ミンガスは「ながら」に向かない
昔から「ながら族」であった。中学の頃から、音楽を聴きながら勉強すると能率が上がった。学生の頃は音楽を聴きながら、本や論文を読むと能率が上がった。この「ながら」の音楽については向き不向きがある。基本的にフュージョン・ジャズは向くが純ジャズは向かない。音楽の良し悪しとは比例しない。逆に良い音楽の方が「ながら」に向く。
逆に「ながら」に絶対に向かない音楽もある。ジャズで言えば、チャールズ・ミンガスの諸作は絶対に「ながら」に向かない。しっかりとステレオの前に陣取り、スピーカーに対峙して、しっかり聴き込むことが必要になる。ミンガスの音楽はそういう類のものである。アルバムや演奏には必ずテーマがあり、そのテーマについてジャズの演奏で語るように表現する。それがミンガスの音楽である。
つまり、ミンガスの音楽を楽しむということは、ミンガスによる様々な音の表現を楽しむことであり、ミンガスの作曲能力と演奏におけるリーダーシップを愛でることである。それには「ながら」は向かない。よって、ジャズを聴き始めてミンガスの音楽に出会って以来、ミンガスのリーダー作は「ながら」で聴いたことが無い。
Charles Mingus『The Clown』(写真左)。1957年2月と3月の録音。ちなみにパーソネルは、 Charles Mingus (b), Shafi Hadi (as, ts), Jimmy Knepper (tb), Wade Legge (p), Dannie Richmond (ds), Jean Shepherd (narration)。演奏についてはクインテット構成。たった5人でこれだけ分厚くて濃厚な音を出すのだから、ミンガスのアレンジ能力も素晴らしいものがある。
傑作である。全曲、ミンガスの作曲なので統一感が抜群。全編に渡って、ミンガスの重量感溢れるベースが大活躍。ミンガスのベーシストとしての実力と個性を確認するのにも好適なアルバムでもある。冒頭の有名な「ハイチ人の戦闘の歌」を聴けば、このアルバムの音世界の傾向が如実に判る。フロント2管とドラムも攻撃的で重量感抜群。加えて、タイトル曲の「道化師」などはナレーション入りで、現代ジャズのトレンドを50年以上も先取りしている。
ミンガスの音楽は「新しい」。現代ジャズの世界にもダイレクトに通用する、先進的なフレーズや仕掛けが施されていて、聴くとその内容の先進性に驚く。ミンガスのアルバムを聴く度に「ジャズはアートである」という感覚を噛みしめる。1957年時点で既にフリー・ジャズの片鱗も聴かせてくれており、ミンガスの音楽が如何に先取性に溢れていたか、を再認識する。ミンガスの音楽は「ながら」に向かない。しっかりと対峙して聴くべし。
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