ウィントン・マルサリスの再評価
ウィントン・マルサリスは、ジャズの歴史の中でも屈指のトランペッターだと思う。テクニックは素晴らしく優秀、アドリブ・フレーズは流麗、歌心もしっかりと併せ持って、その端正かつ切れ味の良い吹きっぷりは、確かに「屈指のトランペッター」として良いと思う。しかしながら、一般のジャズ者の方々から、はたまた、仲間のジャズメンからも、先達のジャズメンからもどうにも評判が悪い。困ったものである。
1980年代、純ジャズ復古の流れの中で、新伝承派のリーダーとして祭り上げられ、ウィントン自身もその気になって、あれやこれや、過去のジャズメンや現役のジャズメンのやることなすことを、歯に衣を着せずに批判する。そして、自分たち「新伝承派」を始めとする、アコースティックな純ジャズを極めようとする若手ジャズメンだけを「真のジャズメン」とする言いようと振る舞いに、基本的に「嫌われた」。
その普段の言いようと振る舞いが災いして、リリースするリーダー作はどれもが優秀な内容ながら、ウィントン自体に対する評判が芳しく無い。あまりにその内容が完璧なので、完璧が故に面白く無いとも評された。それでも、ウィントンはその普段の言いようと振る舞いを修正しようとしない。しかし、彼の社会的地位は相当に向上した。逆に、ジャズの世界の中では、最近、あまり話題にならなくなった。ほんと、最近、どうしているのだろう。
彼の名誉の為に、フラットな気持ちで語るならば、ウィントンのリーダー作はどれもが素晴らしい内容なのだ。例えば、このアルバムを聴けば、その素晴らしい内容をダイレクトに体験出来る。Wynton Marsalis『Marsalis Standard Time, Vol. I』(写真左)。1987年9月のリリース。ちなみにパーソネルは、Wynton Marsalis (tp), Marcus Roberts (p), Robert Leslie Hurst III (b), Jeff "Tain" Watts (ds)。当時にして「鉄壁」のワンホーン・カルテットである。
ウィントンのットランペットを始めとして、カルテットの他のメンバーを含め、そのテクニックは凄まじく、アンサンブルは端正、フレーズを流麗、歌心満載、繊細かつ大胆なアドリブを展開。有名どころのスタンダード曲を演奏しているのだが、その内容は秀逸。アドリブ・フレーズまで譜面に落としているかの様に、あまりに端正かつ流麗。あまりに端正かつ流麗、あまりに優等生な演奏の為、何度か繰り返し聴いていると「飽き」がくる。そこが難点と言えば難点。
ウィントンは誤解されている。しかし、その問題となる、普段の言いようと振る舞いを止めようとしない「大人げの無さ」も確か。勿体ないなあ、と思う。社会的地位は極めた感のあるウィントンではあるが、本業のジャズメン単体としては、どうにも評価が定まらない。そのジャズメンの持つ「心根」がダイレクトにパフォーマンスに反映されるのがジャズの面白いところ。今一度、ウィントン・マルサリスを聴き直して再評価をしてみよう、最近、そう思い至った次第。
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マスターの分析にほぼ納得であります。笑
私のウイントンの印象は「器用貧乏」「うまいだけじゃダメなのよ」「生意気あんちゃん」(今は立派なオッサンになりましたが)「SO WHAT?」といったところです。
思えばSJ誌がデビューしたてのウイントンをひたすら持ち上げて、まるで「二宮尊徳伝」?のごとき連載ストーリーをはじめたころから私も、私の周囲でもある種のうさんくささを感じ、反感が強かった記憶があります。
しかし力まずにストレートアヘッドなジャズをやるとこれがまた憎たらしいほどの実力を発揮してくれて、「新伝書鳩派?」笑「新伝承派」なる業界むりやり造語の旗手と謳われるようになって以来、新譜がでても売れず、コンサートでも集客力もいまいちな(日本では)状況をみるにつけ、ウイントンこそはジャズ界の「魔王」「覇王」であるなあ・・と思っています。笑
投稿: おっちゃん | 2018年1月13日 (土曜日) 13時13分