理知的なロック小僧である証
週末は「ジャズの合間の耳休め」。今日は、今を去ること40年ほど前、インテリな高校生を中心に人気のあった英国ロック・バンドについて語りましょう。
当時のこのバンドの紹介文句がこれ。「結成は1969年。1970年にバンド名と同タイトルのアルバムによってデビューし、翌年のメロディ・メーカー誌のブライテスト・ホープ部門にてNo.1に選出された、期待のツイン・ギター・バンド」。
そのバンド名は「Wishbone Ash(ウィッシュボーン・アッシュ)」。当初メンバーは、Andy Powell, Ted Turner (g), Martin Turner (b), Steve Upton (ds)。パウエルとターナーの双頭リード・ギター、いわゆる「ツイン・リード・ギター」が特徴のバンド。
このツイン・ギターは、プログレッシヴ・ロックやフォーク、クラシックに強い影響を受けており、ブルースに影響を受けていた当時の他のギター・バンドとは一線を画していた。ここがポイントで、僕の高校時代、このウィッシュボーン・アッシュは、ディープ・パープルやグランド・ファンク・レイルロード命のロック野郎とは違った、勉強の出来るインテリなロック野郎の御用達バンドだった。
僕もこの「プログレやフォーク、クラシックに強い影響を受けたツイン・ギター」が殊の外お気に入りで、このツイン・ギターの特徴が良く出たアルバム、特にこの2枚が大のお気に入りで、最近になっても良く聴く。
Wishbone Ash『Argus(百眼の巨人アーガス)』と『There's the Rub(永遠の不安)』。括弧内は邦題になる。『百眼の巨人アーガス』は1972年、『永遠の不安』は1974年のリリースになる。但し『永遠の不安』については、ツイン・ギターの初期メンバー、テッド・ターナーがローリー・ワイズフィールドに代わっている。しかし、その音楽性については全く変化していない。この2枚のアルバムでのツイン・ギターは素晴らしいの一言。
『百眼の巨人アーガス』は『ロック名盤』なる本に必ずといってその名前が挙がる、ウィッシュボーン・アッシュの代表作。とりわけ「Blowin' Free」「The King Will Come」「Warrior(戦士)」「Throw Down the Sword(剣を棄てろ)」でのツイン・ギターは筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。
結果的に「コンセプチュアルなアルバム」に仕上がったらしいが、幻想的で神話的な物語性を暗示するの曲のタイトル、各楽曲の演奏が物語性を秘めたドラマティックな展開と併せて『百眼の巨人アーガス』の最大の魅力が、アルバム全体に漂う神話的な物語性にあることは間違い無い。ここが堪らなく良いのだ。加えて、ヒプノシスのジャケットも幻想的で申し分無い。
『永遠の不安』は、テッド・ターナーがローリー・ワイズフィールドに代わった後の作品だが、このアルバムでのツイン・ギターのパフォーマンスも素晴らしい。ビル・シムジックによるプロデュース。このアルバム以降、米国市場を意識した音作りに転換を始めたとされるが、このアルバムではまだ、従来のウィッシュボーン・アッシュの音世界がしっかりと維持されている。それでも、米国フォーク・ロックの香りが仄かに漂うところがご愛嬌。
しかし、英国ロックの「夕暮れ時の黄金色の哀愁」をしっかりと引き摺った「Persephone(永遠の女神)」はシングル・カットされヒット。そして、ラストの2曲「Lady Jay」と「F.U.B.B.」のツイン・ギターについては素晴らしいの一言。特に10分弱の長尺の大曲「F.U.B.B.」のインスト・パートの展開の素晴らしさは今の耳にもポジティブに響く。このアルバムもヒプノシスのジャケットが印象的。
今を去ること40年ほど前、このウィッシュボーン・アッシュを聴き親しんでいることが、理知的で通なロック小僧である証だった。特に『百眼の巨人アーガス』と『ライブ・デイト』は必須アイテムで、この2枚のアルバムをLPとして所有していることが重要とされた。僕達の高校時代の「長閑なエピソード」の一つである。
震災から5年3ヶ月。決して忘れない。まだ5年3ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さい。
« イスラエル・ジャズのベーシスト | トップページ | 第2期 Jeff Beckグループ »
コメント