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2017年11月12日 (日曜日)

リゾート志向の冬のユーミン盤

僕にとってのユーミン盤は、それぞれに季節感がついてくる。僕が感じるには、ユーミンの盤にはそれぞれ、独特の季節感が流れていて、その季節毎に聴くユーミン盤が変わる。ただし、この季節感を感じるユーミン盤は、1989年リリースの『LOVE WARS』までに限定される。なぜか、1990年代以降のユーミン盤には、この「季節感」が感じられなくなっている。

さて、今年もそろそろ「冬」である。冬の季節を感じると、必ず聴きたくなるユーミン盤が何枚かある。その筆頭が、松任谷由実『SURF & SNOW』(写真)。1980年12月のリリース。キャッチコピーは「忘れないで、ときめくホリディを!」。僕はリアルタイムで、リリース日当日にこの盤を入手している。

もともと発売日が12月1日だったこともあり、収録曲の「恋人がサンタクロース」と「雪だより」をとても印象的だったこともあって、僕の頭の中では、この盤は「冬のユーミン盤」になった。加えて、1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」のオープニングに印象的に使われた「サーフ天国、スキー天国」のイメージが加わって、この盤は「冬のユーミン盤」として”確定”された。
 

Surfsnow_2

 
タイトルが『SURF & SNOW』なので、「灼けたアイドル」や「人魚になりたい」など夏の曲もある。「サーフ天国、スキー天国」だって、曲の半分はサーフィンの情景なので「夏」である。しかし、この盤がリゾート志向の曲作りになっている為、僕の頭の中では、夏の部分は、日本の冬での「夏」の地域。南半球もしくは常夏の島の話として解釈している。

他の曲、「まぶしい草野球」は春まだ浅い冬の終わりの季節設定だし、「シーズン・オフの心には」や「恋人と来ないで」も冬の季節がピッタリだと感じる。「彼から手をひいて」や「ワゴンに乗ってでかけよう」はオールシーズン・タイプの曲なんで、どの季節にも、つまりは「冬」にも合う。

よって、僕の中では、この『SURF & SNOW』は「リゾート志向の冬のユーミン盤」。それぞれの曲のアレンジも良好、当時のニューミュージックと呼ばれる曲の中でも、そのポップス感は突出している。当時としては、新しい感覚のポップ・ロックとして先端を行く存在だった。今でも、この木枯らし吹く季節になると、この盤が聴きたくなる。今年もそろそろ本格的な冬である。

 
 

東日本大震災から6年8ヶ月。決して忘れない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。 

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2017年11月11日 (土曜日)

晩秋の季節の「ユーミン盤」です

秋も深まってきた。日も短くなって、朝は日が昇るのが遅くなったし、夕暮れ時は結構早く陽が落ちる。今年は気温の変動がダイナミックだったが、このところ落ち着いて来て、やっと平年通りの気温に落ち着いて来た。気温が下がって日が短くなると、とにかく「物寂しい」。なんだか内省的になって、何を聴いても「しみじみ」する。

毎年毎年、この季節になると、じっくりと聴き込むユーミン(松任谷由実)のアルバムがある。松任谷由実『紅雀』(写真左)である。1978年3月のリリース。ユーミンが松任谷正隆さんとの結婚後、「荒井由実」改め「松任谷由実」として最初のオリジナルアルバムになる。当時のキャッチコピーが「1年5ヶ月の沈黙をやぶり第5弾ついに登場!! ユーミンの新しい世界がここに!!」。

全編に渡って、実に内省的な内容である。地味というか「しっとり」としている曲が多い。曲ひとつひとつ、実に丁寧に作られていると思う。しかし、印象に残りにくく、コレと言ったキャッチャーな曲に乏しい。シングルカットされた「ハルジョオン・ヒメジョオン」もリズムカルであるが、異国叙情が漂う、優しく穏やかな曲である。
 

Benisuzume

 
ユーミン自身も語っているが、ユーミンのアルバムの中で一番地味な内容。これだけ地味な印象のあるアルバムである。それではあまり聴き直すことも無いのでは、と思うのだが、意外とこれが、毎年毎年、この季節になると聴きたくなって、必ずライブラリーから取り出してきて聴き込むのだ。不思議な魅力を持ったアルバムである。

アルバム全体のアレンジは、当時、米国で流行っていたフュージョン・ミュージック、特にCTIフュージョンの影響をモロに受けている。例えば「LAUNDRY-GATEの想い出」のアレンジなど、ホーンの使い方、リズムなど、当時のフュージョン・ジャズのリーダー格、ボブ・ジェームスの『Heads』というアルバムに収録されている「We're All Alone」のアレンジを上手く取り入れている。

聴き返してみると、この『紅雀』、フュージョン・ミュージックなユーミンだった様な気がする。とてもきめ細かく丁寧にアレンジされた楽曲が心地良い。当時のフュージョン・ミュージックの特徴を踏まえて聴くと、このアルバム、実に聴き応えがある。一般受けはしないが、フュージョン者にとっては聴き応え十分。我がバーチャル音楽喫茶『松和』では、晩秋の季節の昼下がりに、ゆったりと聴き込むのが通例になっている。

 
 

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2016年10月 2日 (日曜日)

Panta & Halのロック盤

1970年代、日本のロックは、演奏力が弱い、ボーカルが弱い、日本語がロックビートに乗らない、などなど、評論家筋を中心にケチョンケチョンに言われた。しかし、1970年代半ばより、ニューミュージックの波に乗って、日本のロックはダイナミックに充実していった。

もはや1970年代終盤においては、前述の様な「日本ロック批判」を叫び続ける評論家筋はまだまだいるにはいたが、日本のロックのアルバムについては、日進月歩で充実している。僕の大学時代、1970年代終盤から1980年代初頭においては、後世に残る「日本ロックの好盤」が結構リリースされた。

この2枚のアルバムは、そんな中の2枚である。Panta & Hal『マラッカ』(写真左)と『1980X』(写真右)。『マラッカ』は1979年、『1980X』は1980年のリリース。

『マラッカ』は、1977年7月に始動させたバンド「Panta & Hal」名義で発表したファースト・アルバムになる。内容としては、単純なハード・ロックな展開は全く無く、ポリリズミックなレゲエ・ナンバーやマーク・ボランへの哀悼の念を込めたブギーなナンバーなど、音楽的にバリエーションに富んだロック・ナンバーが詰まっている。
 

Panta_hal

 
『1980X』は、PANTA & HAL名義でのセカンド・アルバム。このアルバムの特徴は、キーボードを排除した、シンプルな「ギター・サウンド」がメインであるということ。前作の音楽的にバリエーション豊かな内容とは打って変わって、ソリッドでシャープな「ギター・ロック」で占められている。

この2枚のアルバムの内容は、当時の日本ロックとしてはかなり衝撃的で、ついに日本のロックもここまで来たか、急速に英米のポップロック・シーンに肉薄した、という感を強くした。演奏テクニックは申し分無く、ボーカルも個性と味があり、日本語はロックビートにしっかり乗っている。

Panta(パンタ)は、1970年代に、伝説のロックバンド、頭脳警察を率いて有名を馳せたロック・ヴォーカリスト。頭脳警察時代の過激なパフォーマンスや現在に至る過激な政治的言動については賛同しかねる面が多々あるのだが、ことさら、ロック・ボーカリストとしての実力、ソング・ライティングの能力については全く申し分無い。どころか称賛に値するレベルである。

特に、この1970年代の終焉と1980年代の初頭にリリースされた『マラッカ』と『1980X』については、日本ロックの歴史の記憶に留めるべき好盤であると思う。確かに、僕達の学生時代、行きつけの喫茶店で、はたまた、徹夜麻雀のBGMに大活躍の「日本のロック盤」であった。

 
 

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2016年9月19日 (月曜日)

日本語がロックに乗った瞬間

1970年代、日本人の演奏するロック、和製ロックが台頭する中で、評論家を中心に「日本語はロックに乗らない」という変な風潮がトレンドとなった時期がある。1970年代半ばまでの和製ロックについては、無理して英語で歌うところが、とても痛々しかったのを覚えている。

まあ、英語で歌われるロックは何だか格好良く、日本語で歌われるロックは何だかダサイ、ということなんだが、当時、日本語の歌詞自体の言葉使いとか言い回しとかが稚拙だったこともあって、日本語で歌われる楽曲は何だかダサイ、というところが本当のところだろうと思っている。

個人的には「日本語はロックに乗らない」とは全く思っていなくて、評論家って変なこと言うなあ、と言うくらいにしか受け止めていなかった。そして、この「日本語はロックに乗らない」という風潮を打破し始めたのが、1970年代後半、ニューミュージックという音楽ブームに乗って、現れ出でた「歌謡ロック」である。

歌謡曲の哀愁感や情緒感をロックに取り入れた「日本語によるロック」で、その内容によっては「演歌ロック」とも呼ばれた。ニューミュージックのブームに乗って売れに売れたので、ロックの精神性を重んじる、お堅いロック・ファンには評価されづらい存在であった様に思う。しかし、この歌謡ロックの成立によって「日本語はロックに乗った」のである。

そんな歌謡ロック成立の立役者の一人が「世良公則」。ツイストというバンドを伴って、1977年10月、ポプコン本選会で「あんたのバラード」がグランプリを獲得。いきなり50万枚を超える大ヒットを記録して、ロックをメジャーに押し上げた最初のロックバンドとなる。

そして、1978年〜79年にかけて、世良公則&ツイストは「宿無し」「銃爪 (ひきがね)」「性」「燃えろいい女」とヒット曲を連発し、「ザ・ベストテン」などのTVの歌謡番組にも積極的に出演したところも、それまでのロックバンドにないマナーでした。独特のステージ・アクションで歌う世良公則の姿に度肝を抜かれたのを今でも覚えています。
 

Masanori_sera_twist

 
そんな世良公則&ツイストの音を捉えたアルバムが『Twist』(写真左)と『ツイストⅡ』(写真右)です。今の耳で聴いてみると、やはり世良公則のソング・ライティングとボーカルの才が突出しています。バックバンドの音はさほどお上手ではないんですが、それをかき消すほど、世良公則のボーカルが圧巻です。

それまで、和製ロックの弱点は「ボーカル」にあったと思っていて、とにかく和製ロックのボーカルは弱い、というか繊細過ぎる。加えて、苦手な英語で歌わされるものだから更に弱くなる。そんな繊細過ぎる和製ロックのボーカルの印象を一気に払拭したのが、世良公則のパワー溢れるボーカルでした。

世良公則の音楽性は、男臭くセクシュアルな面をちょっと前に押し出しつつ、どこかウェット感、情緒感のある歌謡ロック。世良公則&ツイストの出現は、明らかにロックをメジャーに押し上げた最初の出来事でした。リアルタイムでその瞬間を体験できたことは、今でも貴重な体験として自分の中に残っています。

「日本語によるロック」、今ではその言葉を聞いて「日本語はロックに乗らない」とか「日本語で歌うロックはロックでは無い」と言う人はいないと思います。日本語で歌ってもロックはロック。これはすっかり当たり前のことになりました。

お堅い日本のロック評論やロック・ファンから排斥されようと、俳優業の片手間のお遊びと揶揄されようが、世良公則の歌謡ロックをメジャーにした功績と「歌謡ロック・スピリット」は不変だと思います。

 
 

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2016年9月 7日 (水曜日)

ジャジーなハイ・ファイ・セット

日本の1970年代後半、ニューミュージックという音楽ジャンル言葉が流行した。「ニューミュージック」とは、Wikipediaを紐解くと「日本のポピュラー音楽のジャンルの一つ。作曲面ではフォークソングにロックなどの要素を加え、作詞面ではそれまでのフォークソングの特徴であった政治性や生活感を排した、新しい音楽」とある。

そんなニューミュージックの中で、なかなか珍しい存在であるコーラス・グループの一つが「ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set)」。伝説のフォーク・グループである「赤い鳥」が二つのグループに分裂、その片割れが「ハイ・ファイ・セット」。山本潤子、山本俊彦、大川茂の3人構成で、1974年10月に結成された。

僕は、このハイ・ファイ・セットがお気に入りで、このコーラス・グループの音の雰囲気と音の重なり、そして楽曲のアレンジがとても感性に合う。実は、このハイ・ファイ・セットのアルバムは殆ど所有していて、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズの合間の耳休め盤」として、ちょくちょく登場する。

さて、そんなハイ・ファイ・セットのアルバムの中で、「ジャズの合間の耳休め盤」として、一番よくかかる盤が『The Diary』(写真左)。1977年9月のリリース。1977年は浪人真っ只中だったので、入手したのは1978年の後半だったと記憶している。

アルバム全体の雰囲気が「ポップでライトでジャジー」。当時のAORからフュージョン・ジャズの雰囲気を上手く取り込んだアレンジが、とっても良い雰囲気なのだ。コーラスも、そのアレンジを意識して「意外にジャジー」。落ち着きのある、粋でポップでアーバンなフュージョン・ポップな内容が「ジャズの合間の耳休め盤」にピッタリなのだ。

冒頭の「恋の日記」が絶品である。前奏のコーラスからして「ジャジー」。バックの演奏は「AORなフュージョン・ジャズ」。ハイ・ファイ・セットがとても趣味の良い、小粋なコーラス・グループであったことが良く判る。これって、下手なコーラス・グループには出来ない芸当である。
 

Hifiset_the_diary

 
LP時代、B面の1曲目の位置していた「愛こそすべて」は、まさに「ジャズ」。とても魅力的なトロンボーンが大活躍。リズム&ビートは全く「純ジャズ」。ハイ・ファイ・セットのボーカルは、まさに「ジャズ・ボーカル・グループ」そのもの。いつも聴いては思うのだが「良い曲」である。

ニューミュージックというジャンルの中で、ここまでジャジーでフュージョン・ジャズなアルバムは無い。実はハイ・ファイ・セットって、他にもジャジーなアルバムを出していて、これがそれぞれ絶品なのだ。また、機会があれば、このブログでご紹介していきたい。

僕が大学時代、プライベートで劇的な出来事が相次いだ時代に、かなり聴き込んだ「ジャズの合間の耳休め盤」である。長年聴き込んで来たアルバムだが、聴く度に、頭の中にセピア色の風が吹き抜けて「万感な想い」がこみ上げてくる。

2曲目の「風の街」の以下のフレーズを聴く度に、あの頃、あの人が脳裏に甦る。若き日の「今となっては懐かしい、でもちょっと無念な」想い出である(笑)。
 

花びら散らし 駆けて行く
オシャレな風に 恋をしたよ

立ち止まる僕の胸に 残る面影
青春を刻み込む朝よ

Good Feeling 愛みちたひとこと
Good Feeling あなたに とどけてほしい

 
 

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2016年7月17日 (日曜日)

原田知世『恋愛小説2』を聴く

こういうカバーアルバムを出されると、思わず「にやけて」しまうよな〜。僕達、1970年代Jポップのマニアからすると、この選曲はたまらない。しかも、ボーカルを担当するのが、当時のこの若手女優というのだから、これまたたまらない(笑)。

そのカバーアルバムとは、原田知世『恋愛小説2〜若葉のころ』(写真左)。今年の5月のリリース。原田知世が短編小説の主人公を演じるように歌う、ラヴ・ソングのカバー・アルバム第2弾。

選曲テーマは「原田知世の少女時代」。姉と一緒にテレビの歌番組を観て歌手のマネごとをしていた故郷・長崎時代から、映画のオーディションに合格し東京に出て芸能界デビューした頃(1970年代半ば〜1980年代前半)にかけて流行したポップス・歌謡曲をカバー、とある。

女優としてのみならず、シンガーとしても高い評価を得ている知世ちゃんである。これは期待できる。というか、僕にとっては、知世ちゃんのボーカル盤なので、実は「何でも通し」である(笑)。僕は知世ちゃんのボーカルにからきし「弱い」。

昨年3月にリリースしたカバーアルバム『恋愛小説』(2015年3月20日のブログ・左をクリック)で、「大人のラヴ・ソング」をテーマに、ポップス、ロック、ジャズ、ボサ・ノヴァといったさまざまなジャンルのラヴ・ソングから、歌詞を吟味し10曲を厳選。このアルバムは英語曲のカバー集だった。これも良かった。

しかし、今回の『恋愛小説2』は更に良い。1970年代半ば〜1980年代前半にかけて流行したポップス・歌謡曲のカバーである。僕達の「1970年代Jポップのマニア」からすると「ど真ん中」である。選曲は以下の通り。ね〜っ、良いでしょう。タイトルを見るだけで、もうグッときます。
 

Photo
 
 
1. September (竹内まりや・1979年)
2. やさしさに包まれたなら (荒井由実・1974年)
3. 秘密の花園 (松田聖子・1983年)
4. 木綿のハンカチーフ (太田裕美・1975年)
5. キャンディ (原田真二・1977年)
6. 年下の男の子 (キャンディーズ・1975年)
7. 異邦人 (久保田早紀・1979年)
8. 夏に恋する女たち (大貫妙子・1983年)
9. 夢先案内人 (山口百恵・1977年)
10. SWEET MEMORIES (松田聖子・1983年)

 
知世ちゃんのホンワカ癒し系のボーカルで、カバーするこれらの楽曲は魅力的。加えて、ギタリスト・作曲家の伊藤ゴローのプロデュース及び楽曲アレンジが冴えに冴える。原曲のイメージをしっかりと押さえつつ、知世ちゃんなりの解釈で唄い上げていく内容は聴き応えが良くて聴き易い。 

ムーディーでホンワカしていて、どこか懐かしさが漂う。秀逸なカバー集です。このカバー盤を聴いていると、当時の若かりし頃のセピア色の想い出が浮かんでは消えていく。しばらく、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「懐かしの70年代館」でヘビロテになりますね〜。

 
 

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2016年7月16日 (土曜日)

「レモンライムの青い風」な盤

週末は「ジャズの合間の耳休め」。この人のアルバムの登場は、当時の日本のJポップの中で新鮮な出来事だった。明らかに、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用&借用が見られる楽曲で固められた内容。特にそれまで、米国西海岸ロック&ポップスのフォロワー的なアルバムは無かった。

僕がこの人の楽曲に出会った最初が、シングルで発売された「ドリーム・オブ・ユー 〜レモンライムの青い風〜」。キリンビバレッジ「キリンレモン」のCMとのタイアップ・ソング。この曲を初めて聴いた時、なんやこれ、とビックリした。それまでの日本のJポップに無い雰囲気に驚いた。1979年2月のことである。

そして、その「ドリーム・オブ・ユー」を収録したアルバムが、竹内まりや『UNIVERSITY STREET』(写真右)。1979年5月のリリース。このアルバム、竹内まりやの大学卒業記念アルバムとして制作されたが、当の竹内まりやが卒業できず留年してしまったという、なんだかちょっと間の抜けたエピソードで有名なアルバム。

でも、その内容は、オールディーズから米国西海岸ロックまで、幅広く米国ルーツ・ミュージックの爽やかどころの引用を満載した、雰囲気のある、良い意味で「あっけらかんとして屈託の無い」アルバムである。アレンジの雰囲気も、明らかに米国オールディーズから米国西海岸ロックの流行のアレンジを踏襲しており、とにかく「あっけらかん」としている。

今の耳には、この屈託の無い米国ルーツ・ミュージックの爽やかどころの引用については「ちょっと苦笑もの」ではあるが、当時、僕達の大学時代には愛聴したアルバムであった。なんせ、このアルバムの雰囲気は、一言で言って「爽やかで可愛い」んだから、仕方がない(笑)。

このアルバムで、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用が見られる楽曲に興味を惹かれ、ほどなく、彼女のアルバムを遡る。そんな彼女のファースト・アルバムがこれ。竹内まりや『BEGINNING』(写真左)。1978年11月のリリース。
 

Beginnings_university_street

 
セカンド盤の『UNIVERSITY STREET』は、彼女の大学時代の生活をテーマにした楽曲で固めたコンセプトアルバムだったが、このファースト盤は、おもちゃ箱の様に様々な志向の楽曲が統一感無く集められている。やりたかった楽曲を片っ端からやって収録した感のあるアルバム。

セカンド盤『UNIVERSITY STREET』より濃い、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用が見られる。かの山下達郎だって、ここまであからさまに引用はしないよな〜、と感心するくらい。よって、こちらもファースト盤の方が、どの辺りの楽曲からの引用、借用なのか、類推するのが楽しい。

今の耳で振り返ると、アレンジ、バックの演奏、共にこなれておらず、取って付けたような「違和感」が漂うところが多々あるが、それはそれでご愛嬌。当時の日本のJポップの中では明らかに「斬新」だった。バックのメンバーも今の目で見れば、こんな人がやってんの、ってビックリする様なパーソネルが満載です。

このファースト盤に収録された、デビューシングルが「戻っておいで私の時間」など、実に良い雰囲気です。このファースト盤も僕達の大学時代には愛聴したアルバムであった。なんせ、このアルバムの雰囲気は、一言で言って「爽やかで可愛い」んだから、仕方がない(笑)。

『BEGINNING』と『UNIVERSITY STREET』、当時、日本Jポップの中で斬新なアルバムでした。今の耳で聴けば、アレンジ、バックの演奏共に発展途上なんですが、それを差し引いても、このアルバム達の持つ、米国オールディーズや米国西海岸ロック&ポップスの引用&借用には「新しい風」の様な雰囲気を強く感じたことを覚えています。

 
 

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2016年7月 3日 (日曜日)

尾崎亜美は「シティ・ポップ」

週末の当ブログ「ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと」は、ジャズの合間の耳休め。70年代ロックや70年代Jポップのアルバムにまつわるお話しを特集しています。

さて、今を去ること40年前から、尾崎亜美は僕のお気に入りのSSW(Singer Song Writer)である。彼女の書く歌、ボーカル、そしてアレンジ、どれもが僕の好みにピッタリで、高校時代から還暦直前の現在まで、ずっと尾崎亜美を聴き続けている。いわゆる「尾崎亜美者(尾崎亜美のマニア)」である。

僕は、彼女は「シティ・ポップの天才」だと思っている。今を去ること40年前、日本では「シティ・ポップ」の走り、業界がつけた「ニューミュージック」の黎明期。SSWとしては、荒井由実、五輪真弓、中島みゆき、八神純子などの名前が浮かぶ。そんな中、尾崎亜美は独特の存在だった。とにかく彼女の音世界は、他のSSWの音世界とはまったく様相が異なる。

簡単に言うと、尾崎亜美は、最初から「シティ・ポップ」より始まっているのだ。デビュー盤の『SHADY』を聴けば判るんだが、当時の日本で流行っていた「歌謡ポップス」の影響が見られない。と言って、英米のポップスから借用しているのか、と言えば答えは「No」。尾崎亜美の音世界の面白いところは、当時の英米のポップスの影響がほとんど見当たらないことである。

他のSSWは、必ず歌謡ポップスの影響が見え隠れし、英米のポップスの借用が見え隠れする。尾崎亜美が、1970年代後半、ニューミュージックの時代、ヒット曲という側面では、荒井由実や五輪真弓、八神純子の後塵を拝することになったのは、この辺に理由があると思っている。

「シティ・ポップ」からダイレクトにアプローチし、英米のポップスの借用が見られない尾崎亜美の楽曲は、当時の日本人からすると取っ付き難いのだ。英米ポップスが優れていると考えられていた時代、英米のポップスから借用が見当たらないのは、評価するとっかかりが無い、ということ。独自の個性を確立しているという「正の評価」は当時の評論には無い。
 

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逆に、尾崎亜美のマニアには「濃い」方が多い。ズッと尾崎亜美者を自認している方々が多い。たぶん、尾崎亜美の楽曲を聴き、彼女の音世界の真髄に振れ、それが自らの音の好みにピッタリと合って、ずっと尾崎亜美のマニアであり続ける。そんな「尾崎亜美者」が多いと思っている。

僕もそんな「尾崎亜美者」の一人であり、彼女のアルバムは殆ど所有している。オリジナル盤については、どのアルバムを聴いても、彼女の「シティ・ポップ性」が楽しく、どの盤も良いのだが、これ一枚を選べと言われたら、僕はこのアルバムを挙げる。尾崎亜美『STOP MOTION』(写真左)。1978年夏のリリース。

収録された全ての楽曲が、珠玉の「シティ・ポップ」。歌謡ポップスや英米のポップスの楽曲のイメージに全く左右されない、影響されない、尾崎亜美独特の音世界がギッシリと詰まっている。尾崎亜美3枚目のスタジオ・アルバムであり、プロデュースを自ら行っている。このセルフ・プロデュースがポイントで、彼女の音世界をそのままにアルバムに封じ込めている。

LP時代のA面「センセイション」〜「ジョーイの舟出」〜「嵐を起こして」、B面「ストップモーション」〜「春の予感 〜 I've been mellow」〜「悪魔がささやく」の「シティ・ポップ」な流れが素晴らしい。この「シティ・ポップ」な流れは、他のSSWのアルバムに聴かれることは無い。尾崎亜美独特の音世界である。

尾崎亜美は、松田聖子「天使のウィンク」「ボーイの季節」、杏里「オリビアを聴きながら」、観月ありさ 「伝説の少女」など、他のアーティストへのアーティストへの楽曲提供も多い。そんな他のアーティストへ提供した楽曲は、セルフ・カバー集の『POINTS』(写真右)『POINTS-2』『POINTS-3』で楽しむ事が出来る。

 
 

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2016年7月 2日 (土曜日)

空模様のかげんが悪くなる前に

週末の当ブログ「ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと」は、ジャズの合間の耳休め。70年代ロックや70年代Jポップのアルバムにまつわるお話しを特集しています。

さて、1970年代後半、僕達の学生時代は、いわゆる「Jポップ」の最初の黄金時代では無かったかと感じている。1970年代に入って、フォークから入った「Jポップ」ではあったが、程なく、英国・米国の音楽シーンの成果を取り込み、和製ロック、そして、ポップ・ロックがベースの「ニューミュージック」へ発展。1970年代後半は、今から振り返って、かなり充実した「Jポップ」の時代であった。

当然、洒落たアルバムや粋なアルバムがどんどん出てくる。音楽雑誌やFM情報誌の記事は欠かせない。そして、FMのエアチェックによるアルバムのリサーチは欠かせなかった。そんな、FMのエアチェックのリサーチに引っ掛かってきたアルバムがこのアルバムである。

そのアルバムとは『Char』(写真左)。1976年9月のリリースになる。さて、その「Char(チャー)」とは誰か。本名は「竹中 尚人」。日本のギタリストである。そのエレギのプレイは「天才ギタリスト」の呼称に相応しい。この時21歳、そのエレギのプレイと味のあるボーカルがぎっしりと詰まった、初々しくも爽快な、Charのデビュー盤である。
 

Char

 
大学時代、ちょうど、この梅雨の季節によく聴いていた。もともとこのアルバムの中の8曲目「空模様のかげんが悪くなる前に」が、皆の大のお気に入りの曲だったので、この梅雨の時期によく聴くようになった、と記憶している。

このアルバムを初めて聴いた時は、椅子から転げ落ちるくらいにビックリした。この弱冠21歳のギタリストのテクニック、感性、表現力にたまげた。そして、英国ロックや米国ロックのコピーに終始しない、日本人ならではの個性が見え隠れするところにとりわけ、感じ入った。収録されたほどんどの楽曲を「日本語」で唄い切る、その潔さにも感服した。

特に、エレギのトーン、紡ぎ出すフレーズのグルーブ感が独特だ。冒頭の「Shinin' You, Shinin' Day」の前奏のリフを聴くだけで、チャーと判る。それほど個性的なフレーズのグルーブ感が堪らない。チャーの代表曲、6曲目の「Smokey」のギターワークも白眉。思わず、アルバム全編、聴き惚れる。

1976年という日本のロック黎明期に、こんな粋で洒落たアルバムがリリースされていたなんて、今の耳にも「ビックリぽん」です(笑)。今でも8曲目「空模様のかげんが悪くなる前に」は大のお気に入り。この曲を聴くと、大学時代の行きつけの喫茶店「みちくさ」の昼下がりの風景が目に浮かびます。

 
 

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2015年12月 5日 (土曜日)

「赤い鳥」というバンドがあった

週末は「ジャズの合間の耳休め」。暫く、昔々、1970年代から1980年代前半にかけて聴き親しんだ「日本のソフトロック」や「ニューミュージック」を振り返ってみたい。簡単に言うと、僕が高校時代から大学時代に聴いた「お気に入り」盤を聴き直してみよう、ということ。

今日は「赤い鳥」。昔々、今から40年以上前である。僕がまだ中学一年生。あの頃は親の転勤で岡山にいた。親父のラジオを拝借して自室であれこれチューニングしていた。そこで知ったのがFM放送。そのFM放送では音楽を流していることも。その流れてくる音楽は当時、クラシック中心。しかし、そんなクラシック中心の音楽の中に、新しい雰囲気の日本の楽曲があった。

そんな新しい雰囲気の日本の楽曲が「フォーク」と呼ばれるジャンルの音楽だということは、「中一コース」という雑誌を読んで理解した。そして、そのフォーク・ソングの中で、かなりモダンな感じがする楽曲があった。その楽曲の主は「赤い鳥」というバンドだった。

「赤い鳥」。1969年に結成、1974年解散。1969年11月「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得。オリジナル・メンバーは、後藤悦治郎 (g), 平山泰代 (p), 山本俊彦 (g), 新居潤子 (vo,g), 大川茂 (b) の5名。

ボーカルの確かさ、ユニゾン&ハーモニーの美しさ、演奏の確かさ、アレンジの斬新さ、どれをとっても、当時、日本では突出したバンドだった。当時、流行していた他のフォーク・ソングとは一線を画していた。 

各地の子守唄・伝承されている歌などを美しいコーラスワークで聴かせる傍ら(これが彼らの考える「フォーク・ソング」だったようだ)、当時としては先進的な「ソフトロック」的な音楽性も兼ね備えていた。
 

Akaitori

 
そんな「赤い鳥」、僕は大のお気に入りになった。アルバムについては、資金力がついた高校時代に、この2枚を手に入れ、既に解散してしまった「赤い鳥」の高度で先進的な音楽性に感心しながら聴き入っていた。そのアルバムとはこの2枚。

1971年リリースの『竹田の子守唄』(写真左)と1973年リリースの『パーティー』(写真右)。数ある赤い鳥のアルバムの中で、この2枚が聴き易く、赤い鳥の音世界に入りやすい「入門盤」的な内容。赤い鳥のアルバムの中で、一番、大衆向けにプロデュースされたアルバムである。

『竹田の子守唄』は代表盤として一番挙げられる盤で、民謡をベースにした「竹田の子守唄」、そして、日本ポップスの永遠の名曲「翼をください」が収録されていて、この2曲の為に買っても良い位の名盤。他に「忘れていた朝」「河」などもっとスタンダードになってもよい位、出来が突出している楽曲もあり、このアルバムの内容は、日本フォーク・ソングの名盤として聴き継がれるべき盤である。

『パーティー』は、新メンバーの大村憲司のギターと村上秀一のドラムがフィーチャーされ、日本の「ソフトロック」の源流を聴く様な、日本のソフトロックの初期の名盤として聴き継がれる盤である。赤い鳥の音楽性の二面性である、ポップス色とフォーク色のせめぎ合いが見事で、1973年という時代の中、かなり突出して先進的な内容にビックリする。

赤い鳥はメンバー全員がメインボーカルがとれ、同時に全員がソングライターであった。そんな中、そのメンバー個々に才能が存分に発揮されたアルバムがこの『パーティー』だと解釈している。小粋なアルバム・ジャケットと共に、赤い鳥のバンドの個性と実力が最大限に発揮されたアルバムでしょう。

もう今から40年以上前の出来事になってしまった。でも、日本ポップス史上、この「赤い鳥」の存在は、絶対に押さえておかなければならないものであり、その「赤い鳥」の個性と実力を手っ取り早く感じ取るには、この『竹田の子守唄』と『パーティー』を体感するのが早道でしょう。素晴らしいアルバムです。

 
 

震災から4年8ヶ月。決して忘れない。まだ4年8ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。 

Never_giveup_4

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