ホテル・カリフォルニア・40周年
40周年。あれから40年になるのか。リリースは、1976年12月8日。まだ、我が国ではメジャーな存在になる一歩手前の米国西海岸のバンドで、このアルバムのリリース時、暫くはそんなに話題にならなかった記憶がある。当然、後に名曲とされ、世界的に大ヒットしたタイトル曲だって、このアルバムの発売時点では、別の曲「New Kid in Town」(全米1位を獲得)がシングル・カットされていた。
Eagles『Hotel California』(写真)。米国西海岸ロックの雄、イーグルスの5作目のアルバム。前作、1975年6月リリースの『One of These Nights(呪われた夜)』が、イーグルスのアルバムとして初めて、加えて、1976年2月リリースの『Their Greatest Hits 1971-1975』も続いて、全米No1ヒットを獲得し(確かにこの2枚は良かった)、米国では次作への期待が高まる中でのリリースであった。
日本ではあんまり盛り上がっていなかったと記憶している。まだまだ、米国西海岸ロックはマイナーな存在で、僕は当時、高校生で、1976年の夏は、この『呪われた夜』や『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』を聴きまくっていたんだが、周りのロック小僧から、変わり者扱いされたことを覚えている。そんな環境での、この『ホテル・カリフォルニア』のリリースである。当時、意外と地味であった。
最初はアルバムを買わなかった。FM大阪の人気音楽番組「ビート・オン・プラザ」で全曲エアチェック出来た。1976年12月と言えば、僕は高校3年生、大学受験まっしぐら。ではあるが、高校時代、遊びに遊んだので「浪人確定」の状態で、精神的にドップリ暗くなっての初『ホテル・カリフォルニア』であった。そして、聴いてビックリ。ハードなロックな雰囲気がメイン。それまでのフォーク・ロックな雰囲気は大きく後退していた。
本作から加入したギタリスト、ジョー・ウォルシュの影響が大きいとされる。が、恐らく、リーダーのグレン・フライの意向が強く働いたのだろう。しかし、これでは売れるかもしれないが、他のロック・バンドにも出来る音世界であり、イーグルスの個性が急速に希薄になった印象を受けた。しかしながら、収録された曲はどれもが出来が良く、キャッチャーな内容で、この盤は売れるだろうな〜、と思った。
以前からのフォーク・ロックな雰囲気の曲もあるにはある。先にシングル・カットされた(全米1位を獲得している)、唯一J.D. サウザーが絡んだ「New Kid in Town」と、皮肉にも、ジョー・ウォルシュの作である「Pretty Maids All in a Row」、そして、この後、バンドを脱退するランディ・マイズナー作の「Try and Love Again」の3曲。僕はこの3曲が大好きで、この3曲の存在が故に、この3曲を楽しみに、今でもこの『ホテル・カリフォルニア』を聴き直す位だ。
ヘンリー&フライの楽曲は全て、ハード・ロックなテイスト曲ばかり。それでも出来は良い。その最たる曲が冒頭のタイトル曲「Hotel California」である。印象的なアルペジオと異常に長い前奏が印象的なハード・テイストのロック・ナンバー。当時、この曲だけを聴けば、イーグルスの曲とは思わないだろう。この曲が追加でシングル・カットされて売れに売れた。でもねえ、僕は当時、あんまり好きじゃなかったなあ。
そんな『ホテル・カリフォルニア』が発売されて40年。この盤は米国西海岸ロックの名盤として、その地位を不動のものとした。しかし、この盤のハードなロックテイストへの転身が、イーグルスというバンドの個性をそぎ落とし、袋小路に陥る。次作『ロングラン』を苦しみ抜いてリリースした後、イーグルスは空中分解する。振り返れば、この『ホテル・カリフォルニア』は、イーグルスの最後の輝きであった。
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ジョーが参加したのは今作からですよん!
投稿: ショッポ | 2018年1月21日 (日曜日) 22時31分