マイルス『Quintet/Sextet』再聴
1955年7月、ニューポート・ジャズ・フェスティバルへの出演時、批評家からも観客からも高評価を得て、大手レコード会社のCBSと契約したのが、1955年10月。このCBSとの契約以降、マイルスは「ジャズの帝王」の道を歩き始める訳だが、それまでは、プレスティッジ・レーベルがメインの「インディーズ・ジャズの大将」って感じだった。
Miles Davis and Milt Jackson『Quintet / Sextet』(写真左)。1955年8月5日の録音。ちなみにパーソネルは、Miles Davis (tp), Milt Jackson (vib), Jackie McLean (as), Ray Bryant (p), Percy Heath (b), Art Taylor (ds)。アルト・サックスのマクリーンは故あって、全4曲中、「Dr. Jackle」「Minor March」の2曲にしか入っていない。
フロントが、マイルスのトランペット、マクリーンのアルト・サックス、バグス(ミルト・ジャクソン)のヴァイブの3人。バックのリズム隊は、ブライアントのピアノ、ヒースのベース、テイラーのドラム。リズム隊についてはザッと集めた感が濃厚。
このトリオ演奏は他に見たことが無い。プレスティッジらしいといえば、プレスティッジらしい(笑)。ブライアントのピアノは右手がシンプルで間を活かしたラウンジ・ピアノっぽいところがあるので、マイルスは「まあ、それはそれで良いか」と考えたのだろう。
マイルスとバグスの共演については、両者とも耽美的でリリカルなフレーズが身上、トランペットは力強くブリリアント、ヴァイブは繊細で透明度が高い。その対比が「クールでヒップな」、マイルス曰く「女を切々と口説くような」、極上のアーバンでジャジーでブルージーな音世界を創り出す。マイルスとバグスの対比は、マイルスにとって必要なものだった様に感じるが、バグスはMJQへの参加を決めていて、マイルスとバグスの共演は、この盤が最後になった。
この盤は「マイルスの考えるハードバップ」の完成形を聴くことが出来る。プレスティッジの録音セッションなので、ろくにリハーサルもせずに、いきなり本番に臨んだ節があるので、演奏のまとまりや精度について、100%満足できるものでは無いが、演奏全体の展開、アドリブの取り回し、聴かせるアレンジなど、ハードバップに必要な要素が、全て「マイルス色」に染め上げられて、ずらりと勢揃いしている。
プレステッィジ・レーベルが故の、リハーサル不足、マクリーンの途中脱退、ほぼ初見のリズム隊。当然、演奏全体のレベルについては、いろいろ不足なところはあるだろう。しかし、収録曲からして、マイルスは一曲も書いていないが、他のジャズマンが書いた曲はなかなかの内容で、これがブルーノートの様にしっかりとリハーサルを積んで演奏されていたら、かなりの好演奏になっていたのでは、と推測する。
とにかく、この盤は「マイルスの考えるハードバップ」の完成形であり、マイルスは、この盤以降、この盤の成果を基に「マイルスの考えるハードバップ」を発展&昇華させていくことになる。そういう意味で、この盤は演奏そのものについては課題が残るが、これはプレスティッジに良くあることなので仕方がない。それより、「マイルスの考えるハードバップ」の完成形を聴くことが出来る点に注目すべきだろう。
ちなみにマクリーンが途中退場した理由については、マイルスの自叙伝を紐解くと、以下の通りらしい。
「Bitty Ditty」録音時、ドラムスのテイラーが繰り返し失敗。ただ、テイラーは繊細なタイプで、萎縮しないよう、マイルスはあまり強く当たらなかった。それを見たマクリーン、えこ贔屓されていると感じたのか、「俺には強く当たるのに、テイラーには優しいのか」とマイルスに詰め寄る。
まあ、なんてマクリーンは子供なんだ、というところなんですが、マクリーンは当時、既に24歳。録音時、かなり「かかった」演奏をしていたので、ヤクでもやっていたんでしょうか。そして、マイルスがそれに応じて、「どうしたんだお前、小便でもしたいのか」ときつく叱責。怒り狂ったマクリーンは楽器を片付けて帰ってしまった、とのことらしい。現場放棄のマクリーン。これ以降、マイルスとの共演は無い。
この盤のジャケの酷さについても、いろいろ揶揄されているが、プレスティッジ・レーベルなので、これくらいの酷さは当たり前と言えば当たり前。これはもう仕方がないと思っている。マイルスもこの録音は、プレスティッジとの契約の穴埋め的録音と解釈していた節があり、ジャケにもこだわることは無かったのだろう。まあ、マイルスとしては「要は中身」なんだろう。
まとめると、このマイルスの『Quintet / Sextet』、一部で言われるほど、そんなに悪い内容の盤では無いと思う。名盤『'Round About Midnight』(1956年)の「露払い的位置付けの」アルバムとして捉えた方が、この盤の内容理解が進むのでは、と思う。
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