ピアノ・トリオの代表的名盤・95
我が国は「ジャズ先進国」である。太平洋戦争に負けて、米国駐留軍が我が国にやってきて、軍専用のバーやレストラン中心に、米国の音楽文化のひとつである「ジャズ」を我が国で広めた。朝鮮戦争終戦辺りで、そのムーヴメントは頂点に達し、1950年代半ばには、日本人だけで「ビ・バップ」なジャズを演奏し始める。1960年代にはジャズが我が国で定着した。
そのジャズ文化を支えた大きな「柱」がジャズ喫茶。ジャズ喫茶のマスターは、その時代時代のジャズに精通し、客のジャズ者が知らない「小粋なジャズ」を率先してかけていた。このジャズ喫茶のアルバムの選定については、我が国独特の視点があって実にユニーク。我が国では結構メジャーな盤であるものが、本場米国ではそうでもない盤は「ごまん」とある。
Dodo Marmarosa『Dodo's Back!』(写真左)。1961年5月9日~10日の録音。ちなみにパーソネルは、Dodo Marmarosa (p), Richard Evans (b), Marshall Thompson (ds)。伝説のバップ・ピアニスト、ドド・マーマローサのトリオ盤。端正でバップなマーマローサのピアノ。ベース、ドラムはほぼ無名。これがまあ、味わい深い「バップで小粋なトリオ演奏」に仕上がっているのだから、ジャズって面白い。
ドド・マーマローサ(Dodo Marmarosa)は、1925年生まれの米国の白人ピアニスト。1940年代初頭からプロとしての活動を始め、ビ・バップ・ムーヴィメントの中、レスター・ヤングやチャーリー・パーカーとも共演している。
だが、1950年以降、麻薬に手を染めジャンキー化。その後、中毒症状の悪化、麻薬からくる精神病の治療の為の電気ショック療法などを経て、1950年代中盤から後半にかけては、心身ともにボロボロ状態。ところが、ドドは10年後にカムバックした。
カムバック後、1961年に吹き込まれたのが、この盤でタイトルが「ドドのカムバック」。そうした経緯を踏まえて聴くと、この盤は更に味わい深い。明らかにビ・バップのマナーに溢れた、マーマローサのゴツゴツとした力感溢れる、それでいて意外と洒脱なタッチは良い意味で「ユニーク」。正統派なビ・バップなピアノの弾き回しはフレーズが明確で、ドライブ感が溢れている。
バリバリ弾きまくる、ビ・バップなピアノなんだが、どこか寂寞感が漂うところが、我が国のジャズ者の方々の「心の吟線」に響くのかもしれない。この寂寞感が漂うアドリブ・フレーズが何ともはや、しみじみと聴き入ってしまうのだ。この「寂寞感」が、本来のビ・バップなピアノには無い要素。この要素だけで、ドドのピアノは記憶に留まっているのだ。
本盤の後、翌年にも2作ほど録音を行っているが、その後は、再びジャズ・シーンから姿を消す。精神的な病は癒えることは無かったのだろう。ドドのトリオ作はこの1作のみ。ドドのピアノの個性はこの盤が一番良く判る。通常のピアノ・トリオ盤としても良好な内容。謹んで「ピアノ・トリオの代表的名盤」入りをさせていただきたい。
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