カントリー・ロックの先駆的な盤
涼しくなった。特に昨日の雨で、明らかに空気が入れ替わったのを感じる。昨晩はまだそれほどでもなかったが、今朝の明け方は明らかに気温が下がった。秋の空気に変わった。しかし、この時期の関東地方には雲が残る。朝はあいにくの雨。しかし、昼頃から日が射し始め、秋の涼しい一日になった。
さて、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の当ブログは、週末は「70年代ロック・Jポップ」の日。先週から、ジャズの合間に耳休めに良く聴く「カントリー・ロック」を掘り下げている。今日は、このカントリー・ロックの起源となるアルバムを取り上げたい。
The Byrds『Sweetheart of the Rodeo』(写真左)。邦題『ロデオの恋人』。1968年にリリースされた、ザ・バーズの6作目のスタジオ盤。カントリー・ロックの先駆的アルバムとされる。メンバーのグラム・パーソンズは、ロック・シーンにおけるカントリー・ミュージックの強力な推進者で、このパーソンズ主導の中で、このカントリー・ロックの先駆的アルバムが生み出された。
カントリー・ミュージックの聖地、ナッシュビルで半分の曲を録音して、正面からカントリーにアプローチした、初めてのロック盤である。米国で、保守的な音楽の最右翼であった「カントリー・ミュージック」。若者中心に急速に台頭してきた革新的な音楽であった「ロック」。これが融合したのですから、米国においては、かなりのカルチャーショックだったと思います。
さて、アルバムを聴いてみると、確かに内容充実の「カントリー・ロック」の名演が並びます。かなりジックリ腰を据えて、曲作りからアレンジまで、よく考えて作られています。単なるアイデア先行の融合では無い、しっかりと意志を持ったカントリーとロックの融合です。アルバムの先頭から最後までダレることがありません。1968年という時期に、これだけ内容充実のカントリー・ロックが創作されていたとは驚きです。
『ビートルズに対するアメリカの回答』と比喩されたバーズの異色盤。カントリー・ロックの生みの親であるパーソンズはカントリー志向をめぐってメンバーと対立し、アルバム発売を待たずにバーズを脱退。しかしながら、このアルバム、結果的にカントリー・ロックの先駆者としてバーズの名を高めたアルバムとなったのだから皮肉なものだ。ロックの世界には、こういう逸話はごまんとある。
東日本大震災から6年6ヶ月。決して忘れない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
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