「即興」の音楽の面白さの1つ
クラシックは「再生」の音楽だという。譜面があって、そこに音符が書かれていて、弾くスピードは指定され、フレーズ毎の音の強弱、弾くタッチの種類まで、克明に指定されている。ピアニストはその譜面を理解し、その譜面通りに弾こうとする。譜面通り弾くことこそが作曲者の意図するピアノ曲だ、ということ。譜面通り弾くことが基本。よって「再生」の音楽である。
ジャズは「即興」の音楽。譜面は基本的に無い。あってもテーマ部のアンサンブルの楽譜のみ。アドリブ部の譜面は基本的に無い。弾くスピード。フレーズ毎の音の強弱、弾くタッチの種類などはいずれも全く指定されていない。その曲をピアノで表現するイメージは、ピアニストの感性とテクニックに委ねられる。その曲を弾く、その時その時でイメージが変わる。よって「即興」の音楽である。
よって、ジャズの世界では「再生」というキーワードは基本的に無い。例えば、ジャズピアニストの数だけ、その曲を弾く、タッチやイメージ、解釈が存在するのだ。クラシック・ピアノの場合、その曲を弾くイメージは基本的にどのピアニストも同じ。同じイメージの中でピアニスト毎の解釈があって、微妙なニュアンスのレベルなんだが、しっかりと個性が発揮される。
このところ、オスカー・ピーターソンのピアノ・トリオの聴き直しているのだが、その合間に別のピアニストのトリオを聴く。こんなに違うんだ、と改めてビックリする。今日、ピーターソンの合間に聴いたピアノ・トリオ盤が『Ray Bryant Trio(1956年)』(写真左)。パーソナルは、Ray Bryant (p), Wyatt Ruther (b), Kenny Clarke (ds, tracks 2, 4, 8 & 9), Osie Johnson (ds, tracks 3, 10 & 12), Jo Jones (ds, tracks 1, 5–7 & 11), Candido (perc, tracks 1 & 7) 。2トラックだけパーカッションが入るが、基本はピアノ・トリオ。
このトリオ盤は、レイ・ブライアントのピアノをとことん愛でる盤。ファンクネスがほど好く漂い、右手のタッチは明快でよく回る。左手は低音がゴーンと伸びる様に響いて、粘りがあってリズミカル。両手で奏でるユニゾン&ハーモニーはゴスペル風な哀愁を仄かに帯びた響きが漂う。特に彼の個性はラテン風の曲やブルース曲で発揮される。これがたまらない。
オスカー・ピーターソンとレイ・ブライアント。同じ曲を弾く二人のジャズ・ピアニスト。ピアノ・トリオとしての演奏の展開は同じハードバップで同じ曲を演奏しているのに、そのイメージ、弾くスピード。フレーズ毎の音の強弱、弾くタッチの種類など、全く異なる。それでも、ピアノ・トリオとしての演奏の展開は同じハードバップ。これがジャズの面白さの1つであり、即興音楽の面白さなのだ。
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