「ウィントン」とは何だったのか
ジャズ・トランペッター、ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)は1961年生まれなので、もう今年で57歳になる。あの衝撃の初リーダー作『ウィントン・マルサリスの肖像』が1981年、ウィントンが20歳の時なので、もうあれから37年が経ったことになる。ちなみに、僕は23歳。大学4回生の頃である。しかし、こうやって改めて見てみると、ウィントンと僕って3歳しか違わない。いわゆる同世代なのだ。
ウィントンは、1980年代半ばからの「純ジャズ復古」のリーダー格。以降、ネオ・ハードバップの牽引役として活躍。しかし、ハードバップがジャズの一番優れた姿とする姿勢はジャズの世界で軋轢を生む。一時期は、生前、まだまだ現役で活躍していた「エレ・マイルス」を公然と批判。ジャズに対する「裏切り者」呼ばわりしたのだから穏やかで無い。しかし、そこは帝王マイルス。反論一言「俺たちが30年も前にやっていた昔の音を再現して何が創造的なんだ?」。
ジャズって即興が旨の音楽で、クラシックと違って同じ演奏は2度と無い。つまり、学校の試験問題みたいに絶対的な評価基準が無い。自分のスタイルを評価するのは全く問題無いが、他のスタイルを批判しても、その理由については全く説得力が無い。聴く人が違えば評価もガラッと変わる、それがジャズなのだ。ウィントンって聡明なので、そんなこと判っていたはずなのに、なぜ、ハードバップ以外はジャズでは無い、なんてこと言っちゃったのか。その発言以来、ウィントンは現在までずっと曲解されたままである。
Wynton Marsalis『Marsalis Standard Time, Vol.1』(写真左)。1986年の録音。1987年のリリース。ちなみにパーソネルは、Wynton Marsalis (tp), Marcus Roberts (p), Robert Leslie Hurst III (b), Jeff "Tain" Watts (ds)。ウィントンのトランペット、ワンホーンのカルテット構成。タイトル通り、ウィントンがスタンダード曲ばかりを吹きまくっている。当時、思いっきり話題になったリーダー作である。併せて、賛否両論の嵐となったアルバムでもある。
確かに上手い。相当に上手い。過去のハードバップ演奏をよく聴き込み、よく研究している。ハードバップ演奏の良いところを集めて凝縮し、新しい響きのハードバップを「再構築」している。そう「再構築」している。「構築」はしていない。しかも響きが、アドリブの展開が良い意味で「人工的」。知力を尽くして、今までのハードバップ演奏の中で、一番、印象的な音を自らの高テクニックで再現している。言い換えると、良い意味で「頭を使ったジャズ」。
この「頭を使ったジャズ」が賛否両論を生む。以来、ウィントンは恐らくジャズメンの中で、極端に好き嫌いの差が激しいジャズメンになる。しかし、この盤のリリースから32年が経って、ウィントンが大好きだ、と言うジャズ者の方に出会うことは殆ど無い。純ジャズ復古のリーダー格でありながら、ネオ・ハードバップを牽引しきれず、現代の「新しいニュー・ジャズ」には感心すら寄せない。では、この「ウィントン」とは何だったのか。彼のスタンダード集のシリーズを聴き直しながら、今一度、考えてみたい。
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