp_2ts

 
ジャズメンを適当に借り集めてのリーダーを特定しない「ジャム・セッション」なので、アレンジも参加メンバーで、適当にヘッドアレンジ風に事前打ち合わせしただけで、ほぼ、ぶっつけ本番のジャム・セッションだと推察される。
 
が、当時のハードバップの一流ジャズメンって凄い演奏能力の持ち主が集まっていたんだろう、アレンジもインプロビゼーションも、フロント楽器のソロもリズム・セクションのバッキングもかなりの水準である。

とにかく聴いていて楽しい。収録された演奏は4曲であるが、約8分〜17分のロング・プレイばかり。タイトル通り、フロント楽器に2本のテナーと2本のトランペットが陣取り、そこに、ギターが加わって、代わる代わるソロを取る。これがまあ、素晴らしいソロばかり。甲乙付けがたいソロ・パフォーマンスが延々と続く。

バックのリズム・セクションがこれまた良い。まあ、メンバーを見渡せば、ピアノにはマル・ウォルドロン、ベースは当時ファースト・コール・ベーシストだったポール・チェンバース、ドラムには、いぶし銀ドラマーのアート・テイラーと当時、最高峰レベルのリズム・セクションである。悪かろうはずがない。どころか、特に、歌伴に強いマルは素晴らしいバッキングを聴かせてくれる。

ジャズメンを適当に借り集めての「ジャム・セッション」の成果なので、所謂「偶然の成果、偶然の産物」ではあるのだろうが、即興が命のジャズとしては、時たま、この「偶然の成果、偶然の産物」の中で、プラスの化学反応が起きて、ジャズとして素晴らしい成果を残してくれることがある。これがまた、ジャズの面白いところ。

この『Interplay For 2 Trumpets And 2 Tenors』は、ジャズの歴史に名盤として名を残す様なアルバムではありませんが、絵に描いた様な「ハードバップ」しているアルバムとして、長く愛聴できる「ヘビロテ盤」として、そっと推薦したいアルバムではあります。ちょっと入手し難いアルバムかもしれませんが、頑張って入手にトライしてみてはいかがでしょう。

 
 

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