夏はボサノバ・ジャズ・その26
ボサノバとジャズとは相性が良い。ボサノバもジャズも音作りにおいて、リズム&ビートが大きなウエイトを占める。そういうところが「相性が良い」という大きな理由だろう。
ボサノバ・ジャズを評する折、ボサノバ専門の方々からは「リズムがなっていない」とバッサリ切り捨てられる時がある。確かにボサノバのリズムは独特のものがあって、確かにこの独特のリズムをジャズがしっかりと踏襲することが難しいことがある。といって、ボサノバそのもののリズムになると、その演奏はボサノバそのものになる訳で、その度合いとバランスが難しい。
さて、この人のボーカルは、そんな理屈を越えたところにある。この人のボーカルがあるだけで、そのアルバムはきっちりと「ボサノバ」になる。バックがジャジーな演奏であれば、きっちりと「ボサノバ・ジャズ」になる。決して、上手なボーカルではないんだが、味があり、雰囲気がある。そんなこの人のボーカル。
そんな「この人」とは、Astrud Gilberto(アストラット・ジルベルト)。ブラジル出身ではあるが、もともとはボーカリストでは無い。ボサノバの生みの親の一人、ジョアン・ジルベルトの嫁はんである。たまたま、アルバム『ゲッツ/ジルベルト(Getz/Gilberto)』の録音の折、彼女の歌声にプロデューサーのクリード・テイラーが目をつけ、彼女は一躍、ボサノバ・ジャズのボーカリストとして脚光を浴びる。
1963年に初録音を果たして以来、1970年代初頭まで、彼女は「ボサノバ・ジャズ」の歌い手として人気者となる。ほとんど1年に一枚のアルバムをリリースしており、それぞれのアルバムのセールスは結構良かった。実は、彼女のボーカルは、ブラジル国内ではほとんど実績を残していないことから、ボサノバの歌い手としては評価が低い。逆に「ボサノバ・ジャズ」の歌い手としては一定の評価を得ていると言って良い。
さて、そんな彼女のアルバムで、今年、我がバーチャル音楽喫茶『松和』でよくかかるアルバムが、Astrud Gilberto『Beach Samba』(写真左)。1967年の作品。
このアルバムのバックの演奏を聴くと判るのだが、ボサノバ/サンバの演奏とは全くかけ離れた、ジャジーでソフトロック的な、かつイージーリスニング的な音作りになっている。口笛、スキャットも織り交ぜたカラフルなサウンドが特徴で、パーソネルを見渡せば、ハーモニカのトゥーツ・シールマンスやブラジルのSSWであるマルコス・ヴァーリも参加している。
しかし、そこにアストラットのボーカルが入ってくると、その音世界がガラッと「ボサノバ・ジャズ」の雰囲気に変わるのだから面白い。アストラットにしか表現出来ない「ボサノバ・ジャズ」の音世界。時代は1967年なので、ちょっとクロスオーバーな雰囲気が漂うところがなかなか良い。
明らかに、このアルバムの音世界は「アストラット・ジルベルトの音世界」であり、決してボサノバでは無く、ジャズと言えばジャズなんだが、そういう音楽ジャンルを超えた、アストラットでしか表現出来ない音世界がここにある。
暑い夏にエアコンが効いた涼しい部屋で、ボヤ〜ッとしながら、聴き流すのが一番心地良い。上質のイージーリスニング・ボサノバ・ジャズである。
震災から5年5ヶ月。決して忘れない。まだ5年5ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
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